子ども部屋ならセーフでしょ

 俺とニーニャは坑道の暗がりで、ノブローの静かな語りに耳を傾けていた。

 ニーニャは俺の腹に顔をぎゅっと押し付け、声を出さずに涙していた。

 

 どうしたらいいのか、俺にはよく分かんなかった。だからとりあえず、頭を控えめに撫でてみたり、なんか図々しいし気持ち悪いかな? と思って撫でるのをやめてみたり、最終的には泣くがままに任せた。


「わしに……」


 ジリーのかすれた声が、こっちまで届いた。


「わしにそんな話を聞かせて、どうするつもりなんじゃ。あんたもわしも殿下も根っこは同じで、人を見捨てられないとでも言いたいのか? いいや、言いたいんじゃな。じゃから、殿下のことも許してやれと。王家ではなく、人として見てやれと! そうじゃろう!」

「そうですよ」

「ぐっ……ぐぅうううう……!」


 ジリーは拳を地面に叩きつけた。


「わしゃ殿下を悪魔と呼んだが、撤回するぞ! 悪魔はあんたじゃ、ノブロー・コッデス! 分かっておったのに、気持ちをいいように弄ばれたわい!」


 立ち上がったジリーはばっと両手を振り上げて、すとんと膝をついて、また土下座した。


「皆の衆、すまーん! やっぱりさっきのやつ、撤回する! わし、ニーニャ殿下に謝ってご協力をお願いしてくる!」


 村人たちは声を揃えて爆笑した。


「わひゃ! たいへんです!」


 ニーニャは俺からぱっと離れ、指揮杖を抜いて地面を打った。


「おいで、きーちゃん。静かにね」


 夜鷹が魔法陣からひっそり飛び立ち、ニーニャの眼前で滞空した。

 ニーニャは顔を布でごしごしこすると、民族衣装ミードルのポケットから真珠色の二枚貝を取り出した。


「え? おやつ? ニーニャさんおやつに貝食べるの?」

「いいですね、貝食べたくなってきちゃったなあ。カラスガイをちっちゃくなるまで煮た南部料理、モッタ村でよくいただくんです」


 貝殻を開くと、中にはなんか黒くて、粉とも泥ともつかないようなものが入っていた。

 ニーニャはその泥っぽいものを小指でごく少量取って、上まぶたのくぼんだところにちょんと乗せ、指の腹で広げた。


「あ、お化粧かあ」

「灰と貝殻粉かいがらこを油で練ったものです。涙に腫れた瞼で、人前に出たくありませんから」


 きーちゃんと共有した視界で、出来栄えを確かめる。鼻の付け根にも、うっすらと灰を伸ばす。


「どうですか?」

「おー……すごいね、うわすご、えー? なんだろ、陰影? 陰影できてるよニーニャさん。腫れてるように見えない。えーなにこれ、まじかー」

「んふふっふーん! ヴィータ仕込みです」

「はーいや、たいしたもんだ。アルヴァティア兵も戦化粧することあるんだけどさ、ここまでぱしっと決められたことないな」

「今度教えますよ」

「いいの? やばいな、めっちゃ楽しみになってきた」


 ニーニャはそれから、喉をごろごろ鳴らして声の調子を整えた。上体をぐっと反らして曲がった背筋を伸ばし、手指を繰り返し開閉した。


「うん、気持ち作れました。わたしは、だいじょうぶです」

「よかったよ」

「ありがとう、ミカドさん。あの……泣いちゃって、ごめんね」

「もっとはちゃめちゃに泣きなよ。子ども部屋ならセーフでしょぜんぜん」


 ニーニャはちょっと笑った。


「よし、わし行ってくる! 謝って謝って、謝り倒してやるわい!」


 立ち上がったジリーが、元気よく走りだそうとした。俺とニーニャは顔を見合わせ、うなずいた。好機だ。


「その必要はありません、ジリー・シッスイ」

「おああ殿下!」


 ジリーはぶったまげて尻もちをついた。


「あぶぶぶぶぶ」


 ニーニャはゆったりした歩調で近づいていき、ジリーに手を差し伸べた。


「ジリー・シッスイ。この手を取っていただけますか」

「あっ、あああ、は、はい、はいい! 殿下、はい! そりゃ、そりゃもう、はい!」


 ジリーはニーニャの手を取って、歯を食いしばり、うめいた。


「なんと、ああ、なんと小さなお手じゃろうか……だのにわしは、殿下に、なんたる非道を」

「必要ないと、わたしは言いましたよ。さあ、ダン・パラークシの一件について討議しましょう」

「はい、殿下、はい……」



 亜麻布越しに午後深くの光が差し込む荘館で、俺たちは顔を突き合わせた。


「さて、殿下。どうされるおつもりですか?」


 お茶を淹れながら、ノブローが会議の口火を切った。


「ノブローはわたしに、何もしてほしくないんですよね?」


 ちくりとした、しかし鋭い意趣返しだ。ノブローは苦笑した。


「もちろん、そうですよ。でもねえ、殿下がお泣きになっているところを見るのはもっと辛いんです」

「ぐっ」


 切り返されてニーニャはぐって言った。防御力が低すぎるんだよなあ。


「……ダン・パラークシですが、わたしに考えがあります」


 ニーニャは反論を諦めて本題に入った。


「どうするおつもりなんじゃ? やはり、ここは“尖風ミストラル”のお力で?」

「そういう局面の想定もあります。しかし、まずはダン・パラークシとお話をしてみたいんです」


 ジリーは露骨に顔をしかめた。


「甘い、それは甘すぎる話ですぞ! あのくそばか地侍は館から出て来ん! こちらから行けばなめられる!」

「引きずり出します」


 ニーニャはこともなげに言った。


「当然、わたしが足を運ぶつもりはありません。ですから、寄合所でうめいている二十人の盗人を使います」

「使うって……俺なんか怖い想像しちゃったんだけど。首だけ投げ込んで挑発するとか」

「それってもったいないですよね、ミカドさん」


 もったいないって考え方も同じぐらい怖いよ。


「彼らの命に、法外な値段を付けるんです」


 俺たちはニーニャの言葉を咀嚼し、同時にぶったまげた。


「え、うそでしょニーニャさん。人質にすんの?」

「殿下! 南部の貧しいひとびとから、身代金を搾り取ろうというのですか!」

「ばっばかもんが! 乱取りなんぞしたら、もう終わりじゃろ! 人の道に外れとる!」

「もっともなご意見ありがとうございます、みなさん」


 ニーニャは俺たちがぎゃーぎゃー喚くのを適当に聞き流した。


「ダン・パラークシには、支払い能力も意志もないでしょう。しかし、若い働き手をむざむざ二十人も失えない。パラークシの荘園って、きっとその程度の規模でしょう?」

「うん、そりゃあまあ、そうじゃが……そうでもなければ、わしらとっくに滅ぼされとるじゃろうし」

「ですから、使者には交渉の余地ありと言わせればいいんです。ダン・パラークシが直々に出向いてくるならば、テーブルは用意します、と」


 俺たちは腕を組んで唸った。なんか、そんな挑発的なやり方で、うまくいくのだろうか。いい予感は一切しない。


「なにか反論はありますか?」

「ううーん……倫理的にどうなのっていうのと、やばそうな予感っていうのがあるけど、対案は出せないなあ」

「わたしが求めたのは反論です。対案まで出せとは言ってませんよ」


 防御力が低い分、攻撃力が高すぎるんだよなあ。


「はあ、まったく……消極的賛成です、殿下」

「わしも、思いつかんわい。とんだ俗悪廃王女じゃ」


 ニーニャは満足げにうなずくと、藍色の長髪を結い上げた。


「さあ、俗悪にいきますよ」

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