第3話 アスファルトに咲くカスミソウ

 ある日の夕暮れ、3人の小学生たちは一斉に古い一軒家に入っていく。

 

 「ただいまー」元気よく小学生たちは玄関から帰宅したことを伝えると、靴を脱ぎ廊下を渡って、ダイニングにたどり着く。

 「おかえりー。みんな手洗ってきて」と細身の貧相な出で立ちの女性は子供たちに呼びかける。ベルトをしてなければ落ちてしまいそうな少しゆとりのあるズボンは大きすぎるからでなく、女性の体の細さからだ。上半身に来ているTシャツは襟元が弛んでいていかにも年季が入っていた。女性が屈むたび、肩に届かないくらいの髪の他に、襟元から縦に一本筋が入ったような谷間が見え隠れする。水風船のようなふくらみは弾むように形が変わる。正面から見れば、逆三角形に角が丸まったような輪郭の中には、口角が下がった小さい口と背が低い鼻、パッツンの前髪の下には困っているかのような八の字の細い眉、重たそうな瞼、小さいが潤んだ瞳の入った上三白眼があった。台所で夕飯の支度をしていたその女性に夕日が照らされる。


 「ただいまー」高校生3年生の長男が返ってきた。手洗いを済ませダイニングへの扉を開ける。


「お帰り」の声と共に夕日に照らされた女性の姿が視界に入る。長男は一瞬見とれてしまっていた。振り返った女性の首筋には胸鎖乳突筋が出ており、高校生の長男に何とも言えない背徳感を味わせていた。


 「お兄ちゃん邪魔!なにつっ立てるの?」とにやにやしながら後ろから帰ってきたばかりのツインテールの次女が声をかける。

 「帰ってきたんなら、ただいまぐらい言えよ」「あら、すーちゃん言ってたわよ?」と長男の指摘に対して不思議そうに弁明する夕日に照らされた女性。

 「また、真緒姉ちゃんに見とれてて気づかなかっただけでしょう」と次女は長男を茶化す。顔を赤くなった長男は

 「見とれてねーよ!それより真緒ねえ、ごはんまだ!?」焦りながらも話題を変えようとしていた。

 「もう少しでお米炊けるから待っててね」とかわいらしい声と共に夕日に照らされている真緒という女性は笑顔で答えた。

 

 6人家族の長女である真緒。父親は離婚しており、しばらく会っていない。働き者だった母親は真緒が高校3年生の時に過労で倒れ、そのまま亡くなった。6人兄妹の長女である真緒は一家の大黒柱として、昼間はスーパー、夜は居酒屋で働く日が続く。文句ひとつ言わず、働きに出かけながらも家事をこなす真緒は妹たちからも尊敬の眼差しで見られ、弟達からは自慢の姉として慕われていた。今日は真緒が仕事が休みであり、久しぶりに家族全員で夕食を迎えることができた。

 この瞬間が真緒にとっては至福のひと時であり、働き者の原動力となっていた。


 夕食が終わり、真緒と長男は小学生の弟たちを寝かしつける。次女も明日は部活があった為、大好きな姉との時間を過ごしたかったが、姉から「明日早いなら早く寝なさい」と諭され、仕方なく寝床についた。

 次女がなたことを真緒が確認すると


 「健司、、、大学のことなんだけどさ、、、」と申し訳なさそうに口を開く。

 「真緒ねえが気にすることじゃないって、俺は卒業したら真緒ねえ見たいに働く。

前にも話したろ?」と小声で真緒に答える。


 健司は幼いころから必死に勉強に励んでいた。その甲斐あって、高校に入ってからも学力はトップであり、私立高校の特待生として学校に通っている。学校の先生からも有名私大や国公立大を進められている。勉強熱心な健司は将来医者になりたいと夢があった。


 しかし、現状は厳しい。現在の稼ぎは姉のダブルワークと、長男のアルバイトのみ。どんなに優遇された条件を出されても、他の兄弟や真緒にこれ以上負担をかけさせたくない思いから大学進学をあきらめていた。


 次女である鈴も高校に入学したばかり。鈴は陸上選手としての才能があり、数々の名門校からの誘いがあった。その中には鈴が希望する高校もあったが、家計のことを考えた鈴は、学費を免除してくれるという高校を選んだ。ボロボロのスパイクを本当の意味で使えなくなるまで練習に励む姿は真緒や健司にとっては苦しかった。

 

 健司もバイトの疲れからいつの間にか寝てしまっていた。真緒はそんな健司にそっと毛布を掛けてあげる。この現状をどうにかしたい。貧乏な生活を文句ひとつ言わずに過ごす兄妹達にこれ以上不憫な思いはさせたくない。そう考える真緒であったが毎晩のようにいいアイデアは出ず、いつの間にか瞼は閉じて静かな寝息を立てていた。


 夜が明け、真緒はいつも通り健司たちの朝食を準備し始めた。土曜日であったが、鈴の部活と健司のバイトがあり、2人分の弁当を作る。健司たちを起こした後は、一緒に朝食を食べ、鈴を送り出した後、真緒もまたスーパーの仕事に出かけた。


 職場での真緒の評判は良い。真面目であり、人当たりの良い真緒は一部のパートタイマーの主婦達からの顰蹙を買うこともあったが顔馴染みのお客さんからも「真緒ちゃん」と呼ばれるほど親しまれている。今日も一仕事終えた後、更衣室で着替えを済ませた後、退勤するために事務室を通る。事務室では店長がテレビを見ていた。

 「お疲れ様です」と店長に声をかける。

 「おー、多田さん。今日もお疲れ様」と笑顔で真緒を労う。再びテレビの方に視線を向けると

 「多田さん。カスガガガPって知ってる?」と真緒に尋ねた。

 「あ、はい。知ってますよ。作曲家の人ですよね?私は聴いたことがないけど、妹たちがよく聞いてます」と答えた。鈴をはじめとした他兄妹達はカスガガガPの曲にハマっていた。真緒はそんな兄弟達のためにプレゼントでカスガガガPのアルバムをプレゼントしたことがあった。シングルだと、カスガガガPは新曲リリースの頻度が速く、真緒の経済力ではシングルを買ってあげられない。アルバムを買い与えて兄弟でシェアすることしかできないが、毎回弟妹は喜んでいた光景がふと記憶を呼び起こした。

 「今度、アイドルグループ作るんだってさぁ。」

 「へー。そうなんですね」とあまり関心なさそうに答えた。

 「そこで、今度一般の女の子たち向けのオーディション開催するんだって。多田さん応募してい見たら?」と店長は言うが、真緒には冗談に聞こえ

 「またまたー。私、アイドルの子たちみたいにキラキラしてないですもん」とかわいらしい声で答えた。

 「いや、多田さんいけるよ。お客さんやうちの男どもからも評判いいし。それにほら、多田さん真面目じゃん?」と真緒の答えに反論する。

 「いや、最後の真面目って関係ないでしょう。それより、次のバイト行ってきます!」と元気な声で店の裏口から帰っていった。

 「ちぇ、多田さんならいけると思ったのにな」店長は誰もいなくなった事務室で再びテレビのニュースを見ながらひとりごとを話していた。


 真緒は居酒屋につき、「おはようございます」と元気にお店の挨拶をした後で再び昼間とは別の仕事着に着替えた。和食風の居酒屋であり、制服は青い生地の甚平だったが真緒の華奢な体には大きすぎていた。念のため、中に黒いTシャツを着ているが、買い替えるのももったいないと思い4年近く着こまれている。その為、襟元が緩く、汗を搔いているときはTシャツと一緒に甚平まで染みてしまう。青白く細い腕の他に座敷の席に上がった際、襟元から蒸れに蒸れた甘い果実がたゆんと揺れる様が見える。真緒の奥ゆかしい雰囲気と上品なたたずまい、華奢な体と青白い肌や物憂げな表情はアルコールの入った客たちに加虐的な感情を抱かせる為、セクハラに会うこともしばしばあった。しかし、時給が良いために真緒は耐え忍びながら笑顔で積極に励んでいた。居酒屋でも常連のお客が出来、真緒目的に来店するオヤジ達も多かった。


 この日は常連のオヤジ達が20時から団体で予約を入れていたこともあり、真緒は一層身を引き締めてタイムカードを打刻した。18時頃が過ぎると仕事帰りのサラリーマンなどが続々と来店して、ピーク帯となった。忙しくフロアを動き回る真緒にちらちらと視線を泳がせるお客はこの日も多い。そして、20時になり予約していた団体が来店した。真緒は「いらっしゃいませ」とかわいらしく明るい声で迎え入れると、奥の世客席へと案内した。




 「いやー、真緒ちゃん久しぶり!今日も忙しそうだね」

 「はい!おかげさまで」と笑顔で答える真緒。注文を伺い、厨房にオーダーを伝えた。男性10数名の団体であったためか、皆ビールの注文が止まらなかった。




 予約の組も22時ごろには終盤を迎え、真緒に会計を頼んだ。真緒は座敷に上がる。客は真緒の甚平の中で蒸されたたわわな果実に注目していた。湯上りの赤ちゃんのほっぺのような柔らかさが伺える。

 「そういえば、真緒ちゃん。昼間のニュース見た?」と常連の客の一人が尋ねる。

40代ぐらいの男性で皆からの対応と「部長」と呼ばれていたことからこの中では偉い位の人なのだと真緒は察した。そして、昼間スーパーの店長としたやり取りが行われた。

 「えー!真緒ちゃん応募しないの?」と部長の男もまた残念そうにしていた。

 「私みたいに幸薄い女があんなキラキラした仕事向いてないですって」と笑いながら真緒は答えたが、

 「ふーん。真緒ちゃんさ、アスファルトの上に咲く花見てどう思う?」と突然わけのわからない質問が出てきた。

 「別に何にも思わないですかね」

 「ちょっと、話に付き合ってよ!」と部長が話始めようとすると

 「出た、部長のよく分からないい話」と周りの男たちも茶化しながらも、皆部長の話に耳を向ける。

 「強いて言うなら、この子も大変なんだなって感じですかね?」真緒は少し考えて再び回答した。

 「実は大変でもないんだよ。本当はアスファルトの隙間ってむしろ植物が育つためにとても適した場所なんだよ。アスファルトの隙間から生えている植物は、タンポポの綿毛のように風に乗って種が隙間に着地したとか、種が雨に流されてきたり、アリが種を運んで隙間にポトンと落としたりとか色々なんだけど、光合成をして生きていくために必要な栄養を作ってるの。んで、光合成に欠かせないのが日光。葉っぱが日光を浴びると、根から吸い上げた水と、空気中の二酸化炭素から栄養を作るんだって。そんなもんで、日光、水、二酸化炭素が植物にはとても大事で、アスファルトの隙間は特に日光と水が整った環境なんだってさ」部長の説明を真剣に聞いていたが、真緒は何を言いたいのか分からず、八の字の眉は一層困った様子であった。

 「つまり、俺の言いたいのは寧ろアスファルトに咲く花って他のどの花よりも栄養もらってるから魅力的に見えるって話だよ」と自慢げに自身の哲学を部長は述べた。

 

 お会計を済ませると、閉店の時間となったため、真緒は団体客の帰りを入り口で見送り閉店作業に入った。

 真緒は食洗器から出たビールジョッキを拭きながら、部長の話を思い出す。

 アスファルトに咲く花。無関心であったが、自身とその花を重ねていた。貧しい家庭で他人から見たら不憫に見えてるかもしれない。しかし、真緒の中では兄弟との時間は幸せであり、日々の仕事や家事も嫌なことはあるが、不幸に感じたことはなかった。


 いつもの我が家についた後、弟妹の寝顔を見てからシャワーを浴び、湯船につかる。水面から浮かぶ自身の顔を見ながら

 『私にも成れるかな。あんなキラキラした子たちみたいに』

 湯船に浸かりながらじっくり考えた。もし、芸能人になったらテレビに出てくる大きい家に住めるかな。健司を大学に通わせてあげられるかな。鈴に新しいスパイクを買ってあげられるのかな。まだ小学生の子達にも好きな事を我慢しないでやらせてあげられるのかな。次第に、気持ちが前向きになり、湯船から出て、着替えた後、真緒はスマホで自撮りをしてオーディションに応募していた。


 オーディション当日。真緒はもしものためにと買っていたが着てこなかった自身の中では一番オシャレな服装を身に纏って会場で自身の番を待っていた。カスミソウの柄が入った薄いピンクのフレアスカート、ぴっちりとしたグレーの半袖ニットは青白く華奢な真緒には上品な色気を振りまいていた。



 真緒のグループが会場に入る。参加者は皆思い思いに自分をPRしていた。中には緊張してしまい喋る事ができず、質問もされなかった子も少なくなかった。一人だけ、途中で言葉が詰まってしまい、離せなくなっていた狸顔の女の子だけはなぜかプロデューサーからのみ質問を受けていたのが気になった。ただ、何回もジャンプさせられており、真緒はなんの審査か分からなかったが、有名なプロデューサーだからこその審査方法なのかと思いながら、自身の番を待っていた。

 

 そして、真緒の順番が回ってきた。

 「エントリナンバー1084番多田真緒です。今日はよろしくお願いします。」真緒は可愛らしい猫なで声で、応募したきっかけ、家族に関して、好きな事等を時間いっぱいスピーチした。

スタッフからの質問に関しても、ハッキリ答えることができた。最後にプロデューサーから他の参加者と同じ質問が来た。



 「じゃー、軽くでもいいのでジャンプしてください」

 「はい」と答えた後、2,3回ほど軽くではあったが、その場で跳ねた。

 カスミソウ柄のピンクのスカートはふわっと揺れ、ニットにぴったしていた乳房もジャンプに遅れて軽く跳ねていた。

 「ほほー。いいですね。ありがとうございました」とプロデューサーからOKを貰らうことができた。



 「ありがとうございました」と感謝を述べると自分の席に真緒は戻る。座った瞬間僅かであったが手ごたえを感じていた。『よし、ひょっとしたらいったかも!』

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