第140話 猛獣

 小さな獣と巨人の1戦。

 誰が見ても明らかに勝つ方は予想は着くが、前日のあの少年のせいで、みんな見た目だけで決めるのは早計だと思い始めていた。


「両者構えて…」


 司会の声が拡声魔法によってコロシアムに響き渡る。

 人々はあの獣人の子はどんな試合をしてくれるんだ、と真剣な眼差しで試合が始まるのを今か今かと待ち構える。


「始め!!!」


 その声と共にチェリアは動き出した。


(恐らく力では敵わない…。スピードと手数で攻めないと…!)


 まずは身体強化の魔法を使わず、フェイントをかけつつ駆け回る。

 そして、接近して一撃を食らわす。


(硬いっ!)


 その足はまるで岩のように硬く、刃がまるで通らない。


「一生舞台に上がれないようにしてやる」


 その声と同時に、背中部分にとてつもなく重い衝撃が走る。

 切られた痛みではなく、まるで殴られたような…。


「くっ…ぅ!」


 何とか意識を繋いで、早急に後方へジャンプして距離を取る。


「ごほ、ごほっ」


(血が…)


 視界が霧がかったようにボヤけて、体も立つことがやっとの状態でフラフラとしながらも何とか耐える。


「まけちゃう…」


 だが、チェリアの口から零れた言葉は痛みや苦しみではなく「負け」ることについての心配だった。


 何故か、それはこの舞台でノアと戦いたいと心底思っているからだ。


「なんか言ったか」


 だが、現実は虚しく、ゲリアイアの重い一撃はチェリアの思いごと粉砕する。


 鈍い音が木霊する。

 骨が何本か折れて、立ち上がることすらままならなくなる。


 だが、観客たちはその様子を見ることしか出来ない。

 観客たちはその試合に何を期待していた?小さい獣が逆転する、まるで漫画のような出来事か?


 あぁ、そう思っていた。

 前日の試合を見たらそう思ってしまうのも無理はないだろう。


 だが、その小さな獣が対峙しているのはS階級冒険者「破壊」のゲリアイアということを忘れていたのだ。


「はぁ…はぁ…」


(負けちゃう負けちゃう負けちゃう負けちゃう負けちゃう負けちゃう負けちゃう負けちゃう負けちゃう負けちゃう負けちゃう負けちゃう)


 全身の軋むような痛みより先に焦りが心を支配する。


「やはり雑魚だ。消えてしまえ」


 S階級冒険者の拳が小さい獣に接近する。


 だが、ゲリアイアは強すぎた為に頭から抜け落ちていたのだ。


 手負いの獣が危険なことに。


 ピュシュン。


 一閃、ゲリアイアの左腕に軌跡が残る。


「がっ!がぁぁぁぁぁぁ!!!」


 久しく味わっていないその痛みにゲリアイアは絶叫する。


 彼の腕はもう既に繋がっていなかった。


「グルルルルッ」


 小さな獣は最早、その姿をただの子犬から狼へと変貌させて、口元に剣を咥えている。


「こっ!このや…!ぐぁぁぁあ!」


 気づいた時にはもう既に右腕は切断されたあとであった。


 この時、初めてゲリアイアは恐怖した。


 ――目の前の猛獣に。


 チェリアがその負け犬に追い討ちを行おうと体を躍動させたその時、脳内に声が響く。


『落ち着け、我を忘れるな』


 それは魔力通信の首飾りエクスペル・ネックレスを介して聞こえたノアの声だった。


「あぁ、ノア様…」


 体の限界が来たのか、チェリアはその場で倒れたのだった。


 ―――


 チェリアの謎の変身にて、S階級冒険者「破壊」のゲリアイアとの試合は終わりを告げた。

 四肢の復活は神聖魔法でし叶わないため、奴の冒険者としての人生は終わったと等しいな。


 よくやった、チェリア。


 だが…。


 観客が今の逆転劇を目の当たりにして、ざわつき始める。

 その原因はチェリアの変身にあるだろう。


 見る人によっては…、否、チェリアを知らない人から見れば今の姿は「魔物」とそう変わらない。

 そして、見るからに自分の意思で動いていたとは思えない動きだった。


「だ、大丈夫なのかよ…」

「えぇ、あの姿はまるで…」

「うん…、ちょっと…」


 チッ、不味いな。この雰囲気はかなり不味い。


 俺は最悪の想定をして頭を悩ませる。


「かっけぇー!!!!逆転だー!!」


 だが、ザワつくコロシアム内にて1人の少年の声が響き渡った。

 その声に影響されるように観客たちが、次第に拍手や口笛などをしてチェリアを称え始める。


 だが、中にはそれらをしないで怪しむような目で見る人もいる。


「…取り敢えず、最悪の事態になることは免れたようだな。誰か知らないが、ありがとう」


 俺は変装を解除して、チェリアが運ばれて行った医務室へと向かった。




「あ、お前ら…」


 医務室へ行くと使用人たちがチェリアを囲んで、心配そうに見守っていた。


「ノア様!チェリアは大丈夫なんですか?」


「分からないが、取り敢えずヒールをかける」


 目を閉じるチェリアにヒールをかける。

 呼吸は整っているし、きっと大丈夫だろう。


「良かった…。しかし、あの姿はなんだったんでしょうか…」


 フルティエがそう誰に聞くでもなく、そう呟く。

 俺は、俺の見解を話し始める。


「恐らく、スキルだと思う。チェリアの実力は元々B階級冒険者上位からA階級冒険者下位くらいだった。だが、あの姿はS階級冒険者を圧倒してのけた。あれほどまでの属性身体強化は恐らく無理だと考えると、必然的にスキルによる効果だと思う」


「なるほど…」


 だが、真相は分からないな。

 取り敢えず、チェリアが起きたら話を聞いてみよう。








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