冬戦争

「まずは、ミカドさん。殿下をお救いくださり、ありがとうございました」


 ノブローはふかぶかと頭を下げた。


「やー、成り行きですよ成り行き」


 しかもむちゃくちゃ罵倒されて心に傷を負ったし。


「相手はグールだったのでしょう? それも複数です。ミカドさんがいなければ、殿下は今ごろロシェ山脈で震えていたはずです」

「どうっすかね。相手にやる気がなかった感じしましたけど」

「グールにも、力量差を推しはかるだけの知性があったのでしょう。大陸広しといえど、あなたほどの星辰剣士ゾディアックフェンサーは二人といませんから」


 すんごい褒め殺してくるね。

 いやな予感がするんだけど。


「まあ、そう固くならないでくださいよ。あなたと私は、ルッツェン魔学院アンスティツの同窓なんですよ」

「え、そうだったんすか? わー意外だな、そんならオージュ師匠もご存じですか?」


 ルッツェン魔学院は、俺が星辰剣士ゾディアックフェンサーとしての修行をつけてもらった場所だ。こんなところで先輩に出会うとは思わなかった。


「ルッツェン公とは、それほどお会いする機会はありませんでしたね。私は人文学の方でして。もっとも、何本か論文を書いた後、出仕のために王都を目指しましたから。途中で抜け出したようなものですよ」

「えー意外、えー、そうなんだ。へぇー」


 懐かしい名前を聞いてしまったなあ。


「どうでしょう、ミカドさん。同窓のよしみで、ひとつお願いがあるのですが」


 うわ、ガード下げたところにいきなり来られた。うまいなー、ノブロー。

 さて、子ども部屋おじさんに何をさせるつもりだ?


「当地の食客としてあなたを迎え入れたいのですが、いかがですか?」

「食客すか」

「ええ。待遇はお約束しますよ。主棟のいっとう良い部屋をお使いください。お一人がお好きでしたら、湖畔に農園と小作人付きの別宅もあります。もちろん、無茶は言いません。ただ、この地に留まっていただければ」


 好待遇すぎる。

 どんな事情があったら、廃嫡されたばかりの子ども部屋おじさんに湯水のごとく金を注ごうという気になるのだろう。


「やー、なんかこう、聞いてると耳が気持ちよくなっちゃいますね」


 俺が皮肉を言うと、ノブローは困ったように笑った。その笑顔で、良心が痛む。人がよさそうだから、こういう言い方刺さるだろうなーと思って言ったんだけど、ちょっとこう顔のつくりがあまりにも善人なんだよな。


「ノブぴ、はっきり言っちゃいなよ。ウチら親帝国派にも反帝国派にも目えつけられてるって」

「ヴィータさん、それは……」

「いいすよ、なんとなーく事情は想像つきますし」


 十年前の冬戦争で、俺たちアルヴァティアは、カルタン伯国に敗北した。


 カルタン辺境伯ヨット。帝国の選帝侯がうち一人。

 ヨットはロシェ山脈の“黄金門”と、更にその先、マルガリア共和国の不凍港を求め、南下政策を採った。山間の小国家アルヴァティアは、カルタン伯国にとって通過点に過ぎなかった。

 相手は大陸の三分の一を領土とする強固な帝国。俺たちは氷河が削った平地にへばりつくクソザコ国家。ふつうに考えて、勝負になんてなるわけがない。ぺっしゃんこに踏みつぶされて終わりだ。

 

 まあなんかいろいろあって、帝国の属州になるところまではいかなかった。負けはしたが最悪の負け方ではなかったわけだ。しかしカルタン伯国は、あれやこれやの離間工作でアルヴァティアの貴族を二つに割った。

 つまり、反帝国派と親帝国派だ。


 先王アールヴは処刑され、王妃ローヌは戦死した。玉座には、アールヴの弟である“幽閉王”ハンビットが就いた。

 アールヴの血を引く廃王女ニーニャは、反帝国派に残った最後の希望だろう。一方で親帝国派にとっては、邪魔すぎて今すぐへし折りたい旗印だ。


 ブラドーの食客になるということは、そういったあれやこれやに巻き込まれることを意味する。


「んー……」


 マルガリアで港湾労働の果てに野垂れ死ぬか、ここで政争に身を投じて果てしなくめんどくさい思いをするか。これはなかなか難しい。どっちも同じぐらい魅力的だね。


「先ほども申しましたが、私はミカドさんが廃嫡されたことを聞き及びまして。大侯爵家もとうとう終わりかと嘆いていた折、ニーニャ殿下をお救いになられたと急報が入ったのです。これはまさに、神の配材です」


 ノブローに痛いところをつかれ、俺はうなった。

 そうなんだよなあ。

 俺、廃嫡されちゃったんだよなあ。

 子ども部屋おじさんですらないよもう。単なる住所不定の不審者だよ。


「お茶のおかわりはいかがですか? 苔桃は?」

「いただきます。あー……その、なんでしょう。俺、たぶん役に立たないっすよ。グールと戦って、気絶しちゃいましたもん」

「やー重かったね、おじぴ。みっちり筋肉詰まってる重さだったね」

「あ、ヴィータさんが連れてきてくれたんだ? ありがとう」

「気にすんなー? 役得役得。っしゃ筋肉来たと思って胸揉みまくったし」

「うそでしょ? とんでもねえセクハラされてんじゃん俺。二度としないでくれるかな」

「おけまるっ」


 ヴィータは顔の脇で横ピースした。しかも両手。絶対にまたやるときの態度だ。意識がないときに胸を揉まれたらどんな気持ちになるか、いったん立ち止まってちゃんと考えた? 仮に同衾中の恋人だとしても乳輪でギリだし乳首までいったら完全アウトでしょ。それが見知らぬ他人相手ともなれば何をか言わんやじゃん。


「ええと話戻しますね。あのー、俺、まあ情けない話なんすけど、戦うのがダメになっちゃったみたいで。過呼吸になって気絶しちゃうんですよね。だから廃嫡されたんすけど」

「それは……しかし、ストロース卿のご判断は性急に過ぎると思いますよ。あの戦争の傷は、たやすく癒えてくれるものではありません。とくに、あなたのものは」


 ノブローは心から気の毒そうな顔で俺を見た。なんだろう、そう言ってもらえるだけで救われた気持ちになるよね。


「そして私も、きっとストロース卿と同じ過ちを犯しているのでしょう」

「それでも、俺が必要なんすか?」

「それでも、あなたが必要なんです。殿下のために」


 あーあーあーあーもぉー。

 そんな誠実な声できっぱり言われちゃうとさー。

 

「……ちょっと考えさせてください」

「ええ、ええ! もちろんですとも!」


 ノブローはめっちゃ笑顔になった。


「どうぞしばらくは、ゆっくりと逗留なさってください。無理は申しませんから! ああ、これは楽しみですねえ。蜜煮とお茶を毎日ご用意しますよ!」


 いやどうも、こいつは参ったね。

 前向きに考えれば、お茶と蜜煮は楽しみだよ。それは本当。

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