いつか話すよ、ローヌ

 さて、肉キノコ事件から数日後。


 お屋敷の庭の四阿あずまやで、モッタ村のリッケン村長、ノブロー、ニーニャが打ち合わせしていた。

 俺とヴィータは、かたちばかりの護衛役だ。


「では、はい、減免に関しては、ええ。こちらのリストをもとにですね、今年分を、これぐらいの率ということで」


 ノブローが差し出した書類をめくって、リッケンは目頭を抑えた。


「はあ、いやこれはもう、ありがたいことで……姫殿下にも、コッデス閣下にも、本当に、儂ら、ご迷惑のかけ通しで」

「そんなことはありませんよ、リッケンさん。ブラドーの水運が機能しているのは、モッタ村のおかげですから」

 

 優しく声をかけるニーニャには、為政者の風格がある。人をざこざこ罵っている最中に過労で失神した人間とは思えない。


「慕われてるよなあ、ニーニャさん」

「姫ぴ、飢えすぎて口減らしに合戦でもやるしかないような人らを、領内から集めたんだ」


 ヴィータが言った。


「荒れてっからねー、南部は」


 水利権だの、あの山のこの木を勝手に切り出しただので人は殺し合い、略奪し合う。ニーニャはたぶん、見てられなかったんだろう。


 不思議な子だな、と、改めて思う。

 机上演習で見せた指揮能力を、クーデターに振り向けようとしている廃王女。

 道化を演じ、貧しいひとびとに救いの手を差し伸べる優しい領主。

 二つの像が、まだ俺の中でうまく結びついていない。


「ではその、儂はそろそろ失礼して……」

「私はまだお茶を淹れてませんよ、リッケン・ボーデン。西洋庭常エルダーフラワーの、蒸らし時間を変えてみたんです。よく香りを引き出せました」

「いやっいえいえいえ! そんな、申し訳ない! これ以上は、これ以上よくしていただいたら、もう儂は眠れません! 何卒、閣下、何卒!」


 リッケンはびっくりするぐらい恐縮し、お茶の誘いをかたくなに断った。あんまりぽんぽん優しくされると、心の負債になっちゃうよね。


「では、次があれば私も殿下のご行啓ぎょうけいに相乗りしましょう。みなさんにぜひとも振る舞いたいですからね」

「はい、それはもうそのときには、必ずや……」


 何度も何度も頭を下げ、リッケンは四阿を辞した。

 それから、ニーニャとノブローが二人きりになった。


「贅沢をしすぎましたね。すこし引き締めないと」


 ニーニャは髪をぐしゃぐしゃっと掻いた。


「殿下はもうすこし、遊ばれてもよいかと思いますよ」

「そうですか?」

「西部の方では、どじょうの淡水養殖が流行っているそうです。なんでも、きれいな縞模様を出すのが難しいとか」

「ふうん。まあ、機会があったらというところですね」


 ぎこちない会話だった。ノブローはめっちゃつまんなそうな趣味を勧めたし、ニーニャはなんだか気もそぞろだった。


「ところで、その、ノブロー。今日はすこし暑くありませんか?」

「そうでしょうか? 南部らしい、よい日和と思いますが」

「いえ、暑いです。わたしだけかな? それで、その……なんか喉が、乾いちゃったかなー? って」

「ああ、これは失礼しました」


 ノブローはいそいそと立ち上がった。


「レモンと重曹ですね。ご用意できてますよ」

「やっ、その……ちが、くて」


 ニーニャは顔をまっかにして、うつむき、ふとももの間に合掌した手を突っ込んでもじもじした。


「あの、ね……」


 葉擦れのざわめきにもかき消されそうな声で、ニーニャは言葉をつづけた。


「ほんとは、ノブローの淹れてくれるお茶……好き、なんです」


 ノブローは一瞬、あっけにとられて目を見開いた。

 すぐに、笑った。


「お淹れしますよ、殿下。とびきりおいしいうがい薬を」

「ううー! ほんとにごめんなさい悪い言い方しちゃいました!」


 ニーニャは顔を両手で覆い、足をばたばたさせながらも、きちんと謝った。

 

「ヴィータさん、ミカドさん。よかったら、ぜひ。今日のお茶はきっと、私の生涯で一番のものになるでしょうから」

「ありがたくご一緒しますよ、ノブロー・コッデス」

「ノブぴ、お茶請けは?」

「もちろん、ジャムにしたうがい薬です」

「もぉー!」


 ニーニャが怒鳴って、俺たちは笑った。


「ああそうだ、ノブローさん」


 椅子に座りながら、俺は切り出した。


「こないだの話、お請けしたいんだけどいいかな?」


 ノブローは、お茶を注ぐ手を止めて俺をまじまじと見た。


「とっ、しょっ、その、それはつまり、むっむか、当家の食客としてミカドさんを迎え入れられさせられていただけられるということで!?」


 おかしくなっちゃった。

 そんなに成功率の低いお誘いだと思われてたのか。


「やったじゃん。おじぴよろしくー。うぇーい」


 ヴィータが両方の拳を突き出して来た。俺は拳をごつんと合わせた。

 それから俺は、けっこうびっくりした感じの視線に気づいた。

 ニーニャが、目をまんまるにしていた。


「あ、ごめんねニーニャさん、頭ごなしに話しちゃって。問題ない?」

「問題というか……ありがたいんですが、すこし意外でした」

「そう?」

「失礼なお話ですけど、明日にでも、ふらっと消えてしまいそうに見えたので」

「あー」


 俺はあーって言った。読みが鋭いな。たしかにばっくれるつもりでいた。


「ちょっとした約束を思い出してさ。ここなら、果たせそうな気がしたんだ」

「約束?」

「そう。ほんとにちょっとしたやつね」

「どんな約束なんですか?」

「まーあまあまあ、それはいーじゃん姫ぴ。置いとこ置いとこ。調練済みの騎兵千騎拾ったみたいなもんだし」


 ヴィータが気を利かせ、間に入ってくれた。


 まだちょっと、ローヌの話をする勇気は出ない。うまく伝えられる気もしない。


「いつか話すよ、ニーニャさん」


 藍色の髪に面影があったよって、今日は素直にお願いできてたよって、まあとにかく俺たちなんとかうまいことやれそうだよって。



 いつか話すよ、ローヌ。

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