第23話 ミリアの思い
その日、ミリアは「ドースト商会」を訪れていた。
レイストで最も大きい武器屋で、以前にも第四階層のフレイムウルフ対策として、火属性耐性のローブを購入したことがある。
広い店内には整然と商品が陳列されており、その様を眺めているだけでも圧倒されるものがある。
ミリアの基本装備は短剣と革の軽装備だけだが、やはりミリアも冒険者であり、自分が使わない道具であってもついつい目を惹かれてしまう。
例えば金属の全身装備。
鎧立てに飾られた鈍色の全身鎧は、華奢なミリアでは着こなすことができないだろう。
ろくに動くこともできず、袋叩きにされる未来を容易に想像することができる。
だが、もしあの装備を身につけてダンジョンに潜ったとしたら、その安心感は革装備の比ではないはずだ。
例えばポーション類。
普段ミリアが常備しているポーションは、低価格で品質も下級のものだけだ。
もちろん、品質が保証されているものを購入するようにしているので、露店で怪しげな商人が売っている本当の劣悪品に比べれば、それなりに値が張る。
だがそれでも、「ドースト商会」に個別で陳列されているような、中級や上級ポーションと比べると、値段も品質も落ちる。
使用しているところを見たことはないが、上級ポーションにもなると骨折やある程度の臓器損傷すら瞬時に治してしまうらしい。
さらにレイスト一の武器屋である「ドースト商会」にすら––––表向きはという注釈はつくだろうが––––陳列されていない特級ポーションにもなると、死んでさえいなければありとあらゆる傷を癒すことができるという、もはや眉唾レベルのとんでもない効果があるらしい。
もちろん、その分値段もとんでもないことになるので、今のミリアではどう頑張っても購入することはできないが。
特級は無理でもいつかは中級、いや上級ポーションを買えるような冒険者になろう。
そう心の中で決心し、商品の誘惑を振り切って目的のコーナーへとたどり着いた。
今日のお目当ては短剣だ。
昨日の第五階層攻略で、アレクが【斬魂】を使った反動により、ミリアの短剣は消滅してしまった。
アレクに短剣を渡したことに後悔はない。
あの場面では、ミリアの短剣を使ってもらうことが最善の方法だったと思う。
冒険者になってからずっと冒険を共にしてきた剣なので、愛着がなかったわけではない。
手入れだって欠かさず行ってきた。
だが、所詮剣は剣だ。
消耗品だし、どれだけ手入れをしようとも、いずれは使えなくなるときが来る。
それがたまたま昨日だったというだけだ。
飾られている剣は性能の差こそあるが、どれも素材の持ち味を活かした逸品ばかりだ。
その分値段の方も優しくはないが、鉄剣くらいであれば予算の範囲内である。
目玉商品として飾られている魔剣に熱い視線を注ぎつつ、鉄剣に手を伸ばす。
しかしその手は、剣に触れる前にピタリと止まった。
(もしかしたらまた、アレクさんに剣を貸すことがあるかもしれないし、それならこんな良い剣を買わない方がいいのかな……)
【斬魂】で消滅することを考えると、アレクと同じように捨て値の剣を買っておいた方が出費は抑えられるだろう。
だが、ダンジョンへ潜る度に確実に剣をロストするアレクならばそれでもいいかもしれないが、ミリアの場合、アレクに貸さない限りは剣をロストすることはまずない。
もしかしたら、このまま二度と貸すような場面が訪れない可能性だってないとはいえない。
そう考えると、捨て値の剣に自身の命を預けるのは少し抵抗がある。
戦闘中に剣が折れるようなことがあったら、それこそ命に関わるだろう。
(アレクさん……)
ミリアにとって、アレクとの出会いは奇跡と言っても差し支えない。
ミリアの天恵【縛鎖】は、強力な効果がある一方で、おおよそ通常のダンジョンで役に立つものではなかった。
低階層で日銭を稼ぐ生活も悪くはなかったが、やはり冒険者になった以上、己の天恵を活かした戦い方をしてみたかった。
そんなときに噂で聞いたのが、レイストのダンジョンだ。
全ての階層がボス部屋だけで構成されているという、他に類を見ない異形のダンジョン。
その話を聞いた時、これはチャンスだとミリアは思った。
レイストでなら自身の天恵と共に、ダンジョン攻略をすることができるかもしれない。
一念発起したミリアは長い旅路を経て、レイストの地へと足を踏み入れた。
期待を胸にやって来たが、いざ冒険者ギルドを前にすると、見ないふりをしていた不安が一気に膨れ上がった。
もしここでも駄目だったら。
そう思うと、冒険者ギルドの中へと入っていくことができなかった。
アレクが声をかけてくれたのはそんな時だった。
話を聞くと、アレクもミリアと同じように普通のダンジョンでは自身の天恵を活かせなかったらしい。
それで、はるばるレイストのダンジョンを訪れたようだ。
(この人も私と同じなんだ……)
自分と同じ境遇の人がいる。
その事実に、陳腐かもしれないが、ミリアは運命のようなものを感じていた。
だから、アレクから「なら、俺と組まないか」と言われた時は本当に嬉しかった。
この人となら、対等な仲間として冒険ができるかもしれない。
そう思った。
そしてその運命は間違いではなかった。
ミリアの【縛鎖】と、アレクの【斬魂】。
二人の天恵はまるでパズルのピースをはめるように、ピタリと噛み合った。
ミリアが【縛鎖】で相手の動きを止め、アレクが【斬魂】で葬る。
二人の前では、低階層ではあるが、ダンジョンのボスですら呆気なく光となって散っていった。
アレクとならもっと強くなれる。
ミリアはそう確信した。
アレクと過ごす日々は、ミリアのこれまでの人生で最も輝いているかもしれない。
共にボスを倒したときの喜び。
酔い潰れるまで酒を飲んで、アレクをからかったりして。
そんな、ソロで活動していた時には味わうことのできなかった当たり前の日常が、堪らなく愛おしかった。
だからこそ、自覚せざるをえなかった。
己の無力さを。
攻略が進むにつれて、アレクの負担が大きくなっていくのを感じていた。
二人の戦闘スタイルの性質上、ミリアが確実に相手の動きを止めるためには、アレクが囮となって注意を引く必要がある。
それは理解できる。
だが、相手はダンジョンのボスだ。
その実力は当然ながら、同等のダンジョンの迷宮部を徘徊しているような魔物よりよっぽど強い。
それをアレク一人で相手しなくてはならないのだ。
第二階層までは確かな実力できっちりボスを抑えていたアレクだったが、第三階層のボス、エルダートレントを相手にしたときはそういうわけにもいかなかった。
ヒトと魔物の体格の違い。
単純な実力だけでは覆すことのできないそれを、アレクは己の身を張ることで乗り越えてみせた。
エルダートレントの枝に飛び付いたときにはさすがに肝が冷えたものだ。
ミリアもアレクの役に立ちたい。
せめて、足を引っ張らないようにだけは。
そう勇んで挑んだ第四階層。
ボスのフレイムウルフは、ミリアにとって相性の悪い相手だった。
フレイムウルフの体表が、文字通り燃えるように熱かったのだ。
一度目のチャンス。
フレイムウルフが火属性魔法を使おうと立ち止まった。
【縛鎖】を使おうと、ミリアが淡く光る紅色の毛に触れた時だった。
触れた手に激痛が走り、反射的に手を引っ込めてしまった。
チラッと自身の手を確認すると、赤く火傷してしまっているのがわかった。
火属性耐性のローブを着ていたとはいえ、さすがに直接触れた熱量の全てを遮断することはできなかったらしい。
だがそれではミリアは己の役割を果たすことができない。
アレクが懸命にフレイムウルフのことを牽制してくれているというのに、このままでは足を引っ張ってしまう。
それだけは駄目だ。
アレクと対等な関係でいなくては。
手を引かれているだけでは、ソロだった頃と変わらなくなってしまう。
そして二度目のチャンス。
再びフレイムウルフが立ち止まった。
ミリアはその身を襲うであろう激痛を想像しながらも、迷うことなくフレイムウルフに触れた。
「っ! 【縛鎖】!」
手を焼かれる痛みに耐えながら、【縛鎖】を発動する。
一分だ。
一分だけこの痛みに耐えれば、アレクがフレイムウルフを倒してくれる。
微かに肉の焼ける臭いが鼻を突いた。
脂汗が止まらない。
痛い、痛い、痛い。
己を焼く鋭い痛みに、思わず涙が浮かぶ。
だがそれでもこの手を離すわけにはいかなかった。
あまりにも長い一分。
しかしきっちり一分後、アレクによって魂を斬られたフレイムウルフは、無数の光の粒となって消えていった。
焼け爛れた手は耐えがたいほどに痛んだが、それ以上に達成感がミリアの中を埋めていた。
(私はアレクさんの隣に立っていられる……)
その事が何よりも嬉しかった。
けれども、アレクの反応はミリアを誉めるものではなく、無謀な行為を諌めるものだった。
それは当然だろう。
逆の立場だったら、アレクが自傷しながら敵を引きつけていたら、きっとミリアも同じ反応をすると思う。
だが今は、対等な仲間として一緒に喜びを分かち合いたかった。
そんな、悲しそうな顔で謝ってほしくなんてなかった。
うっすらと感じていたのだ。
アレクにとってミリアは庇護すべき対象なのだと。
ミリアの【縛鎖】は認められているが、それ以外の部分では、対等になれていない。
アレクが背を預けるには、ミリアは頼りないのだろう。
その事が悔しくて、悲しかった。
誰かに認められたい。
今までソロでやってきて、こんな気持ちになったことはなかった。
パーティーを組んだからこそ生まれた感情。
その思いは、強くなりたいという決意へと変わった。
しかし、そんな決意がすぐに報われるなんてことはない。
酒場でいつものように祝勝会をしていた時に、不注意で引いた椅子が後ろを通った人にぶつかってしまった。
しかも運の悪いことに、それはゲイリューダだったのだ。
ダンジョンの前でエイラと闘っていた冒険者。
エイラに手も足も出ていなかったイメージの方が強いが、それはエイラが人外に強すぎるだけであり、ゲイリューダとてミリアが太刀打ちできるような相手ではなかった。
怖い。
強くなりたいだなんていう決意は、恐怖の前ではあまりにもちっぽけだった。
ミリアを守ろうとしてくれたアレクだったが、ゲイリューダの腕の一振で呆気なく吹き飛ばされてしまう。
力の差は歴然だった。
壁を背に倒れるアレク。
だが、ミリアはそんなアレクに助けを求めることしかできなかった。
なんて惨めなのだろう。
アレクと対等になりたいと願っているのに、アレクにすがることしかできない。
たまたまエイラが来てくれなかったら、きっとミリアは抵抗すらできないまま傷つけられてしまっていたに違いない。
そして、一度自覚した無力さというものは、意識するほどに浮き彫りになっていく。
第五階層。
ボス部屋を前にしたアレクは、なんだかいつもと様子が違っているように見えた。
何かを焦っているような。
ダンジョン攻略において、焦りのような不安定な精神状態は、予期しないミスを引き起こす可能性がある。
本来なら、仲間であるミリアがその事を指摘するべきだった。
しかし、アレクの足を引っ張っているという無力感が、その行いを邪魔した。
自分なんかが指摘する必要などない、と。
そして無力さ故の選択が、アレクに怪我を負わせるという結果を招いてしまった。
もしアレクに指摘していたら、回避できた怪我かもしれない。
自己嫌悪だけが積み重なっていく。
(アレクさんと相談してからもう一度買いにこよ……)
剣に触れることなく、伸ばした手は下ろされた。
アレクを信頼しての選択か。
それとも、無力さからくる負い目がそう判断させたのか。
今のミリアにはそれすらわからなかった。
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