その少女は①



 チュンチュンッ。

 チュンッ? 

 チュンッ!


「……んぅ、ぁ」


 なんとも元気な小鳥の囀りが、カーテンの隙間から差し込む日光を連れて飛び込んできた。


『日光を浴びると脳みそが覚醒して、よく目が覚めるんです!』

 

 ――なんて魔導学院に所属している知り合いが嬉々として話していたが、まったくもって嘘だと勘ぐってしまう。


「……まぶしぃ」


 目はしょぼつくし、

 まどろむことすらも拒んでくる。

 久々のベッドでの睡眠を邪魔をしてくる日光とやらを掴めるのならば、今頃掴みかかって家の傍の沼に頭から漬けていただろう。


 無言のままカーテンに向こう側からチラつく陽光を掴もうとして、そのまま腕で目の上を覆った。


「ん……――!?」


 その時、カーテンの向こう側にチラと見えた『ナニカ』。

 がばっと身を起こして、カーテンを開けて――日光に耐えられずにびしゃぁと閉めた。


「…………? しろい、たぬき?」


 髪の毛をくしゃくしゃとして、座ったまま目を瞑った。


「んーーーー……」


 訳の分からぬこともあったが、それでも今日の睡眠はこれまでの睡眠と比較して最上級に心地の良いモノだった。

 睡眠時間こそ短いし、

 寝ている時に何回か起きたし、

 悪夢にうなされたけれど、

 10点満点中、10点を差し上げてもいいと思える。


 何故なら、ベッドで体を起こし、木の窓辺に背中を預けて布団を抱き寄せた男――


「ふあぁぁ……」


 エレは、これまで危険とデートをしながら旅をし続けていたような状況だったのだ。


「ゆっくり羽を伸ばす……つもりなんだけどなぁ」




      ◆◇◆




『戦争に赴いた王国兵が、熟睡中に剣戟のような音や砲撃音が鳴っただけで血相を変えて錯乱状態に陥る』


 そんな話をどこかで聞いた気がするが、あれは嘘ではなかったらしい。

 長らく過酷な環境に身を置いていたら、些細な物音や気配を感じただけで意識が覚醒するようになってしまった。



「……あー……うるせぇ、鳥……。焼いて、食べて……飲んで……食べて……?」



 角度を変えて聞こえてきた小鳥の囀りを追い出すように、布団を頭から被った。


「……」


 早起きをしても、なにもやることなどないというのに。

 

「あぁ、もう……」


 布団を被ったままキッチンの方へと歩いて行った。




 エレの家は木造の家屋。

 勇者の旅が中断されて、先日掃除をしたばかり。


 夜盗が住んでいたらどうしようか……と考えていたのが杞憂に終わった。

 埃をはたき、水で絞った雑巾を走らせ、蜘蛛の巣を絡めて取れば元通り。

 そんな家の煉瓦で固められたコンロの上に水をたっぷり入れた薬缶を置き、

 昨日帰りがけに拾ってきた小枝を放り投げ、

 火を立たせ、沸騰させる。


「…………」


 白湯でも飲もう、と思ってコップを卓の上に置いて準備完了――……。



「――落ち着かんな」



 ぐつぐつと煮立つ音を聞きながら、机に尻を少し乗せた。

 戦場に身を置いていたのだ。

 いきなり平和な日常を送れるとしても、謳歌できる自信はエレにはなかった。



「……落ち着かん」



 太陽ですら月とシフト制を取っていて、まだ引き継ぎが完了をできていない時間帯。

 何かをするにも早すぎるし、何かをしようとも思わない。


「羽を伸ばす……羽を――」


 ピンと来るものが出てくる訳もない。

 だから、今後の計画でも立てようとしたのだが。



「……」



 寝起きのぼやける頭で、考え事などまとまるわけがない。

 ましてや「今後」のことを考えようとしても、余計な事ばかりが頭にチラつく。


「――――――くそ」


 スゥと目を閉じたとて、忘れようと努力をしていた悪魔的な言葉が浮かんで……どこまでも追いかけてきた。



 ――ふざけるなっ!! お前、何を考えてる!!

 ――なんで、魔王を殺さなかったの!?

 ――殺していたら、平和になったというのに!!

 ――この裏切り者が!



「朝から、うるさいんだよ……」


 エレは被っていた毛布を引っ張って、項垂れた。


「……黙ってろ」


 悪魔の囁きなどではない。

 自分の意識の葛藤などでもない。


 命からがら助け出したモスカ。

 そして、辛うじて一命を取り留めたルートスからの言葉の矢だ。


「どうすりゃあよかったって言うんだよ……全員が責めるばっかりで――――だったら、誰か答えを教えてくれよ」


 刺さる。


「周りが死にかけて、見殺しにすりゃあ良かったのかよ?」


 刺さって、


「俺は――おれは……っ」


 抜けることのない場所まで届いてしまった。

 


「ただ、皆を助けたかっただけなんだよ……っ!」



 上擦った声が、寂しく空間に溶けていく。


「仲間ってなんだ…………?」


 死にかけの味方を見殺しにして、

 勝てるか分からない戦闘に飛び込んで、

 それが仲間なのか?


 勇者が魔王を殺さないといけないんじゃないのか?

 昔に聞かされた『言い伝え』は、嘘だったのか?


「もう、分からないよ。なにも…………」



 ――――新しい仲間を見つけろよ。

 


「……仲間なんて……もう、要らないよ」


 頭の中に聞こえたヴァンドの声に、弱々しく答える。

 毛布を被って顔も見えないが、その声は今にも泣きだしそうな青年の声のように聞こえた。

 

 ――――キィ!


 ややあって、甲高い音が思考を遮った。

 沸騰した薬缶の音だ。

 

「……ん」


 エレは毛布を布団に投げ捨て、薬缶を隣のコンロに移して火を止めた。

 その表情は、

 普段の

 無表情で

 何もかもを諦めているように

 黒く、淀んだ瞳の――エレだった。



「………………」



 チュンッ! チュチュンッ!

 その時、コップに白湯を注いでいたエレの耳にやけに煩い小鳥の囀りが飛び込んできた。


「……? ちゅんっ……?」


 今度は、玄関から聞こえてくるその声。

 一年で、最も昼が短い日である冬至。

 それを明後日に控えた今日は、ただの変哲もない一日だ。

 暦でも特別これといった記念日が決められている訳でもない。


 だが、寝起きのエレの頭に何かが引っ掛かった。

 


「……あー」



 いや、これは。

 あぁ、そうか。



 寝起きでぼさぼさの頭を掻きむしるようにして、玄関に足早に向かう。


 冬至ではない。が、冬であるには違いない。

 そんな中、鳥が玄関の前で鳴いているだと?


 ふざけるな。

 ここは最西の街だが、国土で言えば北部に位置している。

 そんな場所で、日が昇っていない寒空の下で鳥がチュンチュンッと鳴く? 

 ほとんどの鳥は南下するのだぞ。


 バタンと扉を開くと、先程のしろいたぬきの正体――

 先日と同じ格好をしている少女が小鳥の真似事をして立っていた。




      ◇◆◇


 


「鳥の鳴き真似、上手いね。お嬢ちゃん」


 その言葉を聞くと、その少女はぺかーっと満面の笑みになり、さささと部屋にエレの横を抜けて部屋に入ろうとした。


「――ンェ!」


 襟首を掴んでグイと引き戻し、頭や肩についていた枯れ葉をパッパと払う。

 何故、そのまま人様の家に上がろうと思えるのか――と、その思考回路を覗いてみたい。


「おはようエレ! いい天気だヨ!」


「早う」


 挨拶を交わし、エレは白湯をちびっと飲んだ。


「あと、枯れ葉が空から降ってくるのは、いい天気とは言わねぇんだ」


「???? そうだネ!」


 おそらく意味は分かっていないだろうが、必死にくみ取ろうとして、分からずにとりあえず肯定をした。

 モスカやルートス、そして理解力のないヴァンドよりマシ。

 極僅かだが、エレの中でこの少女の好感度が上昇をした。


「で、なんで俺の家を知ってる。受付の人から聞いたのか?」


「ウウン! 尾行しタ!」

 

 上がっていた好感度が急降下していく音が聞こえてくる。


(うわぁ……)


 少女のやることではない。

 ましてや神官が、扶養者を持たない「オッサン」と言われる男性の後ろを尾行して、家を特定しただと? 


 それもエレの家は街路にはなく、街路から離れた山の小道沿いに建てられている。

 そんな道を、わざわざついてきたのだと言った。

 何故少女がこの家にやってこれたのかを理解したと同時に、尾行されていたことに気が付かない自分の不甲斐なさに頭を抱える。



「エレ! 昨日の返事を聞きにキタ!」



 ごそごそと、後ろに隠していた手をエレに向けた。

 そこには、花屋で見繕ってきたと思われる――綺麗な白く縁どられた緑の葉と、赤いカランコエ、白いカーネーションが握られていた。


 独特なチョイスにエレは眉を顰めたが、ニコニコした顔に解きほぐされていった。


「……? で、あぁ、っと。なんだっけ」


「ワタシを、お嫁さんにして下サ――」


「いやです」


「エ?」


「え?」


 首を傾げて、エレの顔を見つめた。


「ワタシを」


「うん」


「お嫁さんニ――」


「いやです」


「結婚相手ニ――」


「お断りします」


「花嫁に迎えテ――」


「他を当たってください」



 徹底して断りを入れているというのに、少女は不思議そうにしているばかりで諦めるような気配は全くない。

 その後も同様の言葉を並べられては断っていると、少女のボキャブラリーが底をついた様子で唸り出した。


「なんデェ……? ワタシ、魅力なイ?」


「出会ったばかりの女性に求婚されたら、警戒もすると思うけど」


「だったら、お仲間に入れてくださイ!」


 ピクリと、寝ぐせの黒髪が跳ねた。


「……ほお。仲間とは、具体的に」


「ワタシは傷を治せル! めちゃめちゃ勉強しタ! すごイ! エレもきっと喜ブ!」


 少女の肩越しに遠くを眺め、傷を治せる……と髭も碌に生えていない顎に手を当てた。

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