第29話 絶望的な力の差

 俺は一度距離をとると、再びゲイリューダに斬りかかった。

 今度は隙だらけの大振りではない。

 速さを意識した、絶え間ない連撃だ。


 先程の一撃で力の差は理解した。

 力任せの斬り合いでは、俺に勝ち目はないだろう。

 ならばスピードだ。

 どれだけ力量差があろうとも、生身の肉体で鉄の剣による斬撃を受けることなどできない。

 幸い、ゲイリューダの的は大きい。

 体格の差を活かして、懐から凌ぐことのできない一撃を繰り出すことができれば、ゲイリューダとて無傷ではいられないはずだ。


 剣の振りは最小限に、斬り下ろし、斬り払い、斬り上げる。

 絶え間ない斬撃をもって、ゲイリューダを攻め立てる。

 今の俺にできる最高速の剣技。

 息をつく間もなく、ただひたすらに腕を動かす。


 しかし、俺にできる高速の剣技も、ただの一撃たりともゲイリューダに届くことはなかった。

 敵ながら流石というべきか、小回りのきかない、抱えるような大きさの大斧を器用に振り回し、俺の斬撃を完璧に受け止めていた。


 このままでは埒が明かない。

 俺は仕切り直すために再び距離をとる。


「はぁ……、はぁ……」


 こちらが一方的に攻めていたというのに、肩で息をしているのは俺だけだった。


「おいおい、こんなものかよ。

 あの化け物がわざわざ依頼をしに来たくらいだから、ちったぁ腕の立つ奴だろうと警戒してたんだが。

 とんだ期待外れだぜ」


 わざとらしく肩を竦めるゲイリューダ。

 言外にお前など眼中にないと言われ、俺は歯を軋ませる。

 だが、そんなことより聞き捨てならない言葉があった。


「化け物が依頼した? いったいなんの話だ?」


「ふん。俺は仮面の男に依頼されたんだよ。お前をぶっ殺せってな」


 仮面の男。

 俺の脳裏に一人の人間の姿が思い浮かぶ。

 ミリアを待って宿屋に居たとき。

 話しかけてきたのが仮面の男だった。


 この資材置場で、ゲイリューダがミリアを捕えているという情報を俺に伝えたのがその男だった。

 状況を考えても、十中八九ゲイリューダの言う仮面の男と、俺が思い描く男は同一人物だろう。

 だが、いったいなぜそんなことを。

 心当たりは皆無なのだが、知らずの内に命を狙われるほど恨まれるようなことを俺がしたのだろうか。


「あーあ、終いだ、終い。

 こんな雑魚を相手してたって何にも面白くねぇ。

 サクッと殺して、依頼完了だ」


 ガシガシと頭を掻きながらゲイリューダが言った。


 雑魚。

 悔しいが、ゲイリューダにとって俺は確かに雑魚なのだろう。

 だが、だからといって大人しく命を差し出したりなどするものか。

 折角、リューシュに相談に乗ってもらって、このところ不安定だったミリアとの関係を見直せそうなのだ。

 二人で新たな一歩を踏み出すために、こんなところで死ぬわけにはいかない。


 考えろ。

 ミリアと二人でこの状況を脱する方法を。

 ゲイリューダを倒す必要はない。

 逃げることさえできれば、それ以上は望まない。


 俺はゲイリューダから目を離さないよう注意しながら現状を打破する方法を考えていた。

 そのつもりだった。


 ザンッ


「っ!!」


 俺は本能に従い、剣を身体の左側に構えた。

 その瞬間、エルダートレントの枝で殴られたとき以上の衝撃が襲った。

 俺の身体は踏ん張ることすらままならず、ぼろきれのように容易く宙を舞った。


「かはっ……」


 積み上げられていた材木の山を崩すようにして、吹き飛ばされた俺の身体は止まった。

 背中を打ちつけたことで無理やり空気を吐き出させられる。

 むせながらもどうにか呼吸を整えつつ、俺はすぐに事態の把握に努めた。


 先程まで俺が立っていた場所には、大斧を振りきった姿勢のゲイリューダがいた。

 ということはつまり、ゲイリューダの一撃を受けて、俺は吹き飛ばされたということなのだろう。


(見えなかった……)


 いつゲイリューダが近づいて来たのか。

 いつ大斧を振ったのか。

 俺には何も見えていなかった。


 ただ一つ確かなのは、命の危機を察した本能に従いとっさに剣を構えていなければ、今頃俺の身体は上下に分かれてしまっていたということだろう。

 冷や汗が頬を流れる。


「おいおい、無駄な抵抗をすんなよ。

 俺はお前さえ殺せればそれでいいんだ。

 お前だって、余計なダメージを負わずに、サクッと殺されたほうが嬉しいだろう?」


「……死ぬのはお前のほうだ、クソ野郎」


 俺はペッと血の混じった唾を吐き捨てると、ゲイリューダを睨んだ。


「……まだ実力の差がわかってないようだな。

 そんなにいたぶられたいなら、望む通りにしてやるよっ!」


 ゲイリューダがその体格に似合わない、俊敏な足取りで突っ込んでくる。

 先程より距離があるためか、何とかその動きを目で追うことはできたが、依然として驚異であることに変わりはない。

 回避は不可能と判断し、再び大斧の振りの軌道上に剣を構える。


「くっ……!!」


 受け止めようと踏ん張ったものの、やはり双方の腕力の差は気合いで埋められるようなものではなかった。

 再びぼろきれのように弾き飛ばされる俺の身体。

 先程と異なり、弾き飛ばされることもある程度予測できていたので、地面を転がりながら素早く体勢を整える。


 剣を構え、ゲイリューダの姿を捉えようと顔を上げる。

 だがそこには、既に大斧を振りかぶったゲイリューダの姿が目の前にあった。


(まずいっ!!)


 大斧が当たるすんでのところで、どうにか剣を滑り込ませる。

 ガキンとけたたましい金属音を響かせながら、俺の身体はまたもや宙を舞った。


「ぐぅっ……」


 土煙を巻き上げながら、俺の身体は地面を転がる。

 軋むような全身の痛みに耐えながら、俺はすぐさま顔を上げた。

 するとそこには、先程の映像を繰り返すように、大斧を振りかぶるゲイリューダの姿があった。


 そこからは必死だった。

 大斧が振りきられる前に剣を滑り込ませ、ぼろきれのように弾き飛ばされる。

 資材の山や地面に叩きつけられるが、痛みに叫ぶ余裕もなかった。

 すぐさま剣を構えなければ、殺される。

 俺は殺されないためだけに、ひたすら剣を構え続けた。


 ゲイリューダの動きは単調だった。

 近づき、大斧を右に振りかぶって、叩きつける。

 それだけだ。

 攻撃のパターンを変えるようなこともない。

 明らかに、俺をいたぶることだけを目的とした動きだった。


 だが、俺はその動きに合わせるので精一杯だった。

 おそらく、ゲイリューダがその気なら、俺はとっくに殺されているだろう。

 単調な攻撃だからこそ、俺はどうにかこの命を散らさずに済んでいた。


 しかし、それだっていつまでも続くことはない。

 俺の身体にはゲイリューダに弾き飛ばされる度、呼吸が止まるような衝撃と共に、軋むような痛みが蓄積していった。

 無数の擦り傷が全身を覆い、息を整える時間もない。


 そんな状態でぎりぎりの防御を続けられるはずもなかった。


 何度目かに吹き飛ばされたとき、起き上がり構えようとした俺の手から剣がこぼれ落ちた。

 サッと血の気が引くのがわかった。


「これで終わりのようだな」


 上からゲイリューダの嘲笑うような声が聞こえる。

 俺は慌てて剣を拾おうとするが、そんな暇をゲイリューダが与えてくれることはないだろうと、冷静な自分が囁く。


「死ね」


 死の宣告と共に、ゲイリューダの大斧が迫ってくる。

 剣をつかみ直すことはできたが、今から構えるだけの余裕はないだろう。


 己の死が迫っているからだろうか。

 先程まではほとんど目で捉えることのできなかったゲイリューダの斬撃が、ひどくゆっくり見えた。

 俺の命を刈り取るために迫る大斧。

 その刃はかがり火の明かりを反射し、冷たく輝いていた。


 ああ、俺はここで死ぬのか。

 冒険者になって五年余り。

 くすぶっていた俺は、ここレイストを訪れてようやく自分の理想とする冒険者の姿に一歩近づくことができた気がしていた。

 ミリアと出会い、初めて実戦で十全に己の天恵、【斬魂】を使うことができた。

 ようやく冒険者になれた気がした。

 多少のすれ違いはあったが、それを乗り越えて二人で<はぐれ鳥の巣>を盛り上げていけると思っていた。

 そんな未来がくることを疑っていなかった。


 それがこんなところで呆気なく終わろうとしている。

 今俺の中で渦巻いているこの気持ちは、いったいなんだろう。

 未来を迎えられない後悔だろうか。

 それともゲイリューダに対する怒りだろうか。

 それも間違いではないだろう。

 だが、俺の心の大半を占めているのはもっと別のもの。

 それは、意外にも充足感だった。


 冒険者なんて職業はいつ死んでもおかしくない代物だ。

 死への恐怖がないわけではないが、覚悟はとうに済んでいた。

 死に向かう中で己の人生を振り返ると、それなりにやり遂げたという充実感があった。

 とくにレイストに来てから得られたものは計り知れない。

 冒険者になって、自身の天恵を使ってダンジョン攻略を行うということが、目標のようなものになっていた。

 そしてその目標を達成することができたのだ。

 志半ばで死んでしまう者が多い中で、己の目標を達成できた俺は十分に幸せ者だろう。


 そう思うとここで死ぬのも悪くないような気がしてきた。

 無駄に長生きするよりも、絶頂期に華々しく散ったほうが格好いいのではないだろうか。

 そんな気さえしてくる。


 俺はそっと目を閉じた。

 一つ心残りがあるとすれば、ミリアのことだろう。

 俺が殺されたあと、いったいどうなるのだろうか。

 ゲイリューダは、ミリアは俺を誘い出すための人質だと言った。

 俺がたどり着くまでにもひどい目に遭わされていたようだったし、きっと俺が死んだあともひどい目に遭わされるのかもしれない。

 だが、ミリアはあくまで人質だ。

 もしかしたら殺されるようなことはないかもしれない。

 生きてさえいれば、どれだけ辛くてもやり直すことができる。

 それは根拠のない、希望的観測ではあるが、これから死に行く俺にはその希望を願うことしかできない。


 永遠のように引き延ばされた時間も、無限ではない。

 やがてそのときは訪れる。


 ゲイリューダの大斧が迫り、そして――。


「止めてくださいっ!!」


 少女の悲痛な叫びが響いた。

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