第24話 仮面の男

 ミリアは宛もなくレイストの街を歩いていた。

 短剣を買うために外出したが、結局その目的を達成することはできなかった。

 自分はいったい何をやっているのだろう。


「はあ……」


 思わず溜め息が漏れる。

 辺りからは賑やかな生活の音が聞こえてくる。

 活気に沸くレイストの街で、沈んでいる自分だけが取り残されてしまったようだ。


(ソロのままの方が良かったのかな……)


 ふとそんな考えが脳裏を過る。

 アレクと<はぐれ鳥の巣>を結成したことに後悔はない。

 一緒にダンジョンへ潜り、協力してボスを倒したときの達成感は、これまで味わったことのないものだった。

 そしてそれは、きっとアレクにとっても同じことだろう。


 だからこそ、アレクの足を引っ張ってまで一緒にいようとは思えなかった。

 もちろん、ミリアはこれからもアレクと一緒に冒険者として活動していきたいと思っている。

 だがもし、アレクからパーティーの解散を提案されたら、きっと反対できないだろう。

 反対をしたところで、アレクを引き留めることなど、ミリアにはできないだろうから。


 いつもは元気づけられる人々の賑やかな声も、今は少しだけ騒がしかった。

 目的のない足は、人々の声を避けるように、人気のない方向へと伸びていった。


 まだレイストに来て日が浅く、街中を散策できていなかった。

 大通りから少し入っただけで、これほど静かになるということを、今日初めて知った。

 路地の左右に並ぶ木造の家々も、今は家主が不在なのか、閉めきられているものが多かった。


 他に誰もいない、一人だけの空間。

 ソロで活動していたときはそれほど珍しいものではなかった。

 自分だけの静かな時間も、決して嫌いではなかった。

 だがしかし、どういうわけか今はそれが少し寂しく感じられた。


「何か悩みごとがおありのようですねぇ」


 突如として聞こえた声に、ミリアは振り向いた。

 果たしてそこには、一人の男が立っていた。

 顔には道化師のような、薄気味悪い白塗りの仮面がつけられている。


 声をかけられるまで男の存在にまったく気がつかなかった。

 いくらボーっとしていたとはいえ、そんなことありえるのだろうか。


 不気味な仮面も相まって、男に対する警戒心が沸き上がる。


「おっと。別に私は怪しい者ではありませんよ。

 こんな人気のない場所に、暗い表情をした女性が一人で歩いていたものですから。

 紳士として、つい心配になってしまったのです」


 仮面で表情は見えないが、その声色は快活なものだった。


「そうだったんですね。

 すみません、心配してくださったのに警戒するような態度をとってしまって」


「いやいや、気にすることはありませんよ。

 こんな仮面をつけた男に突然話しかけられたのです。

 警戒するのは当然のことでしょう」


 まるで本物の道化師のように、身振りを混ぜながらカラカラと笑う男。

 その姿は少し滑稽で、ミリアは思わずクスリと笑みをこぼした。


「おや、素敵な笑顔ですね。

 あなたには暗い顔よりも、そちらの方が良くお似合いですよ」


「あ、ありがとうございます……」


 男の言葉に思わず赤面する。

 それにしても、この男。

 格好こそ怪しいが、悪い人ではないのかもしれない。

 あの仮面も、もしかしたらお忍びで顔を隠さなければならない立場の人だったり、あるいは他人にみせたくないような傷があったりするだけなのかもしれない。

 こうして気さくに会話をしてくれているのだ。

 見た目で判断するのは不敬というものだろう。


「私の名前はセオロ。気軽にセオロとお呼びください」


「ではセオロさんとお呼びしますね。私はミリアです。

 一応、冒険者をしています」


 先ほどまで考えていたこともあって、冒険者だと名乗るのに若干歯切れが悪くなってしまう。


「なるほど、ミリアは冒険者をなさっているのですねぇ。

 それではもしかして、その表情の原因も冒険者に関わることでは?」


「そ、それは……」


 セオロの鋭い指摘に、思わず言い淀んでしまう。


「ここでお会いしたのも何かの縁です。

 あなたの悩みを私に話してみてはいかがでしょう。

 誰かに話すことで、楽になることもありますよ」


 悩みを話す、か。

 誰かに相談するなんて、考えてもみなかった。

 レイストに来たばかりで、まだ知り合いが少ないというのもあるのかもしれない。


 相談する相手が初対面の男性というところに思うところがないわけでもない。

 だが、セオロの言う通り、これも何かの縁だろう。

 一切関わりのない人だからこそ、客観的なアドバイスをくれるかもしれない。


「……それでは、お言葉に甘えてもいいですか?」


「ええ、もちろんですとも」


 ミリアたちは積まれていた木箱に隣り合うようにして腰を下ろした。

 薄暗い路地裏の地面へと視線を落とす。

 それから私は胸の内にある、自分では解きほぐせない思いをセオロに打ち明けた。

 レイストで一人、心細かったこと。

 アレクと<はぐれ鳥の巣>を組むことになって嬉しかったこと。

 二人でのダンジョン攻略が充実していること。

 そして、このままでは自分はアレクの足を引っ張ってしまうだろうということ。


 己の劣等感を言葉にして吐き出すというのは、胸を締めつけられるようで苦しかった。

 だがそれと同時に、つかえていたものが取れたような、清々しさも感じていた。


「……私はこれからどうしたらいいんでしょう?」


 少しの沈黙のあと、セオロは表情の変わらない仮面を向けてきた。


「ミリアはアレクとこれからも一緒にいたいのですよねぇ?」


「それはもちろん。

 ……でも、アレクさんの足を引っ張ってしまうのは嫌なんです。

 そうなるくらいなら、パーティーを解散した方が……」


「ミリア、あなたはとても優しい人なんですねぇ。

 こうしてお話を聞いていても、あなたは一度もアレクのことを悪く言ったりしなかった」


「そんな、アレクさんのことを悪く言うなんて……」


「ですが、それは本当に優しさなのでしょうか?」


「えっ?」


 ミリアは俯いていた顔を上げると、セオロに視線を向けた。


「あなただって心の奥では思っているのではないですか?

 悪いのは自分だけではない。

 アレクにだって非がある。

 アレクだってもっとこうしてくれたらいいのに。

 どうして自分だけがこんなに悩まなくてはいけないのか」


「そ、そんなこと……」


 ない、とは言えなかった。

 アレクにもっと頼ってほしい。

 アレクがミリアを大切に思ってくれているように、ミリアだってアレクに傷ついてほしくない。

 無茶な戦い方はしないでほしい。

 悩みごとがあるなら、抱え込まずに相談してほしい。


 いろんな思いが沸き上がり、その度に己の無力感に押し潰されていく。

 結局、ミリアに力さえあれば、どの悩みも解決する。

 無力だから、無力な自分がいけないのだ。


「あなたはアレクの足を引っ張りたくないとおっしゃいましたねぇ」


「はい……」


「ではもしあなたが他を圧倒するような力を授かったとしましょう。

 それはアレクを凌ぐような力です。

 今後、アレクの足を引っ張るようなことはなくなるでしょう。

 そうなりたいですか?」


「そんな力が手に入るのなら。

 アレクさんに迷惑をかけずに済むのならその方が良いに決まっています」


「ですがそうなったらきっと、アレクはあなたにこう言うでしょうねぇ。

 ミリアの足を引っ張りたくはないからパーティーを解散しよう、と」


 セオロの言葉にミリアは目を見開いた。


「で、でもそれは私がすごい力を手に入れたらの話で。

 アレクさんと同じくらいに強くなればそんなことは……」


「同じくらいの強さとは何でしょう?

 もし、ミリアの実力がアレクに追いついたとして、そうしたらあなたは強くなる努力を止めるのですか?

 アレクが日々頑張っている横で、あなたは手を抜きながら冒険をするつもりですか?」


「そ、それは……」


「そもそも、強さなんてものは、ひどく曖昧な代物です。

 状況によって変わり、流動的で、可変的なもの。

 ミリアとアレクが同一人物でない以上、同じになることなどありえません。

 どちらかが強くなれば、どちらかが弱くなる。

 そういうものです。

 そして、弱い者には常に劣等感がつきまとう。

 それがなくなることなどありませんよ。

 呪いのように、いつまでも、いつまでも心を蝕んでいく。

 逃れることなどできません」


 セオロの言葉は、やけに重くミリアの心へとのしかかった。

 この劣等感が消えることはない。

 それはつまり、アレクの隣に居続ける限り、ミリアは、あるいはアレクは相手に対して常に引け目を感じ続けなくてはいけなくなる。

 それはあんまりだろう。


「そんなの……、そんなの辛すぎます。

 それじゃあ私はいったいどうしたら……」


「分かち合いなさい」


「分かち、合う?」


「強くなることは間違いではありません。

 でもそれは一朝一夕でできるようなものではない。

 では今できることはないか。

 それは、パーティーを組むことで得られた喜びも、悲しみも、不安も劣等感さえも分かち合うことです。

 ミリア、あなたはとても優しい人です。

 それは間違いなくあなたの美徳でしょう。

 ですが、相手のことだけを思って、自分を押し込めるのは本当の仲間とは言えませんねぇ。

 そんなの優しさでも何でもありませんよ。

 相手を思いやっているんじゃない。

 ただ、自分が傷つくのが怖いだけです。

 仲間なら、アレクを仲間だと思っているのなら、あなたの思いを全てぶつけてやりなさい。

 そして、あなたもアレクの思いをしっかり受け止めなさい。

 それによって傷つくこともあるかもしれません。

 ですが、その傷すらも分かち合いなさい。

 思いやりだとか、以心伝心だとか、そんなもので本当に相手の思っていることを汲み取れる者など、ごく一部に過ぎません。

 言葉にして伝えて、ようやくその思いのいくらかを伝えることができるのです」


「思いをぶつける……」


 この胸の内に泥のように溜まっている劣等感。

 弱い自分、情けない自分。

 きっとアレクがミリアに対して抱いている「理想のミリア」とは違う、醜い本当の姿。

 果たしてそんなものを伝えて、アレクは受け入れてくれるのだろうか。


「アレクに己の内側をさらけ出すのが怖いですか?」


「はい……」


「ではアレクがあなたに胸の内をさらけ出そうとしたら、あなたは受け止めることができますか?」


「それは大丈夫だと思います。

 どんなアレクさんだったとしても、私は強くて優しいアレクさんを知っていますから。

 むしろ、新しい一面を知れて嬉しく思うかもしれません」


「なら、アレクはあなたの話を聞いて、あなたを拒絶するような人だと思いますか?」


「……そんなことはないと思います。

 けどそれは……」


「アレクもきっと同じ気持ちだと思いますよ」


 アレクが同じ気持ちを抱いている。

 それはミリアと同じように劣等感を抱き、ミリアから拒絶されるのを恐れているということだろうか。


「ミリアの話だと、アレクもこれまではソロで活動してきて、レイストに来て初めてパーティーを組んだんですよねぇ?」


「そうです」


「よほどの奇人、変人でもない限り、同じ境遇に置かれた人が抱く感情というものは似たようなものなんですよ。

 あなたが感じたアレクの焦りのようなものも、きっとミリアと同じように劣等感からくるものだったのでしょうねぇ」


 アレクが抱く劣等感。

 それが何に対するものなのか、ミリアにはわからない。


「アレクもあなたと同じように悩んでいるのだと思いますよ。

 でも、拒絶されるのが怖くて話を切り出せない。

 まあ、それを本人が自覚しているかはわかりませんがねぇ。

 でも、あなたはもうどうすればいいかわかっている。

 先に一歩を踏み出す勇気というのも、立派な力の一つだと私は思いますよ」


 一歩を踏み出す勇気。

 ミリアにそんな勇気が、力があるだろうか。

 いや、違う。

 今ここでその力を手にするのだ。

 怖くても前へと進む。

 それが今のミリアにできる、精一杯のことなのだから。


「時間というものは残酷でしてねぇ。

 長い時間の中で築かれた関係というものは、なかなか壊せるものではないのですよ。

 気がついたときにはもう、手遅れなんてこともよくあります。

 ですが、あなたたちはまだ始まったばかりです。

 今ならまだ間に合うでしょう」


 冒険者になって、初めてパーティーを組んだ。

 ソロで活動するのとは訳が違う。

 相手がいて初めてパーティーとして成立する。

 ミリアのことを仲間に誘ってくれたアレク。

 新しい世界へ踏み出すために、ミリアの背中を押してくれた。

 彼との関係をこんな形で終わらせるわけにはいかない。

 今度はミリアが一歩踏み出す番だ。


「セオロさん、ありがとうございます!

 今私が何をしなければいけないのか、わかった気がします!」


 薄暗い路地裏でも、日の光は射し込んでくる。

 見上げると、そこには透き通るような青空が広がっていた。


「礼には及びませんよ。

 もしまた何かあったら、相談に乗りますからねぇ」


「ありがとうございます!」


 相変わらず仮面に隠れてその表情をうかがうことはできない。

 だが、そんなのは些細なことだった。

 セオロに相談して良かった。

 今すぐに返せるようなものはないが、今度会ったらしっかりお礼をしよう。


「そうだ、ミリア。

 あなたにこれをあげましょう」


 そう言うと、セオロはどこから取り出したのか、一輪の花を差し出してきた。


「これは?」


「西の方の国で採れる、ヴァリレアという花です。

 この花の香りにはリラックス効果がありましてねぇ。

 アレクと話をする前に嗅げば、緊張も解れると思いますよ。

 ほら、どうです?いい香りでしょう」


 白い小さな花弁をつけた花は、非常に可愛らしかった。

 鼻に近づけてその香りを胸一杯に吸い込む。

 少しツンとするような清涼感のある香りだが、確かにこれなら気分も落ち着く気がする。


 ガクッ


「あ、れ……」


 不意に膝から力が抜けた。

 頭がぼんやりとして、それになんだかとても眠い。

 そんなに疲れが溜まっていたのだろうか。


「おっと、言い忘れていましたが、その花の香りにはリラックスする以外の効果もありましてねぇ。

 それは強力な睡眠作用なのですが。

 少し香りを嗅ぐだけで、数時間は目を覚まさないという優れものなんですよ。

 ……おやおや、その様子では、もう私の声は聞こえていなさそうですねぇ」


 こんなところで寝るわけにはいかない。

 早く宿屋に帰らないと。

 ぼやけた思考で強烈な睡魔に抗うが、もう既にミリアの身体が動くことはなかった。


「ゆっくりお休みなさい。

 目が覚めたらあなたは少し辛い思いをするかもしれませんが、大丈夫です。

 あなたたちならきっと乗り越えられますよ」


 倒れ伏すミリアに、セオロの声が届くことはなかった。

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