その少女は②



『勇者一党には、神官がいない』

 

 これは歴代の勇者一党を見ても、例がないことだった。 

 誤解のないように言うならば、神官を獲得が出来なかったのだ。


「神官がいなくても大丈夫だ! だって最強だもん!!」と意気揚々と旅に出た訳ではない。


 神官の多くが神殿に縛られている神官であり、冒険者の中に神官はそう多くない。

 勇者一党についてこれるレベルになるとその数はもっと少なくなる。


 いたとして、教会の上層部のような「神様に愛されている」人物を引き抜くしかほかはないのだが……王の権限をもってしても難しい。



 神殿には、あの偏屈な王様も強く出られないのだ!

 王国の頂点でも権力を振りかざせない領域があるとは――

 これは、笑える話だ。笑おう。



 話しがそれたが、神官はなにより金に煩くて堪らない。

 一回の治療に大量の金銭を巻き上げる。手に職を付けているから、と良いビジネスの仕方をしているものだ。

 霞を食って生きていけないのはそうだが、十分に肥えているような気さえもする。


 だから、神官を一党に組み込むためには「絶賛成長中の神官」を「好待遇」をチラつかせて引き抜くことが、最も有効な手とされている……。




 ――のだが。

 そこまで考え、この少女の「めちゃめちゃ勉強しタ」という言葉をどこまで信じれるかと思いを巡らせ、


「……」

 

 エレは顔をジィっと見つめた。


「じゃあさ」


 白湯の入ったコップを置き、長袖を捲って包帯を解いた。


「これ、治せる?」



 包帯の下から出てきたのは、大きな鉤爪によって引き裂かれたような痕だった。


「――ウ、ァ」


 完全には塞がりきってはおらず、ここ最近で負った傷であることが伺える。


「無理ならいいんだけど」


 意地悪そうな顔をしているエレの言葉にこくと頷き、少女神官は錫杖を構え、神への祈りを捧げようと集中力を高めた。


「……スゥ……フゥ――」


《静なる者に動きヲ、

 渇きを知る者に満ちヲ。

 救済を求める者に生命の躍動ヲ、

 慈悲深き恩寵ヲ――》


 たどたどしい様子で『奇跡』を嘆願する。

 ぽうっと優しい光が灯り、少女神官はその奇跡の名前を力強く叫び、ギュッと目を瞑った。


治癒ヒールッ!》


 損傷部に光が集まり、やがて粛々と消えて行った。

 ハァハァと額に汗を浮かべ、倦怠感に苛まれている少女神官。

 しかし、疲労感よりも込み上げてくる達成感で顔を上げた。


「こ、れデ……」


 成功かと思われたその治癒。

 けれど、光が失われたら無慈悲な現実を見せつけた。


「なんデ……ッ!?」


 ――癒せていない。

 驚く少女神官とは対照的に、エレは何もなかったかのように包帯を巻き治していく。


「……ァ」


 それをただ茫然と見つめていると、思考に薄暗い霞がかかった。



 ――このままだと、エレは、仲間に入れてくれない!



「まっテ! ワタシ! 上位治癒も使えル! それならエレの傷モ……!」


「こんな傷は上位治癒で治すような傷じゃない」


「でも、でモ! 直せれるかもしれなイ! ちがウ? まだ……だって、試してすらいないノニ」


「俺の傷はどんな治癒魔法でも治せないよ」


「治せル!! ワタシすごく練習しタ! 絶対に治ス!」


 だから! と縋るように迫られ、エレも身動ぎをした。

 そしてその時に、胸元で目がピタリと留まった。


「……仲間になる」


「オ!」


「――といっても、君は……冒険者ですらないだろ」


 そう、この少女は神官衣を着ていると言っても、それは『神官』だからであり『冒険者である』という証明にはならない。

 

「冒険者なら、ほら」


 すっかり外し忘れている認識票を服の内から出した。


「こういうの持ってるだろ?」


 認識票は蒼銀色に輝き、流麗な筆跡で『ディエス・エレ』と名前が刻まれていた。

 対する少女の胸元には、そういった物が見られない。



「残念ながら、君は俺のお仲間になる条件を満たしていない」



 絶賛成長中かもしれないが、エレの傷は治せれない。

 冒険者でなければ「依頼をこなす!」という名目で連れて歩くことはできるかもしれないが……そうでもない。


「……」


 エレの指摘に片手に持っていた錫杖を見せるように傾けるが、軽く顔を振られる。

 それも神官だから持っているだけで、冒険者だから持っていることの証明にならない。



「ワタシ……冒険者……じゃないかモ」



「そうだろうね」



「……でも、仲間になりたイ」



「それは無理だ。今の所、君を連れて歩く利点がない」



 自分の立ち位置を理解したようで、うつむきながら口をすぼめる少女に、エレはバツが悪そうに頭を掻く。


 玄関には入れているが、ドアは開けっ放しで冬が近い寒風がびゅうびゅうと遠慮なしに部屋内に入り込んでいる。

 寝起きが悪いという訳ではないにしろ、このまま立ち話などしていたくはない。


 早々にご退場を願いたいが、少女はエレがけんもほろろな態度をしていると理解してもなお、玄関から出ようとしない。



「わるいけど――」


「冒険者じゃないけド! 傷も治せなかったけド……。ワタシ、エレの役に立とうと思って頑張ってきたんダ! だから、絶対、エレの傷を治せれるようになル……カラ、お願い、シマス」


「……なんで、俺なの?」


「昔……エレに助けてもらっタ。ワタシ強くない。だけど、エレは傷ばっかりで痛そうだっタ。血も出てタ……だかラ」


 それで、エレの傷を治そうと頑張ってきた。

 そう、少女は言った。




      ◆◇◆




 沈黙が落ちた。


 少女は俯いて、親に怒られる子どものような表情で。

 錫杖を力強く握り、もう片方の手の花束は潰されて、玄関にヒラヒラと落ちる。

 それでも、エレの言葉を待っている。


「……」


 出ていけ。

 俺の傷を治せなかっただろう。

 冒険者でもない神官が、仲間になるなんて――


 そういった言葉が喉の奥でチラつく。

 その気になれば、すぐさま口から毒となって少女を侵すだろう。


 ――お前は役立たずだ! 魔王を何故、殺さなかった!!


 同時、勇者モスカから言われた言葉が頭に過った。


「……」


 無言のまま、今にも泣きだしそうな少女を見つめる。

 傷を治せない。

 冒険者でもない。

 助けたことをエレは覚えていない。


 だが、その根気強い姿勢は、エレは嫌いではなかった。

 取り付く島もないのは、可哀想か。


「あー……っと。確か、新規の冒険者登録は今日までだったかなー」


 とぼけたように言い、少女の肩に手を置いて、開きっぱなしだったドアを閉めた。

 その流れで、マリーゴールドが入った白雪のような頭をポンポンと手を置いて。


「ちょっと待っててね。そこで」


 そこにある白湯、飲んでいいから。

 そう言い残してエレは自身の寝室に戻っていった。



「――…………」



 ポツリと玄関で取り残された少女は、何の躊躇もせずカップを手に取り、その空間の空気を肺に入れ込むために大きく呼吸をした。


「スゥ、フゥ――ムッ」


 そして何かに気が付き、先程よりも大きな深呼吸をして。

 表情に明かりが差し込んだ。



「フゥ……スゥ……ハァ~! エレのニオイ……ダ!」



 何度かそれを繰り返して、ふと視線をその空間全体に向けた。

 男性の一軒家。その割には小奇麗に整えられている。

 木製の家具が白壁に映えて、清潔感が感じられる。


「エレみたいな家ダ……ヘヘ」


 白湯をちびちびと飲みながら、少女は笑った。


「デ、ウァ」


 目に付いたのは、少女からしてみれば何を描いているのか分からない――創世記に戦っていたとされる神々を描いたもの――額縁に入った絵画。


「教会のと一緒ダ」

 

 そう考えていると、今度はニオイに気が付いた。


「クン……ムッ!」


 ニオイこそ男性らしさの感じるものだが、決してクサイ訳でもない。

 むしろ、飾らないニオイとして好印象。

 そして、飾らないニオイというのは、女性が入り浸っていないことの証明でもある。


「スゥ……フゥ……スゥ……スゥーー……ッ」


 少女は取り込んだニオイに対して、親指を立てて高評価をした。

 


「いい匂いダ!」



「あら、そー。ほんと?」



 奥からのそりと体を出してきたエレは、外行の恰好に身を包んでいた。


「ウァ」


 外行と言っても御洒落などには無頓着であるから、カッターの上から黒色の上着を着ただけ。

 村人と間違われることはないが、おおよそ冒険者にも見えない。いいところで、記者のような印象に落ち着く。


 もはやトレードマークとなった包帯もその多くは服の下に隠れ、首元に少し見えているだけ。


「エレ?」


「エレですけど」


 その姿に、少女は蜜柑色の瞳に星を映し出すように輝かせた。


「かっこいイ!」


「ん? あぁ。……えぇ? こんなんでカッコイイって言う奴の評価なんて、信用できんな」


「ウウン! かっこいいのはかっこいいって言ウ!」


「そー。ならいいや」

 

 玄関にかけていた鞄を肩から掛けて、少女を少し横にズラシ、玄関に座って靴に足を通す。

 その時に鎖骨から胸筋の上部がチラと見えて――


「きゃぁ! 胸が――エレ! エレ! ダメ! 見えちゃウ!」


「人の胸で一々騒ぐな。そして見るな。向こうを見てろ」


 相変わらず、装備も何もつけないままのエレに背中を向けて――振り返ろうとしたらエレは既に靴紐を結び終えていた。


「ほい、じゃあいくか」


「ウ……ウン」


「の前に」


 残念そうな少女の首元に、持ってきたマフラーをかけた。


「エ? なに、こレ」

 

「鼻、真っ赤だぞ。風邪ひいたらどうすんだ」


 神官が風邪なんか引いたら笑いもんだ。

 そう言って、玄関を開けて身震いしながら外に出た。


「やっぱり寒い……」


 だが、後ろでポカンとしたままの少女に気づき。


「いかねーの? 仲間になりたいんだろ?」


「――!! なル! 仲間になル!」


「なら早く来い。どうせ貴重品なんかねぇが、戸締りは一応しておかないと」


 口から出たため息が白いモヤとなり、空気に溶けるように消えて行く。

 こんな中で少女が鳥の物まねをしている姿を想像して、笑ってしまいそうになるが……。

 防寒具の一つもつけないことは笑っていい話ではない。


「…………」


 マフラーに手を当てて、くすっと笑っている少女を見て、エレは歩き出した。


「そーいや、名前は?」


「アレッタ!」


「ほーん。良い名前だな」


「エレの名前ハ?」


「んー……ナイショだな」


 歩くエレの数歩後ろを置いていかれないように、アレッタは小走り気味についていった。

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