第5話 消えない覚悟

 夏の終わりのある日、暑さはまだ続く中、今野の耳から掠れてはいるが希望に満ちた声が脳の奥に響いた。



 「だ・か・ら!これに応募しようと思うんです。アイドルになろうと思うんですよ」とあいかからの突拍子もない宣言に今野の頭の中は追いついてなかった。


 「急にどうした?」今野は素直に思った事を口にした


 「あたし、今野さんがおうちに来るようになってから、色々元気を貰えたんですよ。うんでね?今野さんみたいな大人になりたいなぁーって。誰かを熱心に応援できる人になりたいなあって」とあいかは話した。


 「はぁ」と少し照れながらも、やはり話を整理できていない今野にあいかは続ける。


 「でも、あたしどーやったらなれるか分かんなくて。特に取り柄というものもないなあーと思った時にこのオーディション見つけちゃって」あいかは嬉しそうに話す。


 「俺に何のになんでアイドルが関係するの?」と冷静に聞き返す。


 「だって、今野さんは我が家のアイドルじゃないですか?」


 「いや、いつからだよ」


 「始めからですよ?両親公認です。お母さんもたまに今野さんの夕飯作って置いたのに来ないって聞いて悲しそうにしてますもん」


 「夕飯の件はすまない。が!俺は石田家のアイドルになった覚えはない!」とまた、照れ隠しをしながら突っ込む。

 「嫌ですか?」あいかは、大きな瞳を潤ませて子犬のような愛らしい表情を作り、今野に話しかける。


 「嫌じゃないけど」今野は申し訳なさそうに答え、言葉を続ける


 「てか、アイドルになるってのは結構あれだぞ?要は芸能人になるってことだろ?」あいかは今野の問いかけに、自信満々に「はい!」と答えた。


 「そんな、重要な事俺に話しても」やっと頭の整理がつき、冷静に意見を述べた。

今野は首元のネクタイを緩めながら、こわもての額に付いている汗をハンカチで乱雑に拭いた。

 


 静かな沈黙と暑さが続いているのに少なくなった蝉の声だけが聞こえる。



 「今野さんはどう思いますか?」ハスキー声であいかは問いかける。


 「どうって言われても。俺お前の親とかじゃなくて担当の刑事だからな」と今野は戸惑いながら答える。


 「担当さんだから相談してるんじゃないですか!」あいかは、少しふくよかな体型だが、褐色の良い丸い顔と大きく綺麗な瞳は男心を掴む。乗り出した際にワイシャツの中の形がくっきり見えていた小玉スイカはテーブルに乗り出し、今野の目のやり場を困らせていた。


 「担当といっても昔の話だし。お前がもう悪さしないんだったら、もう担当じゃねーだろ」今野は、目線を逸らそうと窓を見ながら返答する。


 「でも、あたし頭悪いし、前科持ちだし、他に相談できそうな人いないし」あいかは悲しそうに俯く。


 「前科じゃなくて前歴な?それにお前はもう保護観察も解けるしもう大丈夫だろ」今野は気を落としている少女を慌てて励ます。


 夕日が見えだし、今野はあいかを家まで送る。玄関を開けた時、すっかり元気になった母親の様子が見えた。あの頃とは違う。母親に夕飯を共にするよう勧められるも、今野は一度断った。しかし、玄関まで来た厳格なあいかの父親の圧力に押され、渋々家に入り、夕飯を共にする。昔のような厳格な父親ではなかった。家族との時間を、自身が向かい合えなかった時間を取り戻そうと父親は不器用ながらもあいかと向き合っていた。



 今野は、家族として当たり前なこの瞬間がこの親子には似合うと感じていた。

 



 夕飯を終えると、父親は今野を自身の書斎に招き入れた。

 「何か私たちに話があるのでは?」夕飯の際に、気の抜けたように考え事をしていた今野を見て父親は穏やかに聞いた。

 今野は昼間のファミレスであいかからオーディションを受けたいという相談をされたことを話す。

 「お父様はどうお考えで」昼間の話を終えると今野は続けざまに父親に伺った。

 「私は今まで、あいかの気持ちも聞かずに自分の考えだけを押し付けてきました」ばつが悪そうに父親は俯きながら話した。

 「でも、今はあいかがやりたいことを応援して上げれるようになりたい。それに」少し間をおいてこう続ける。

 「初めてだったんですよ。14年間も一緒にいて、あんなに真剣な目で私に訴えてきたことが」少し微笑み、嬉しそうに語った。

 「今野さんがうちに来るようになってから、あいかだけじゃなく、私も、家内もなんとなく分かってきた気がするんです」


 「・・・なにを、ですか?」今野は再び尋ねた。


 「親としての役割を。だからね、あいかにも見つけて欲しい。あいかとしての役割を」すっかり明るい表情で照れることなく今野に話をする父親の表情は、ファミレスでオーディションを受けたいといったあいかにそっくりであった。



 「少し、親バカですかね」と照れ笑いを浮かべた父親に

 「そうかもしれませんね」と今野も笑みを浮かべながら返した。




 今野は書斎を出てリビングに向かう廊下を進みながら考えていた。芸能人になれば今のような生活ではなくなる。普通ならオーディションに落ちた時のことを考えるがあいかは受かってしまうような気がしていた。同年代の子に比べ、ひと際は目立つ愛らしさを持ったあいかを心配していた。折角、立ち直った家族の絆。しかし、この家族はまた、前に進もうとしている。あいかにとって、この家族にとって幸福な時間を過ごして欲しい。




 リビングに着くと、あいかはソファに座ってテレビを見ていた。

 「あー。お帰り!お父さんにしめられてたんですか?」冗談交じりで今野に話しかけた彼女の明るい表情を見て、今野は自身の役割に気付いた。

 「受けてみたら。オーディション!」今野の一言に大きな瞳はより大きく見開いた。


 オーディション当日を迎えた。まだ、中学生であったあいかは今野と同伴で会場に着いた。今野はまだ、迷っていた。あの時かけた言葉は間違っていなかったのか。今からだったら引き返せるのではないか。自身の肩より低い少女の横で、強面の顔はより際立っていた。


 「今野さん!リラックス、リラックス!オーディション受けないほうが緊張してどうすんですか!」と慌てて今野に突っ込みを入れる。

 「うん。でも、やっぱり、アイドルって大変だろ?週刊誌だって怖いし、私生活なんて普通に送りづらいだろ」今野はまだ、マイナスな思考を持っていいることをそのまま口にした。

 「いや、今野さん?見てくださいよ周りを!こんだけ他の子もいるんですよ?気が早すぎますって!」

 冷静に考えたらあいかの言う通りだった。オーディションには1万人近く参加する。参加者は今日以外にもいるというのにこの人数だ。一般的に考えれば落ちてしまうことを考えるはず。自身もあいかの父親のことを言えないなと反省していた。それに、人気プロデューサーのオーディションだけあって、周りにいる女子のレベルも高い。


 オーディションを終え、部屋から出た参加者の一人があいか達の方を見て、鼻で笑うような顔で通り過ぎて行った。目鼻立ちがくっきりとしていた。ハーフなのだろう。肩まで掛かったストレートヘアーをなびかせ自信に満ちた美女。身長は今野ほどではないが、あいかよりも断然高く、スタイルも抜群。今野は自信満々なウォーキングをする美女に見とれながら、つい目線が胸元に行ってしまっていた。




 「あのー。もしもし。今野さん?今日はだれの応援に来ているんですか?」面白くなさそうにあいかはハスキー声をより一層低くしながら今野に問いかけた。

 「胸だったらあたしの方があるでしょうに!」つまらなそうな様子で、両腕を組み、胸元にある豊満な果実を見せつけた。

 「そんなじゃねーよ」今野は少し声を張り上げてしまい、他の参加者たちの視線を集めてしまった。恥ずかしそうにしばらく俯いた。

 「ねー。今野さん?」暫く経つとあいかは今野に話しかけた。

 「今野さんはなんで、警察になったんですか?」しみじみとした表情で今野に尋ねる。今野に出会って2年ほど経つが、今まで聞いたことが無かった。

 「親が、警察官でさ」今野は暫く間を置くと、自身のこれまでの歴史を振り返った。

 「いっつも、事件事件ってあんまり家に帰らなくてさ。嫌いだった時期があったんよ。うんで、ある日俺さ。暴走族に入っちゃたわけよ」意外な過去にあいかは驚いた。


 「反抗期ってやつかな。警察を煽ったりしててさ、オヤジに対してのうっ憤を晴らしてたんよ」気恥ずかしさを交えながら続ける

 「ある時、トラックと衝突してさ。重傷を負たんよ俺。そん時オヤジが病院に来て重傷で動けない俺を殴ったんだー」あいかは今野の話に開いた口が塞がらない。

 「まじで、うぜーと思った。でもさ、オヤジ泣いてたんだよね。痛かったんだろうな」

 「痛かった?」あいかは不思議そうに聞いた。

 「人を殴ったらその分殴ったほうが痛いんだよ。どんなに悪いことした奴を怒っても怒ってるほうが辛いんだよ。オヤジはさ、そんなことを仕事にしてたんだなって大人になるにつれて殴られた時の光景を思い出すんだ」晴れた顔で今野はこう語った。

 「殴っていいのは殴る時の痛みを知ってなきゃいけない。怒る時は怒っているときに締め付けられる心の痛みに耐えなきゃいけない。間違ったやつを捕まえるときはそいつの人生に傷をつけること理解してなきゃなんない」淡々と語った今野の迷いは消えていた。

 「だからさ、あいかちゃんもアイドルになるんだったら、その覚悟忘れんなよ」

 あいか達の組が会場内に案内される。

 「行ってくる」一層気合の入った表情で今野に告げる。

 今野は何も言わず、右手であしらうようなしぐさを取る。いつも通り、照れているのを隠している事があいかにも伝わった。


 待合室から1つの大きな会議室のような部屋にあいかは入る。ここからは一人だ。あいかは席に着くと、自分の番が回るまで今野の言っていたことを思い出す。アイドルになったら何を理解するべきなのだろう。どんな痛みがあるのだろう。今野はなぜその苦しみを理解しながらも警察官になったのだろうと。




 あいかの順番が回ってきた。スタッフに誘導され天井につり下がった一台のスピーカー、3方向からあいかを撮影しているカメラの前まで進む。黒いTシャツからは、あいかの肩幅と胸の大きさが引き立っていた。ショートパンツから大胆に見える太腿は同姓でありながらも目を奪う。そして、肩まで掛かった黒い髪をたなびかせながら、センター分けからは褐色の良い肌、丸い輪郭とシャープな顎、大きな黒目が特徴の目は絶妙な配置にあり、見るものを魅了していた。

 



 「エントリナンバー4092 石田あいかです。14歳で、3月に15歳になります」

言葉にした年齢とは似使わない、堂々とした様子で自信を紹介する。

 モニター越しで見ていた若林やプリンスカンパニーのスタッフも皆、同じ感想を持っていた。この子は間違いなくダイアの原石かもしれない。審査員たちはあいかに事細かに質問した。長年、様々なタレントを見てきた。少しだけふっくらしていたが、プロの目からはこの子が将来どのように磨かれるかを想像しながら確信をもった。

 最後に春日Pがあいかに質問をしようとしていた。若林率いる他社員は一抹の不安を持った。これまで、春日Pは女の子にジャンプをしてもらい、胸の揺れを見ているのは確かだった。今回だけは辞めて欲しかった。

 「じゃー最後に軽く跳ねてください」春日Pは声色一つ変えずに注文した。若林は止めに入ろうとしたが、春日Pに右手で制止させられる。右手だけでなく、これまでの候補者の時とは違った真剣な様子は春日Pから周りを押しつぶすかのような圧迫感を与えた。


 あいかは飛ぶ。当然のように大きな小玉スイカは見かけの重量から想像つかない程弾けた。少し痛かったが我慢した。しかし、春日Pの要求は続いた。何度もジャンプさせ、時には小刻みに飛ぶようにも指示する。小玉は生命を吹き込まれたかのように上下に動く。若林は左隣の春日Pを殴りたい衝動を必死に抑えた。こいつは自分の欲望の為、オーディションを開催してる。しかも、今回の相手は中3だぞ?しかも、この子は売れる。確実に売れる子だ。

 そんな感情を持たれていることに気付かない春日Pは「ありがとうございました」と述べた。この意味不明は質問に女のが辞退してしまわないか不安を持った若林であったが、春日Pは珍しく質問を続けた。

 

 「君にとってのアイドルって何ですか?」春日Pにしては珍しくまともな質問だった。あいかは少し間をおいてから

 「わかりません」と素直にはっきり答えた。

 「じゃーなんでアイドルになりたいと思ったの?」春日Pは厳しそうな口調で聞き返す。質問の答えが浮かばなかったが今野の言葉を思い返す。

 「アイドルってどんな覚悟が必要ですか?」ふいに出たあいかの言葉は何の不純物を混じっていない真っ直ぐな質問だった。

 質問返しに少し笑みを浮かべた春日Pは

 「分かりました。ありがとうございます」とだけ返し次の参加者を向か入れるようスタッフに指示を出す。




 会議室から出てきたあいか。そんなあいかも至急迎える今野に




 「ダメだったかも」と呟く。

 「そうかぁ」あいか以上に気を落とす今野を見てあいかはこう続ける。

 「でも、なんか見つけられた気がする。あたしの覚悟!」そう明るく話すと両親が待つ実家に帰っていった。

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