メスガキ廃王女の隠し部屋
異様に疲れるお茶会を終えて、荘館に戻った。あてがわれた部屋のベッドに倒れ込むと、そのまま気絶するみたいに寝て数時間。目を覚ますとまっくらだった。
抜き差しならないレベルで腹が減っている。実家を追放されてから、炒った大麦粉を湯で練ったくだらないものしか食ってなかった。苔桃を十粒ぐらい食ったところで満たされるわけがない。
俺は手燭を持って部屋の外に出た。主棟に厨房があるのか、炊事棟が別にあるのかは知らんが、使用人の一人でも捕まえて訊ねればいいだろう。
ああ、肉が食いたい。塩っけの強い鴨のパストラミにかっちかちのチーズを乗っけて、死ぬほどホップの効いたビールで流し込みたい。
月光が差し込む屋敷をさまよっていると、不意に、呼ばれるような感覚があった。
魔力の流れは、慕情に似て感じられる。切なくて甘ったるく、抗いがたい。神々がそうしたのだろう。ねずみ取りの内側に、スプーン一杯分の粥を置くように。
俺はふらふらと、流れに吸い寄せられていった。
扉を押し開けると、ばかでかい書架の並ぶ図書室だった。これまたばかでかい出窓の向こうには、やっぱりばかでかいバルコニーがある。
ご丁寧にガラスのはまった戸棚の奥には、人文学者の書いた聖典解釈書や哲学書、通俗小説だのの本がずらりと並ぶ。
この図書室ひとつで、ストロースの荘館がまるごと買えるだろう。敗戦国の貧乏侯爵なんてそんなものだ。わずかなガラスを後生大事に抱え、荘館から荘館に移動するような生活だった。俺はどこに移り住んでも子ども部屋おじさんだったけど。
燭台の火で照らして、書名を眺めながら歩いた。蔵書には、どこか奇妙な欠落があった。それがなんなのか、いまいち正体が分からない。絶望的に腹ぺこだったし、強すぎる魔力が胸を切なくさせていた。
図書館、大量の水、霧深い森の奥。そうした場所では、比較的容易に高度な魔術の仕掛けを施せる。空間が、神の住む場所の模倣として機能するからだ。
俺は、ひとつの戸棚の前で立ち止まった。魔力がそこから流れ出していた。なんらかの魔術的儀式が、雑に秘匿されている。
「
俺は
右の瞳が“黄色い印”に変状する。星辰を刻んだ護符が背後に生じる。
指先を、書棚に伸ばす。水面に触れたように、空間が波打つ。魔力を流して、儀式を搔き乱す。
俺はそのまま、一歩前に進んだ。体が、戸棚を通り抜けた。
八角形の、小さな部屋だった。
壁には簡素な書棚が並び、部屋の中央には机があった。
書棚に並んでいるのは、兵法書や歴史書、戦術論など、軍事学関連書籍のたぐい。それから統治技術論。蔵書の違和感が、これで解けた。表の図書室には、この手の本が一冊も並んでいなかったのだ。
机には、地図と駒。明らかに机上演習のあとだ。そして机の横には踏み台。背の低いやつが、この隠し部屋で戦術だの戦略だのを練っているらしい。
床に落ちていた手紙を一通、拾い上げてみる。ざっと読んだ限り、さる宗教騎士団が所有する荘園の生産物目録だ。
問題は、この手紙に書かれている宗教騎士団が、俺の知る限りアルヴァティア国内に存在しないということだった。
地方領主が私腹を肥やすのによくやるやつだ。宗教騎士団の荘園は、慣例的に不輸不入権を持つ。つまり、宗教騎士団をでっちあげ、寄進地という体で土地開発すれば、収益はまるごと領主のもの。
それを、人の好さそうなノブロー・コッデスが? ありえない。彼は帳簿をつけていない。
……じゃあ、誰が?
そのあたりで俺はようやく我に返った。
ありえないぐらいめちゃくちゃやばいものを見てしまった。動揺と低血糖で冷や汗が止まらない。
「ミカド・ストロース? ここでなにを?」
冬の夜よりもなお冷たい、底冷えのする声がした。
ニーニャ・ブラドーが、隠し部屋の入り口に立っていた。
体のラインが透けて見えるような、絹のシフトドレス姿。
深紫に縁どられた紺の瞳は、凍てついている。
「んくく――」
凍ったままの表情で、ニーニャは嗤った。
「仕方のない人ですね、ミカド・ストロース」
ニーニャの周囲で、魔力が渦巻いた。
藍色の髪が、ぶわりと広がった。
ニーニャは、背に負った
なめらかな造作と深い銀は恐らくミスリルめっきだが、ところどころ剥がれ落ちて黒い地金が覗いている。先端の槌部は百合の柱頭に似て球状。
「おいで、もふ
指揮状を手の中でくるりと回し、槌部で床を打つ。
こおん、と、澄んだ音が鳴る。
杖の触れた場所から同心円状に広がった青い光が、直径一メートルほどの魔法陣を描く。
「
召喚獣――命令文の束を魔力で包んだ、魔法知性体――の生成を可能とする上位ジョブだ。この若さで習得するのに、どれほどの努力と才能が必要だろうか。
足が震えて、吐き気がこみあげる。また戦わなくちゃならないのか? 俺は別に相手を恨んでもないし、積極的に争うつもりもないのに。
ニーニャが指揮杖を持ち上げると、魔法陣から一匹の召喚獣が這い出した。
「おお?」
なんか、猫だった。
異常にでかいとか口を開けたら牙がビッシリ並んでるとかじゃなくて、どう見ても普通の猫だった。
目つきが悪くて、毛がふっさふさで、足が短かった。
「オアアアアア」
猫は威嚇するように低い声で鳴いた。
「どうですかぁ? この子は
「オアアアアアアア」
ニーニャは嬉しくてたまらないと言ったように両のげんこつを口に当て、足をどたばたさせた。
「んくくくくくっ♡おじさんだっさーい♡ねえねえざこおじさん、怖かったら泣いてもいいんですよぉ?」
言うねえ。
「ニーニャのかわいくてかっこいいもふ吉にぃ、泣いて謝ったらぁ、かわいそすぎて許しちゃうかも♡にゃんにゃん以下のざこおじさん♡恥をいっぱい晒しちゃえ♡ニーニャがぜーんぶ見てあげる♡♡♡」
ハの字に曲げた眉の下で、一瞬、ニーニャの視線が動いた。
「
「ほんとごめんねニーニャさん、でも責任は
ニーニャの両腋にずぼっと腕を差し入れ、そのまま持ち上げる。
「わひゃあああああん!」
「オアアアアアア」
ニーニャが絶叫し、もふ吉が威嚇する。
「やっば!」
まっすぐに繰り出された刃が、ニーニャの胸の前で、ぴたりと止まる。
「……っぶなー」
気の抜けた声。刃が下がっていく。
「よっ、ミストラール」
やめてよ、その手の煽りは本当にしんどいから。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます