裁と秤とクリームソーダ

畳縁(タタミベリ)

裁と秤とクリームソーダ

 今の状況を説明すると、不機嫌を形にしたような奴が横に居て。

 俺がご機嫌を取ろうとしている。

 あー、めんどくせえな。


「怒るなよ、秤。久しぶりに会ったんだから」

「やだ」

 こいつは頬を膨らませ、明らかにむくれていた。


「久しぶりに会ったのに、行く所がセブンでサイゼ。どこにでもあるじゃない」

「だめか」

「サバキ独りで行ってよ。そういうのは」


 しばしば出くわす、四角い黒板みたいな顔をしたオーナーに煙たがられながら、コンビニの新製品のチェックをしたり、俺が “発見” したアンチョビピザを食ったりしたんだが、それが楽しくないのか。

 この小娘はチェーン店が嫌いなのか?


「じゃあ、アレとか。どうだよ」

 力の抜けた腕を上げて、指差す。

 古ぼけた立て看板の喫茶店だ。


「やだ」

「はー。嫌々言ってても見つからねえぞ」

 ぷいと横を向く秤の、紫の髪をまとめたツインテールが揺れる。歩きながら、俺達はその店を横切った。


 茶色くフィルターが貼られて奥が窺えない自動ドアは、いつも立ち寄る、ハジメの"渋カフェ"に劣らぬ風格を感じさせる。

ショーウィンドウに並べられた、色鮮やかな食品サンプルに目が行った。フォークの浮いたナポリタン。ケチャップの赤が乗ったオムライス。

 緑色のクリームソーダ。


「……」

 俺によく似た、鋭い視線が、同じものを捉えていた。

「そうか。アレをご所望かぁ、クリームソーダね。甘いメロンソーダに、アイスクリームに、サクランボ。甘々なやつね。やっぱガキだな」

「ガキじゃないもん! 私、今は自立してるし!」


 秤は腕を張って反論する。散々、こいつの険悪な空気を味わった俺は、ちょっとした仕返しを思いついた。

「じゃ、ガキじゃないって所を証明するんだな」



 喫茶店に入った。クッションが減った革張りの椅子、削れた木のテーブル。飾ったままの、抽象的な絵画。思った通りのしつらえ。

話は簡単だ。俺と秤で、オーダーを交換する。

 秤の頼んだ物が俺に。俺の注文が、秤に来ることになる。


「二言は無ぇだろうな」

 腕を組んで、俺は念押しした。

「しつこいよ。おねがいします!」

 秤が手を上げて呼びかける。メニューを指差して言った。

 どうやら意図が分かっていないらしいな。


「クリームソーダひとつ。サバキは」

 ひと息ついて、俺は目を見開き、宣言した。

「極深焙煎ブレンド、砂糖とフレッシュ抜きだ。ただし、クリームソーダは時間経過、止め三分!」

 同じく、驚愕で目を見開いた秤が呟く。

「クソ意地悪……っ」



 ……というわけで、クリームソーダが置かれた。

 秤の前にあるのは、俺の極深焙煎ブレンドだ。

 所謂、悪魔のように黒く、地獄のように熱いやつ。

 俺は泡の静止したクリームソーダに口をつけず、秤に暗黒ブラックを飲むよう促した。


「大人を見せてみろよ」

「馬鹿にして……余裕に決まってるわ」

 不敵に微笑んでみせたが、虚勢は見破っている。

 こくりと一口、流し込むと。すぐに表情が変わった。


「うぇ」

 秤の整った顔が、真ん中に寄せられる。

 もう一度挑戦した。


「うぅ、えほっ」

 眉間に皺が寄り、秤はむせかける。

「どうした? タオル投げるか?」

 手首に浮かんだ時計のウインドウを横目に、俺は言った。


 カップの黒い液体はまったく減らない。

「まだ……。まだよ!」

 涙をにじませる秤は、首を振る。

 俺のやさしい提案を振り切り、再び繊細なカップの持ち手に、指をかけた。



 ……熱いコーヒーは水面の高さをほぼ保っている。

 結局、数滴も飲めなかったらしい。

 秤は下を向き、膝で拳を握ったままだ。


 そろそろ可哀想になってきたな。

「秤、カップを借りるぞ」

 俺は未だ健在の極深焙煎ブレンドを引き寄せた。


「見てな」

 クリームソーダにかけた “時間停止” は、この仮想世界ならではの技術である。忙しいバーチャルサラリーマンがよく使う手なのだが、限られた昼休みに注文の遅れを避けるため、一度全部の注文を同時に持って来させ、溶けるアイスのような物には停止をかけておくわけだ。


 泡の止まったメロンソーダに乗るアイスは、現状、土台のソーダが染みることも、溶け出すこともない。そして、アイスとソーダの二者は現在、別々のオブジェクトとして世界に認識されている。まだ分離ができるのだ。


 そして、俺は冷えたスプーンを引き、片方の指で支えながらアイスクリームを持ち上げた。もちろん、停止しているので、指の熱では溶けない。

 直感と異なるこの世界ならではの事象を、秤は不思議そうに見つめた。


「こいつを、隣に移すんだ」

 俺はクリームソーダのバニラアイスを、躊躇いなく熱いコーヒーに浮かせた。

 手首の時計を見て、しばらく待つ。


「……3、2、1。よし、溶けるぞ」

 ちょうど三分が経過した。熱を受けたアイスクリームは、みるみるうちに小さくなる。俺は、極深焙煎ブレンドだったものを秤の前に動かした。


「こういう飲み方もある。秤、もう一度試してみろ」

「ホットのコーヒーにアイスを乗せるなんて……」

 秤は訝しんでいたが、口にして驚いた様子だった。


「冷たさと熱さが組み合わさって……甘みもあって、美味しい」

「だろ」

 新しい発見に、こいつの不機嫌も吹っ飛んだ様子だった。

 サイゼのドリンクバーとデザートメニューで色々と、罰当たりな実験をしていたことは黙っておくか。


 俺はテーブルで頬杖を突く。

 泡の動きだしたメロンソーダの足を掴み、秤の傍に置き直してやった。アイスの無いクリームソーダってのは、卵の衣を失ったオムライスと同じだな。


 まあ、今度はお前の行きたい所に行くからさ。

 遠慮せず言うんだぞ、秤。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

裁と秤とクリームソーダ 畳縁(タタミベリ) @flat_nomi

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ