第2話 特別な存在

 「あかりー」と数名の着慣れたセーラ服を着た少女たちが一人の少女を呼ぶ。教壇から見るに右側には窓。日差しが差し込む後ろから数えて3番目の席にその少女は座っていた。座っていたというより机に顔を伏せ、両腕をだらんと伸ばして、転寝をしていた。無造作な短い髪と腕の中で、愛らしい丸い顔が目を閉じている。


「ちょっと。あかりー!」2度目の呼びかけに少女は少し反応してゆったりと体を起こす。

 声の方向に顔を向けた。寝起きの無垢な表情が、教室にいる男子たちのひそかな視線を集める。「ホームルーム終わったよ」との呼びかけ、普段から親しくしている3名の友達を認識した。


 ぬいぐるみのように柔らかそな丸い輪郭、柔らかく穏やかな自然なアーチを描いた眉の下には、くっきりとした二重と涙袋に挟まれたまん丸い垂れ目がある。

少しだけ厚みのある唇は、苦痛であった1日を終えて安堵したのか若干の微笑みを見せる。狸のような親近感を感じさせる顔は男子生徒だけでなく、女子生徒からも癒しを与えていた。


 「2学期開始早々とは、何事かね!」先生をまねした友達の声にまた笑みを浮かべ「やっちまったぜ」と剽軽な態度で朱莉は答える。朱莉たち3年生は、高校卒業とともにいよいよ自身の進路を決めなければならない大事な時期だ。

進学クラスである教室はピリピリひりついた空気感が漂っていた。そんな中で、ファンタジー世界のような朱莉の寝顔は緊張感を解いていた。




「朱莉は進路もう決めた?」4人で仲良く、普段通りの下校中に朱莉の左側にいた吊り目の少女が朱莉に尋ねる。

「うーん。うちらの高校は進学目指すのが当たり前じゃん」

「そりゃそうでしょ」朱莉の返答に、今度は右側の眼鏡をかけた少女が肯定する。

「なんか、ピント来ないんだよねー。大学行って何したいんだかもわかんないし」

「まあー、朱莉ってなんかそういうタイプじゃないもんね」眼鏡をかけた少女のその隣にいた背丈の高い少女がくすっと笑い補足するかのように朱莉の言葉の後に付け加える。

「なんだそりゃー」少し大げさな顔をして朱莉が話す。

4人は普段通り、行きつけのカフェに入る。大学受験の為の勉強を始める。


 普段通りの日常。ありふれた日常。朱莉はそんな日常に、安堵感といつかは終わってしまうというさみしさを感じていた。

朱莉は勉強にあまり身が入っていなかった。

もう一人、朱莉の対面の席で熱心に勉強している少女2人とは別にスマホをいじっている勉強とは無縁の少女がいた。

背丈の高いその少女は部活動の活躍もあり、大学に推薦が決まっていた。


 「月島はいいよなー」とその少女に対して、朱莉はうらやましそうに話しかける。小学生からの幼馴染である彼女に嫌味のない口調だった。

 「急にどうした」と月島は答える。

 「だって、進路決まってるし」と丸い目を不器用に細め口を尖らせながら朱莉は返答する。

 「月島は昔から足が速くて、スポーツ万能だもん。なんか特別って感じ」と朱莉は純粋に素直な意見を述べた。

 「朱莉の方こそ特別じゃん。そのかわいいお顔のおかげで大抵のことは許されてきたもんねー」と尖らせた熱い唇を軽くつまり、満面の笑みで答える。

 「かわいくないもん。つか、進路と関係ないし」と唇をつままれたまま、頬っぺたを膨らませて答えた。

 「じゃー、進路に生かせばいいじゃん」

 「顔がよくて入れる大学でもあるの?」




 「大学はないけど、進路になりそうなのはあるよ」月島はそう答えるとスマホを朱莉に見せながらSNSのトレンドに乗っていたニュースを見せた。


 『あの有名ボカロP カスガガガPがアイドルグループを新規創設』

 『カスガガガPがプリンスカンパニーと業務提携!』

 『数々の有名アーティストの楽曲を提供してきたボカロPがいよいよ3Dのアイドルのプロデューサーに』など数々のニュースが朱莉の丸い目に飛び込んできた。


 「へー。ガガPとうとうアイドルグループ作るんだ」他人事のように朱莉は呟く。

 「それマジで!あたしガガPの曲好きなんだよねー」眼鏡の少女は勉強の手を止めて話に加わる。

 「あたしもアルバム持ってる!」吊り目の少女も同様に加わる。

 「なんか一般向けのオーディション開くんだって!朱莉も応募しなよ!」月島は朱莉にワクワクした顔で朱莉に提案する。

 「いや、無理だよ。こんな田舎町の女には」朱莉はあまり気が乗らない様子で

すぐに答えた。

 「いや、朱莉ならできるって!朱莉かわいいうえに愛嬌もいいじゃん!」

 「クラスのみんなも男女問わず朱莉に夢中だもんね」と吊り目の少女と眼鏡の少女が背中を押すように促す。

 「それに、朱莉って小学生の時ダンス習ってたじゃん?ただの田舎町の素人じゃないでしょ」月島が追い打ちを掛けるかのように話す。




 朱莉は小学2年の頃に街で見かけたストリートのダンスに心を奪われた。その頃から、両親にMに頼んでダンススクールに通うようになった。様々なビートに手を差し伸べられているような感覚で無心に踊っていた日々は朱莉にとって幸せだった。しかし、ダンサーの道は険しいことを年齢と体の成長とともに知っていった。自分よりも上手な子でも夢をあきらめていく姿を見ていき、次第に現実を知っていった。しかし、心のどこかで夢を捨てきれていない自分がいることも理解していた。

 「あたしでもなれるかな」ふいに朱莉が口にすると

 「出来る出来る!絶対できるって」月島が興奮しながら答えると後に2人も同調した。

 「よし決めたからには早速応募するぞ!」吊り目の少女が口を開くと

 「まじかー。高校のマイメンから芸能人が出るなんて!」と眼鏡の奥で目を輝せながら少女は相槌を打った。

 「まだ、早いって!それに応募するって決めたわけじゃ」朱莉が急いで否定すると




 「じゃー、辞める?朱莉の言うってやつになるのを」月島が柔らかい口調で話す。朱莉は少し俯き、アイドルとして踊っている姿を想像した。


スポットライトに照らされながら、可愛い衣装、いやクールでかっこいい衣装を身に纏いながらたくさんの声援の中で踊る姿を。

 「あー!分かった!女に二言はない。ダメもとでも何でもいい!」そう言いながらおもむろにスマホを取り出し月島が見ていたネットニュースのバナーから応募サイトをタップする。


 それから、3週間程時がたった。カフェで履歴書の画面を入力してすぐにオーディションの会場と日程、要項が記載されたメールが届く。


 朱莉は期待と不安の中、あの頃と同じように両親を説得した。朱莉に好きな事で一生懸命になって欲しいと思った両親は快く承諾した。両親はダンススクールを辞めた後も独自にダンスの練習をしていた朱莉を知っていたからこそもあった。この3週間はいつも以上に熱心に練習に取り組んだ。


 昔通っていたスクールに事情を説明して特別に数週間だけレッスンに付き合ってもらった。朱莉だからこそ、協力してあげようと感じたのかもしれない。朱莉は周りの人たちに温かく応援してもらえることに感謝しきれない気持であった。




 そして、オーディション当日を迎える。

9月の終わり頃にあったオシャレな服装をしている中、朱莉はストリート系のカジュアルな服装であった。青いストレッチ素材のスキニーに白のTシャツ。上に白の横ラインが入った黒いジャージを羽織っていた。

朱莉は他の参加者同様緊張していた。会場に到着した時は他の参加者が皆おしゃれな格好とメイクを決めていて自分の場違いさを感じていた。

参加者の中には、自分よりも遥かに年上のような女性が何回も自己紹介の練習をしており、目鼻立ちくっきりとしたハーフ顔の美人は自信満々に自分の番を控えていた。自分よりも若そうな中学生くらいの女の子が同伴している怖そうな男と親しげに話している。


 他の参加者を見るうちに落ちてしまったらという思いが一層強くなる。


 オーディションは100人程のグループに分かれて部屋に入っていき、1人ずつ1分間の自己紹介を終えた後に質疑応答に答えるといったものだった。朱莉は自分の番が来るまで、考えてきた自己紹介を何回も見直す。名前、年齢、出身地、応募したきっかけ、将来の夢の順に書かれたメモを何回も見直す。



 そして、とうとう自分のグループが会場に入ることになった。会場には3台のカメラが正面、右端、左端に置かれており、天井にスピーカーが一台付いていた。他参加者が思い思いに考えてきた自己紹介をして、スピーカーから発せられる質問に答えていた。質問に対して答えが詰まってしまう子や逆に面白い回答をして会場を笑わせる子などさまざまであった。


 朱莉の順番が回ってきた。



 朱莉は他参加者座る前でスタッフに誘導された立ち位置に立った。

 「それでは、自己紹介をお願いします」スピーカーから音声が流れた。いざしゃべろうとなると緊張で朱莉の頭の中は真っ白になった。

 「エントリーナンバー1046島根朱莉18歳です。栃木県の矢板市出身です...えっと...」はきはきとした口調で話していたが、突然声は止まった。いざ本番になると本当に伝えたいことが伝えられなかった。応援してくれる両親や学校の友達。オーディションのために練習に付き合ってくれた先生の話。どうしても話したいこと程言葉に出すことが難しかった。少しの沈黙の間持ち時間の1分が経過した。朱莉の他にもしゃべれなかった子は何名かいたがその子たちは皆質問は無かった。審査する側もたくさんの女の子たちを見なければいけない分、場慣れしていない子たちを審査する余裕がないことは理解していた。朱莉は泣きそうになりながらもグッとこらえていた。しかし、今回だけは違った。




 「あのー。すいません。今回の企画のプロデューサーのカスガガガPです。その場で真っ直ぐ一回ジャンプしてもらってもいいですか?」とあった。他の参加者の時も全く同じ質問があったが、それは他の審査員が質問が終わった後にカスガガガPからでていた。質問が無い子にはカスガガガPも同様に何も言わずに終了した。

 直接カスガガガPから支持されると思っていなかった朱莉はキョトンとした表情で力なく軽く跳ねた。

 「うーん、、、もう一度いいですか」再度同じ指示だったが、理解が追い付いていないのと、全身の力が戻ってなく1回目と同様に軽く跳ねる。

 「うーん、、、上着脱いでもらってもいいですか?」と今度は別の指示があった。

 「ちょっと春日さん!」と少し強い口調で他のスタッフが口をはさんだが、朱莉は何も考えずに力が抜けたままゆっくりと羽織っていた黒いジャージを脱いで両手でおなかの前に抱える。

 「ジャージ一回そこのスタッフに渡して両手を体の後ろに組んで、真っ直ぐ立ってもらえますか?」とカスガガガPがお願いすると

 「なんの審査してんすか!?」と先程の審査員が同じように口をはさむ。

朱莉はどういう審査か分からなかったが、カスガガガPのお願い通り、近くにいたスタッフに抱えていたジャージを渡して、両手を後ろで組み、背筋から真っ直ぐ立った。

 「あー。なるほど。ありがとうございます。手を楽にしてもう一度ジャンプしてもらってもいいですか?できれば、1、2回目よりも高く真っ直ぐに」

 「しつこいわ」と男の突っ込みが入りながらも、朱莉は真っ直ぐ背筋を伸ばしたまま、先程よりも思いっきりジャンプした。

 「いやー。何回もすいません。ありがとうございました」とスピーカーから発せられると、ジャージを預かっていてくれたスタッフから返却してもらい、元の席に誘導された。




一体何だったのだろうと不思議な感覚を持ち、喋れなかった悔しさはどこか遠くに消えていった。

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