菩提樹茶と苔桃の蜜煮

 意識を取り戻すと、なんだか全身余すところなくふかふかだった。

 光を感じて目を開ける。ガラスのはまったばかでかい窓から、陽の光が差し込んでいた。

 どうやらベッドの上に寝かされている。


 ぶあつい布団をかきわけて、俺は比較的のろのろとベッドから這い出した。

 窓から見下ろす景色は、丘の上に広がる、手入れの行き届いた庭園。

 ゆるやかな斜面には、樹間を密に茂る菩提樹の林。

 丘のすそ野から広がる、作付けを終えたばかりのとうもろこし畑。


 アルヴァティア南部の典型的な田園風景だ。

 このあたりでは、ロシェ山脈から吹き下ろす春の尖風ミストラルが霜害を引き起こすため、小麦が育てられない。そのため、とうもろこし栽培が一般的だ。


 となると俺が今いるここは、ブラドーの荘館で間違いないだろう。南部でこれだけ土地と小作人をぜいたくに使える封土は他にない。


「起きていたんですね、ミカド・ストロース」


 扉の開く音と同時に、皮肉っぽい声がした。


「おはよう、ニーニャさん。もしかして助けてくれた? そうならありがとう」

「いいえ、お互い様です。ノブロー・コッデスがお会いしたいそうですが、平気ですか?」

「ん? あー……はいはいはい、分かる分かる」


 俺は記憶から名前と役職を引っ張り出した。

 ノブロー・コッデス五等官。爵位を持たない一代貴族だ。もともとゾートーン伯ブザンバルの代官をやっていたのが、先王アールヴの一存でブラドーを治めることになった。


 その話を聞いたとき、すげー気の毒だなと思ったからよく覚えている。元王家の領地を切り盛りする人生って、絶対に嫌だよね。王族特有のわがままで振り回されそうだし。分かんないけどなんか、とうもろこしみたいないやしい食い物なぞ口に入れたくない! とかだだこねられそう。


「ご挨拶ぐらいしとかないとだね」

「案内させます。ヴィータ、入ってきて」

「ういーっすー」


 ダルそうな声とともに、ダークエルフの女がのっそり部屋に入ってきた。銀髪翠眼と褐色肌、そして長身。諸邦中部の血を感じる。


「あ、どもー。ヴィータ・天下無双。姫ぴのー、なんか、使用人兼家庭教師? そういうやつ。おじぴよろしくー」


 ダークエルフは顔の脇で横ピースした。

 出てきた瞬間に情報量の塊だな。


「そんじゃおじぴ案内すんね。姫ぴなにしてる?」

「図書室にいます。では失礼、ミカド・ストロース」


 一礼し、ニーニャは去っていった。物腰にも言葉遣いにも、洗練された気品を感じる。生死のかかった状況で俺への罵倒に手を尽くしていた相手とは思えない。


「うーし行こっか、ノブぴめっちゃ待ってっから」


 さっさと歩きだしたヴィータについて、部屋を出る。玄関ホールを見下ろす、吹き抜けの廊下だ。


「おじぴのこと一回でいいから見てーっつってたし」

「見たいって、そんな珍しい生き物みたいな扱いなの?」


 先を歩きはじめたヴィータに、問いかける。


「つか見たくない人いる? ウチは諸邦しょほうだけど、“尖風ミストラル”とか“氷原の五連星いづらぼし”とかよく聞いてたし」

「うわーやめてそういう、なんだろ、二つ名みたいなやつ。俺がスベったみたいになっちゃうじゃん。自称したこと一度もないのに」

「よっ、ミストラール」


 初対面でめちゃくちゃイジってくるし、効きすぎて泣きそう。いや、いかれてるのはそんな二つ名を思いついて勝手に呼びはじめた連中で、俺が恥じることはひとつもないんだけど。


「ヴィータさん、やっぱり諸邦の出身なんだ?」


 俺は慌てて話題を切り替えた。

 エルヴン=ドワーゼン二重帝国、あるいは諸邦。ドワーフとエルフの産地だ。

 銀髪も翠眼も、交雑ざれば容易に消えてしまう。混じりっけなしのダークエルフをアルヴァティアで見かけることは少ない。


「そだよ。結婚させられそうになったからさー、実家ばっくれたんだよね。あっちこっちで家庭教師してたんだけど、姫ぴのこと気に入ったから居ついちゃった。つかウチのこといいっしょ別に」


 俺たちは階段を下りて、玄関ホールから外に出た。

 花壇が配された、感じのいい庭だった。並木道が玄関からまっすぐ通っている。目隠しの木々の向こうにいくつかの建物がある。醸造所だのレンガ工場だのだろう。


 代官ノブロー・コッデスは、庭のはずれの四阿あずまやで俺を待っていた。


「やあ、来ましたね! ミカド・ストロース! 救国の英雄が!」


 ノブローは立ち上がって両手を広げ、俺を出迎えた。俺は顔をしわくちゃにした。


「いやほんと、勘弁してください。廃嫡されたの聞いてませんか?」

「むろん、耳に届いていますとも。しかし、あなたがかつてアルヴァティアを、そしてこのたび殿下をお救いになったのは、しんじつ間違いのないことですからね。さあ、お茶を淹れないと! 苔桃リンゴンベリーの蜜煮を添えましょう。私が育てたんですよ」


 人のよさそうな顔をしたノブローは、錫のサモワールからポットを取って三人分のお茶を注ぎ、果実の蜜煮を瓶から皿に取り分け、椅子に落ちた土埃をぬぐい……まあとにかく、せっせと忙しく動き回った。


「だからノブぴさー、そういうのウチやるし。代官っしょノブぴは」

「いいんです、ヴィータさん。だってミカド・ストロースなんですよ。これが私の誠意というものです」


 止めにかかったヴィータが、諦めてため息をつくほどの勤勉さだった。


「さあ、すっかり用意できました。どうぞ、ミカドさん。座ってお茶にしましょう」


 腰かけた俺は、ノブローの、なんか期待する感じの目線に屈して苔桃を口に運んだ。


「ん……うっま」


 しばらくろくなもん食ってなかった事情を抜きにしても、うまい。甘さと酸味がちょうどよくて、とろけるような食感だ。


「ああ、お茶もいいな。染みる……ノブローさんが淹れたんですか?」


 菩提樹茶リンデンティーには、白樺バーチシロップが一さじ落とされている。菩提樹の花の甘い香りに、シロップのちょっと焦げた土っぽい風味がいい。アルヴァティアの農村の味だ。


「それはもう、私の仕事といったら土いじりとお茶くみ以外にないものですから。なにしろ殿下とヴィータさんは、おふたりで帳簿をつけなさるもので」

「ノブぴのお茶はやっばいよね。一生ウチにお茶淹れてほしいもん」


 ヴィータは、ちゃっかり座ってお茶をすすっている。使用人の貫禄ではないな。天下無双なるばかげた家名には聞き覚えがないけど、おそらく位の高い家の出身なのだろう。

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