第30話 諦めない

 俺はミリアの声に目を開いた。

 そこにはすんでのところで止まっている、ゲイリューダの大斧があった。


「お願いします! アレクさんを殺さないで下さい!」


 未だに鎖に繋がれているミリアが、涙を溢しながら叫んだ。


「ああ? たかが人質の分際で俺に命令か?」


 ゲイリューダは怒気をはらんだ声をミリアへとぶつける。

 だが、ミリアはそんなものに怯むことなく、まっすぐゲイリューダを見据えていた。


「殺すなら、アレクさんの変わりに私を殺してください」


「生憎、俺が受けた依頼はこいつを殺すことなんでな。

 心配しなくても、こいつを殺したあとでお前も殺してあの世で会わせてやるよ」


「そ、それなら私の全てを差し上げます!」


 必死にミリアが言い縋る。

 その様子を、俺はただ見ていることしかできなかった。


「……あのなあ、お前は馬鹿か。今の状況を見ればわかるだろう。

 お前ら二人の生殺与奪権は俺が握ってるんだ。既にお前の身体も命も俺のものなんだよ」


「な、なら私の心を差し上げます!」


「心だあ?」


「はい。鎖で繋いで私の身体を縛ったところで、身体や命は自由にできても、心は自由にできません。それをあなたに差し上げます」


「ふん。お前の心ってやつにどれだけの価値があるんだ?

 俺が依頼を蹴るほどの価値がお前の心にあるのか?」


「あります!

 もしアレクさんを助けてくれるのであれば、今後私はあなたに一生の忠誠を誓います。

 あなたが望むことであれば、なんだってします」


 ここだと思ったのだろう。

 ミリアが精一杯自分を売り込む。

 だが、それでは届かない。


「弱いな。ただ従順な奴なら奴隷を買えば済む話だ。

 俺が依頼を破棄するほどのものじゃあない」


「わ、私ならあなたが恐れている仮面の男を殺すことだってできます!」


 ここでようやく、ゲイリューダがミリアの話に興味を引かれた。


「……どういうことだ?」


「私の天恵、【縛鎖】はすべての生命体の動きを二分間、完全に封じることができるという固有天恵です」


「そんなこと本当にできるのか?」


「今まで私の天恵で動きを封じることのできなかった相手はいません。

 ダンジョンのボスであっても、完全に封じることができました。

 一日に一度しか使用できないうえ、発動には直接相手に触れる必要がありますが、隙をついて触ることさえできれば、いくら相手が強くても無力化することが可能です」


 ゲイリューダとしても現状に思うところがあるのだろう。

 俺から見てゲイリューダという男はプライドの塊だ。

 今はどういうわけか仮面の男のいいなりになっているようだが、本来のゲイリューダならそんな状況、容認できるようなものではないはずだ。

 誰かの下で賢く生きられるような人間ではない。

 目の上のたんこぶを除去できる手段があるのなら、飛び付かないはずがない。


 それにしても、今のミリアの言葉。

 いったいなぜ、そんなことを……。


「……確かにそれが本当なら、依頼を破棄するだけの価値があるかもしれんな」


「っ!! でしたらアレクさんを……」


「それが本当なら、な。試しにこいつにその【縛鎖】を使ってみろ」


 ゲイリューダが足先で俺をこずいた。


「……わかりました。

 ですが、先ほども言った通り、【縛鎖】は一日に一度しか使えないという制約があります。

 ここで使ってしまうと、明日まで使えませんがそれでもよろしいですか?」


 俺はミリアのまっすぐな瞳を見て確信した。


(ああ、そうか。ミリアはまだ諦めてないんだな)


 ミリアはこの絶望的な状況にいてなお、勝ち筋を手繰り寄せようとしているのだ。

 つい先程、この人生に満足してしまった俺だが、ミリアが俺の生を望んでくれているというのに、このまま命を捨ててもいいのか。

 そんなわけない。

 ミリアが諦めないというなら、俺も最後まであがこうじゃないか。


「構わん。どうせあと数時間もすれば日を跨ぐんだ。問題ない」


 ゲイリューダは力任せに俺のことをミリアのほうへと蹴り飛ばした。


「ぐはっ……」


「アレクさん!!」


 地面に転がる俺に、ミリアが駆け寄る。


「早くそいつに【縛鎖】を使え。もし嘘だったら次こそそいつを殺す」


 ゲイリューダの怒声に、ミリアは唇を噛むと、ゆっくりしゃがみこんで俺の腕に触れた。


「アレクさん、ごめんなさい。……【縛鎖】!!」


 ミリアの声に合わせて、虚空から無数の鎖が現れ、俺の身体を縛った。

 俺がミリアの【縛鎖】を食らうのは初めだ。

 今までボスが縛られるのを見てきたわけだが、こんな感じなのか。

 予想に反して、鎖による圧迫感のようなものはなかった。

 だが、それでも俺の身体はピクリとも動かない。

 鎖で縛っているのは見た目だけの問題で、実際には天恵による不可視の力が働いているのだろう。


「完全に動きを封じるってのが本当かはわからんが、天恵自体は嘘じゃあねぇみたいだな」


 突如として現れた鎖に、ゲイリューダが呟く。


「この力があれば、あなたのお役に立てるはずです」


 ミリアの手が俺から離れる。

 それと同時に、俺を拘束していた鎖が光となって消えていく。


「……いいだろう。お前の提案を飲んでやる。

 確かにその天恵があれば、仮面の男だって怖くねぇ」


「それじゃあアレクさんは……!」


「いいぜ。その雑魚は殺さないでおいてやるよ」


「ありがとうございます!」


 最低の取り引きが成立したというのに、ミリアの表情は本当に喜んでいるように見えた。


「だが、これで解散じゃあ面白くねぇよなあ。

 折角だ、この雑魚の前でお前が俺に忠誠を誓うところを見せてやろうぜ」


「っ!! それは……」


 ミリアの顔が苦いものに変わる。


「別にいいだろう? お前はもう俺のもんだ。

 俺が望むことなら何でもするんだろう?」


 ゲイリューダは試すように言った。


「……わかりました」


 ゲイリューダの、他者の尊厳を汚すためだけの命令を、ミリアは受け入れる。


「そうだな、お前はさっき自分は動物じゃあないと言ったな。

 まずは自分が動物だと認めるところからやってもらおうか」


「……わ、私は動物です」


「違う、違う。そうじゃあないだろう。

 しっかり教えた通りにやれよ。

 自分が畜生だと宣言するときはどうすればいいんだ?」


 ニタニタと嫌らしい笑みを浮かべるゲイリューダ。

 ミリアは一瞬険しい表情をしたが、俺のほうを見て悲しく微笑むと、その場で四つん這いになる。

 そして、意を決したように口を開いた。


「……ぶっ、ぶひぃー!

 私は、卑しい畜生です、ぶひぃー!」


 それはあまりに惨めな姿だった。

 いくら作戦のためとはいえ、ミリアがそんなことをさせられるなんて。

 今すぐ止めさせたい衝動にかられるが、そんなことしては全てが水の泡だ。

 俺はゲイリューダに見えないよう、身体の影で血が滲むほどほど拳を握りこんだ。


「はっはっは!こりゃあいいぜ! だがな、ミリアさんよぉ。

 どうして豚の癖に服なんて着てるんだ? 豚は服なんか着ないよなぁ?」


 その顔は醜悪という言葉ですら形容できないだろう。

 他人をいたぶり、辱しめることに快を得ている悪魔のような存在。

 それが今、さらにミリアのプライドを崩そうとする。


 だが、心を決めたミリアは強かった。

 スッと立ち上がると、その手を男たちによって乱された衣服へとかける。

 少しずつ、月の下に晒されていく素肌。

 下卑た笑みを浮かべる男の前だというのに、その手に淀みはない。

 一枚、一枚とミリアの足元に重なっていく。

 そしてとうとう、最後の一枚がミリアの手を離れた。


 月夜の下で、かがり火に照らし出されたミリアの姿。

 それを見て、こんな状況だというのに不覚にも俺は美しいと思ってしまった。


 夜風になびく黄金色の艶やかな髪。

 白磁のような白く透き通る肌は、作り物のように滑らかで神秘的ですらある。

 見るものを魅了する、まるで女神が地上に舞い降りたのではないかと錯覚するような光景。

 俺はそんなミリアに見とれてしまった。


「……こりゃ驚いた。

 ちっこいくせに、身体はなかなかにいいじゃねぇか!」


 思わずといった風にゲイリューダがミリアの裸体を褒める。

 こんな男にミリアの生まれたままの姿を見せなくてはならないのは遺憾だが、あと少しの辛抱だ。


 ゲイリューダはまるで街灯に誘われる虫のように、ふらふらとした足取りでミリアへと近づいた。

 そして後ろから抱きすくめるように丸太のような腕を回すと、右手でミリアの顎をつかんだ。


「おい雑魚。今からお前の前でこの女を犯してやるよ。

 もう二度と見ることのない景色だろうからなぁ。

 拾った命に精々刻んでおくんだな」


 汚い嘲笑が資材置場に響く。

 自分の置かれている状況にも気がつかずに。


「……ゲイリューダ。

 お前が正真正銘最低のクズで助かった。

 これならなんの躊躇いもなく斬れる」


 今がそのときだろう。

 俺は剣を杖のようにしながら、ゆっくりと立ち上がった。


「まったく、折角殺さないでおいてやろうと思ったのに、まだやるのか?

 なあ、ミリア。

 見逃してやろうとしてんのに、こいつから襲いかかってこようとしてるんだ。

 それを返り討ちにして、もし殺しちまってもそれは俺のせいじゃないよなぁ?」


 ゲイリューダがミリアに尋ねるが、俺はそれを遮るようにして口を開いた。


「ミリア、俺はこいつを斬る。だから、力を貸してくれ!」


「ああ?何を言って……」


 未だに現状を理解できていない様子のゲイリューダ。

 その姿はいっそ憐れだった。


(ゲイリューダ、お前はもう終わってるんだよっ!!)


「【縛鎖】っ!!」


 虚空から現れた無数の鎖。

 それはミリアの身体を抱きしめるゲイリューダを瞬時に拘束した。


「なっ!? お前、【縛鎖】は一日一回しか使えないんじゃ!?」


「そんなわけないじゃないですか。あなたがとんだ間抜けで助かりました」


 手を離さないようにしながら、ミリアはゲイリューダの腕から抜け出した。


「このクソアマがあ!!」


 今にも襲いかからんとするが、ゲイリューダの怪力をもってしてもミリアの【縛鎖】から逃れることはできない。


 俺はゲイリューダの前に立つとその手に持った剣を構えた。

 このまま振り下ろしても殺すことはできるだろうが、そうはしない。


「アレクさん……」


 心配そうな顔をミリアが向けてくる。


「ありがとう、ミリア。大丈夫だ」


 俺はそれだけ返すと、動きを止めた。

 細く、深く、長い呼吸を意識する。

 心は波紋一つない水面のように。

 魂は燃え盛る烈火のように。

 次に放つ一撃に、全神経を集中する。


 ゲイリューダに対する怒りも、己の不甲斐なさも、ミリアへの悔悟の念もその全てが溶けていく。

 わめくゲイリューダの声はもう届かない。

 ただただ、魔物のようにどす黒く醜悪なその魂だけを見据える。


 一分。

 それは闘いの中ではあまりにも長い時間。

 俺一人では、決してゲイリューダ相手にこの天恵を使うことはできなかっただろう。

 俺はまだまだ弱い。

 誰かを守れるようなそんな器ではない。


 だが、一人でもない。

 俺にはミリアがいる。

 二人なら俺は、俺たちはもっと強くなれる。

 また、すれ違うこともあるだろう。

 互いを思うがゆえに、言葉にできないようなこともあるかもしれない。

 だがそれでも、俺はミリアを信頼し、そして信頼されるような関係になりたい。

 どんな窮地に陥ろうとも、二人ならば必ず抜け出せるはずだ。


 ミリアが作り出してくれるこの一分を俺は決して無駄にはしない。


 刀身が白く輝く。

 俺は初めて人間の魂を斬る。


 肉体の損傷であれば、どれだけ酷くても特級ポーションや高度の回復魔法で癒すことができる。

 例え死んでいたとしても、眉唾ではあるが、蘇生系の天恵なら生き返らせることも可能だろう。


 だが、魂を斬られたものは、その限りではない。

 もちろん、試したことがあるわけではないが、魂を見ることのできる者として、確信のようなものがあった。

 いくら肉体を蘇生できようとも、魂のない器は生きているとはいえないだろう。


 これはただの殺生ではない。

 その存在をこの世から完全に消し去る一撃だ。

 そこまでする必要があるのかはわからない。

 だが、俺はこの一太刀を後悔することはないだろう。


 自分が聖人君子だなんて思わない。

 この殺しに正義があるかなんて知らない。

 ただ、大切なものを傷つけたこの男を許せなかった。

 それだけの話だ。


 俺は醜悪な魂へと剣を振り下ろした。


「【斬魂】っ!!」


 俺が手も足もでなかった男の身体を、一切の抵抗なく白く輝く剣が斬り抜ける。

 文字通り、一撃必殺。


 痛みはない。

 ゲイリューダは何が起こったのかわからないだろう。

 そして、二度とわかることもない。


 サラサラと俺の手から剣が散っていく。

 それから二分の制限時間を待つことなく、ミリアの【縛鎖】は光となって消えていった。

 ゲイリューダだった巨体が、ゆっくりと崩れ落ちる。

 その中にはもう、何も見えなかった。


 終わった。

 その安堵からか、ふっと膝の力が抜ける。


「アレクさんっ!!」


 倒れこむ俺を、ミリアが優しく受け止めた。

 なんだか久しぶりにミリアに触れた気がする。


「……ミリア、俺にはお前が必要だ。

 お前のことをもっとよく知りたいし、お前と一緒に強くなりたい。

 いや、ミリアは俺なんかよりよっぽど強いか。

 でも、もう俺はミリアから逃げたりしないよ。

 どんなに自分が情けなくても、しっかりと相談してミリアと一緒にいられるように努力する」


「私も、です。私もアレクさんともっと一緒にいたいです。

 頼りないかもしれませんが、私だってアレクさんの力になりたいんです。

 どんどん相談してください。そして、一緒に悩みましょう。

 私もアレクさんにいっぱい相談します。だから、一緒に考えてください」


「っ!! ああ、もちろんだ! もちろんだとも。

 これからもよろしく頼むぜ、相棒」


「はいっ!!」


 俺は痛む腕で、その小さな身体を抱きしめた。

 それは少し力を入れれば折れてしまいそうで、そしてとても頼もしい温もりだった。

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