ジリー・シッスイ

 三日後、四阿。


「殿下、報告いたします」


 げっそりやつれたニーニャに、パールが声をかけた。


「そりぇ、は、ううん、失礼! それは、ノブローのことですか?」


 ろれつが回っていない。不眠不休でノブロー捜索を指揮していたのだ。


「はっ。サー・ノブローが行方不明になった当日、村の者が、並木道で不審な男たちを見かけていたそうです。不審者は、ジリー・シッスイの名を口にしていたと。『連れ去る』というような単語を聞いた者もいました」

「はあ!? ふあ……」


 ニーニャは叫び、それで体力を使い尽くして椅子の背にもたれた。


「なん、で……シッスイ氏、が?」

「そこまでは。殿下、いかがいたしますか?」

「……ちょっと、考えさせてください。パールは、引き続き周辺の捜索をお願いします。村の皆さんを動員しても構いません」

「かしこまりました。では、失礼いたします」


 パールが去っていき、頭を抱えるニーニャが残された。


「ニーニャさん……なんか、すごいことになっちゃったね」

「意味が、意味が分からない。なぜ? シッスイ氏が、なんで? ノブローを誘拐? は?」

「うぁはははは、やば! めっちゃ草! なんでノブぴ攫われてんの!」


 ヴィータが爆笑した。人の心がないな。


「ええと、まあその、前向きに行こうよニーニャさん。もし誘拐だったら、向こうからコンタクトしてくるはずだよね」


 動機はともかく、目的は決まっている。身代金だろう。最低限の理性があればそうする。考えるべきはその先、どう交渉するかだ。

 それじゃあ、連れ去ったうえでなぶり殺しにしちゃうような狂人だったら? その場合は、ごたごた考えなくていい。報復という大義を掲げて乗り込み、周辺一帯が更地になるまで暴れるだけだ。


 それにしても、よくお屋敷まで乗り込んできたな。なんの気配も感じられなかった。少数の手練れを送り込んだのだろう。


「そう、ですね。そうです。そりぇなら、当たり前です。流れが」


 もう何言ってんのか分からん。限界っぽいね。


「っぷしん!」

「はい姫ぴ、ちーんして」

「ちーん! あー……なんで、こんな、なんで」


 ニーニャは天を仰いでうめいた。


「ほら姫ぴ、ホップティー呑んでもろて」

「そうそうニーニャさん、とにかく寝てもろて」


 俺とヴィータは、二人がかりでニーニャの口にホップティーを流し込んだ。ニーニャはたちまち目を閉じて、


「すー……すー……ぴすっ、ぴすっ」


 鼻をぴすぴすさせながら寝息を立てた。ホップ、効くなあ。ちょっとナメてるとこあったわ。


「ジリー・シッスイ、ね。ヴィータさん、ちょっとすり合わせしよっか」

「ウチあんま知らんけど。塩鉱山かなんかやってる人でしょ?」

「そうそう。南部の有名人。塩鉱山の利益を天領の代官にがんがん貸し付けて、負債で縛って好き放題やってたって」

「へー? やばめの豪商ってことでいい?」

「それがねえ、なかなか評価の難しい相手なんだよシッスイ氏」


 俺は身を乗り出し、机の上に拳骨を置いた。


「南朝征伐のとき、代官はハンビット側についた。つまり、南アルヴァティア帝国に恭順したわけだ。で、その代官はどうしたかっていうと、ハンビットから軍の一部を借り受けて、シッスイ氏の塩鉱山を攻めた」


 机上で、拳をついーっと滑らせる。


「自業自得じゃんね」

「ほんならシッスイ氏はどう対応したかっていうと、略奪しまくるハンビット軍から領民を保護したんだ。義勇兵を集めてハンビット軍と戦って、土地から叩き出したらしい」


 滑らせた指を横からひっぱたいて、ぱっと拳骨をほどく。


「おおお? いい人?」

「難しいでしょ」


 ヴィータは顔をしかめて腕組みした。


「んー……このエピソードトークだけじゃ掴めんねえ」

「我欲の充足に淫する愚者か、救民に身命を賭す無私の英雄か。一筋縄ではいかない男だろうね」

「味方にできたらいー感じじゃね?」


 俺はうなずいた。


「まあ結局、交渉次第だね。そこはニーニャさんとヴィータさんに任せるよ」

「おけまるっ! おじぴはなんかあったら暴れてどーぞ」

「ミストラってくわ」

「よっ、ミストラール」


 もうこのイジリにも慣れてきたっていうか、これがないとすわりが悪いくらいだよね。


 というわけで、方針は決まった。今は動じず、ジリー・シッスイからの要求が来るのを待つ。



 豪族ジリー・シッスイの支配領域は、丘陵に深く切り込んだ谷あいの地だった。


 禿げあがった丘の上に、シッスイの居館がある。


 修繕されていないぼろぼろの建物は、土塁と、痩せた枯れ木の逆茂木で守られている。

 館からはガラスというガラスが失われ、窓には、蝋を引いたぼろぼろの亜麻布がかけられていた。


 椅子に座ったノブロー・コッデスは、痩せこけた壮年の男がうろうろするのを眺めていた。


「あぶぶぶぶぶ」


 男は、親指の爪を噛みながらノブローの前を行ったり来たりしている。


「なんで……なんでこんなことになるんじゃあ!」


 男は絶叫した。


「ジリー・シッスイ……」


 ノブローは、やや同情的な声で男に呼びかけた。


「わしゃ言ったはずじゃ! 畏れ多くもニーニャ殿下に弓引いた件、深く謝罪したいと! その使いになってほしいと!」


 噛みちぎった爪の先が、ジリーの下唇に貼りついた。


「でなんで誘拐してくるんじゃあ!」

「たまたま見つけたから、と言っていましたよ」


 飛んできた爪のかけらを避けながら、ノブローはジリーに応じた。


「おかしいじゃろ! 論理が! なんじゃその、どんぐりを拾ってくるみたいな! それでお代官を攫ってくるあほがどこにおるんじゃあ!」


 ノブローは礼を失しない程度に笑った。


「うううっ!」


 ジリーは腹を抑えてうずくまった。


「向いてない……わしゃ向いてないんじゃ、こんなこと! 最初っから向いとらんかった! わしゃただ、父上の財産を引き継いで豪遊したかっただけなんじゃ! だのにハンビットのくそばか能無しソシオパス僭主せんしゅが……違う違う、偉大なる陛下が攻めて来られて、領民が、塩鉱山に逃げて来るもんじゃから……」

「頼られて、放っておけなかったんですね」

「放っておけばよかったんじゃ! 領民なんぞ見殺しにして、うまく立ち回れば今こんなことには……爾来じらい三十年! 貧乏で! 民も飢えて! くそあほげろくそ地侍じざむらいのダン・パラークシがいつも略奪しに来て! 兵がぼんくらあほんだら廃王女の……違う違う、ニーニャ殿下の土地から食い物を奪って、おまけにお代官まで誘拐して! あぶぶぶぶ!」


 ジリーは人差し指の爪を噛みはじめた。ノブローは立ち上がった。


「お茶を淹れましょうか、ジリーさん。私、ホップをいくらか持ったまま誘拐されたんですよ」

「ううう……わしゃ、わしゃあ……」

「さあ、ジリーさん。座って待っていてください」


 さめざめと泣くジリーに、ノブローは優しく声をかけ、暖炉でお湯を沸かした。


 刻んだホップをひび割れたティーポットに移し、湯を注ぐ。蒸らしているあいだに、カップの埃をぬぐう。


「どうぞ」

「こりゃ、ううう……かどわかされた身の上で、どうしてこんなにご親切に……」


 ジリーはホップティーをすすりながらまた泣いた。


「どうも、ジリーさんの身の上が他人事とは思えないんですよ」

「そりゃあまた、どういうことで?」


 ノブローはお茶の苦味をゆったりと味わいながら、話を組み立てるような間を置いた。


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