大陸でもっとも安全な子ども部屋

 自失していた連中が我に返り、もろもろ、片付けはじめた。


 グールは、お詫びのつもりか乾燥肉キノコを差し出してきた。村人は愛想良く固辞した。受け取るわけないだろ。


「イル・フーのガッシュは、二度とニーニャ・ブラドーを狙わない。なぜなら、迷惑をかけたからだ。そして、ストロースのミカドに恩義を感じたからだ」

「そりゃどうもね、助かるよ」

「いずれロシェ山脈に来い、ストロースのミカド。イルはおまえを歓待するだろう」

「肉キノコで? 絶対に嫌なんだけど」


 ガッシュは笑った。


「ピザを用意しよう。うまかったから、おまえに食わせたい」


 そう、俺たちは初夏のピザ祭りを再開したのだ。グールも混ざったが、異論はなかった。

 事件の原因がグールなのは間違いないが、尻ぬぐいをしようとはしたし、結果として誰も死んでいない。

 ガッシュが最初に飛び出さなければ、何人か肉キノコに食われていただろう。


「必ず来い、ストロースのミカド。グールのねぐらは快適な環境だし、イルはおまえを歓待したい」


 ぐいぐい来たな。困ったぞ、悪い気がしない。どっかいいタイミングでお邪魔しよう。


「そのうち行くよ、イル・フーのガッシュ。ありがとね」


 ガッシュは満足そうに頷き、羚羊を駆ってロシェ山脈に帰っていった。


干魚ひぎょが八斗、燻し青麦が二石……よし、間違いなく納入できたな」


 バーレイ荷駄部隊は、パールの指示の下、荷物を倉庫に運び込んだ。


「僅かではあるが、当座を凌いでくれ。殿下は、必ずやお前たちを豊かにしてくれるはずだ」

「ええ、ええ、そりゃあもう……もちろん、そりゃあ……」


 パールの手を握り、村人はうれし涙を流していた。


「減免については、ノブロー・コッデスも交えて後日お話を詰めましょう。リッケンさんにはお手数をかけますが、荘館まで足を運んでいただくことになるかと思います」

「ええ、はい、姫殿下、はい」

「賊の対策ですが、まずはシッスイ氏との窓口を探ります。こちら側に引き込むことも考えたいので」

「はい、もちろんそれは、姫殿下のご随意になさっていただければ……」


 ニーニャは老人――リッケンはどうやらモッタ村の村長だったらしい。いの一番にピザを食ってたわけだ――とまじめな話をしている。


 で、俺はというと、なんかどうでもいい、その辺の木にもたれかかっている。

 フルバフで戦ったあとの虚脱感がひどい。呑まず食わずで丸一日過ごしたみたいな気分だ。ぐったりして、体が小刻みに震えて、頭がぼーっとする。


「おじぴー! やってっかー?」


 ヴィータが肩からぶつかってきた。


「よっ! ミストラール!」

「もういいよそれで」


 俺は諦め気味で言った。好きなだけイジってくれ。


「腕ありがとね、治してくれて」

「いーしそんなの。ほら、ピザ食べなピザ」

「おー、食べる食べる」


 受け取って、かじる。


「うまいねー。あー……あ、うまいわ。うん、うまい」

「でしょー? ノブぴのレシピよ」

「あの人ピザまで作れんの? 天才か?」


 チーズがとろとろで、生地はかりかりもちもちで、なんだろうなこの香り、にんにくか、結構しっかり効いてていいね。パンチェッタも脂のところがぷりっぷりだし、なによりカラシナがえらい。ちょっと焦げててさくさくして、ぴりっと辛い。えらいわ。


「おおお……回ってきた、あー回ってきた、チーズが回ってきた。効くねえ」

「おかわりまだあっからね。チーズがんがんキメてけー?」


 野暮だなー人体。油脂と小麦ですぐ元気出てきちゃったよ。


「姫ぴ! おじぴ元気出たって! いっしょにありがとするよ!」


 ヴィータがニーニャを手招きした。


「え? ああ、ええ、そうですよね……はい、感謝、ですよね」


 ニーニャは、なんかもじもじしながらこっちに近づいてきた。


「あ、の」


 で、俺の前でもずっともじもじしてうつむいていた。


「さっき、その……助けてもらって、あの」

「むしろ、出遅れてごめんだよ。ニーニャさんが傷つく必要、どこにも無かったんだし」


 みんなが必死で戦ってる最中、俺はガタガタ震えていた。なにが尖風ミストラルだよ、そりゃヴィータにイジられるよ。


「あっ、それで、あの、ミカドさんが、あの、わたしに」


 なんかパールみたいになってるけど大丈夫かな。やっぱり疲れちゃったよな。


「こっ、なんか、子ども、部屋、みたいな? その……」

「言ったね俺。意味分かんないことを」


 思い出したら恥ずかしくなってきた。なにを口走ったんだ俺は。子ども部屋になるってなんだよ。概念だったの?


「ぐううう……ん、んんんんん……」


 ニーニャはきつく目を閉じ、拳をぎゅっと握り、ぷるぷるした。

 俺は固唾を呑んで見守った。 


「んんん……んくくくくくくくっ!」


 くわっと見開いた目の、下まぶたがじわじわつり上がっていった。眉根がじわじわ持ち上がっていった。


「なぁーにぃー? もしかしてぇー、ニーニャのパパになりたいのぉー?」


 出た出た出た、渾身の持ちネタ出てきた。


「パーパっ♡ねえねえうれしいですかぁ? もっかい呼んであげましょうかぁ? お父さん♡んくくくくっ!」


 ニーニャは両のげんこつを口に当て、どたばたした。


「ごめんなさいやっぱり無理でしたぁ♡無職の子ども部屋おじさんは無理なのぉ♡ざーこ♡ざこおじさん♡無収入でかわいそう♡むしろぉ、ニーニャがママになってあげよっかなぁー? だってニーニャの方がぁ、資産よわよわおじさん♡よりお金持ちなんだもん♡」

「……姫ぴさー」


 ヴィータは頭を抱えた。


「いやまあ、来るかなー? とは思ってたからけっこう平気だよ」


 無収入の煽りはかなりこたえたけど。


「ざーこ♡ざー……ふわぁあああ」


 ニーニャは、だしぬけにでっかいあくびをした。


「あれ? なんか……あれ? ねむ……」


 よたよたっとその場で危ういステップを踏み、くりんと一回転し、俺めがけて無防備に倒れ込んだ。


「ええ? なになになに、どうしたのニーニャさん」


 ずるずるっと滑り落ちていったので、肩を掴んで立たせようとする。それでももうなんか、骨を全部ひっこ抜かれたみたいにぐにゃぐにゃだったので、仕方なく俺はニーニャを抱き上げた。


「すー……すー……ぴすっぴすっ」


 めちゃくちゃ寝てるし、ちょっと鼻が詰まってる。


「全部の疲れがいま出たね。ぶぁー出たね」

「なるほど」


 ニーニャ、疲れが鼻粘膜の弱りに出るタイプなんだ。分かる、辛いよな。


「はーんそかそか、子ども部屋ね。おじぴ言ってたじゃんねそういえば」


 ヴィータがにやにやしながら俺を見た。どうぞいじりなよ。ニーニャ以上のことにはなんないだろうし。


「よきっ!」


 俺の背中をばしばし叩くと、ヴィータは上機嫌でバーレイ荷駄部隊の方に向かっていた。


「ウチら先帰るね。騎士ぴ、ごめんけど散らかったの直しといてくれる?」

「うむ、承知した。殿下は……」


 パールは視線をあちこち動かし、俺に抱かれたニーニャを見た。


「そうか」


 一言呟き、微笑んだ。


「子ども部屋でお休み中。ゆっくり寝かせたいじゃん?」

「実にな。殿下が寝御しんぎょされるにふさわしい、大陸でもっとも安全な子ども部屋だ」


 それ流行らせるつもり?

 本当にやめてほしい。

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