第14話 信頼/信用
それから、百々たちはゆっくりと時間をかけて下山した。
麓近くまで下りてくると、パトランプの灯りが見えてきた。八森の連絡を受けた市川北署の面々だろう。情けない声を上げる八森の姿が眼裏を過ぎって、百々はそういえば、と声を上げた。
「クナド様は、結局関係ありませんでしたね」
「そういや、すっかり忘れてたな」
累も少し罰が悪そうに髪を掻き上げる。
「クナド……?」
背後から声がして、百々は驚いて柳成を振り返った。さすがに少しぐったりとした様子で柊成の肩に凭れているが、「クナド様がどうしたんすか」と平然とした顔で訊いてくる。
「ご存知なんですか?」
「ご存知もなにも、結構有名っすよ。大学のときの後輩が、ライムで送ってきましたもん」
そう言って、柳成はポケットをまさぐる。
ライムとは、電子メールに代わって急速に普及した、スマートフォンなどにインストールして無料で使えるメッセージアプリだ。企業や法人なども公式アカウントを開設して顧客にダイレクトに広告を打ったり、コミュニケーションツールとして利用されたりしている。百々もユーザーのひとりだ。
「あ、そういやケータイ、捨ててきたんだった」
柳成は舌打ちしたが、段差に足を滑らせて柊成を巻き込んでずるりと後方に傾ぐ。その腕を、桐吾が無言で掴んだ。柳成は酢を飲んだような顔をして父親の手を眺めていたが、二、三言葉を交わして、やがて再び百々を向いた。
「まさか……柳成さんは東京の集団失踪者と関わりがありますか」
「いやいや、んな大事に巻き込まれていませんて。あんたらが俺が勝手に居なくなったって突き止めたんでしょ」
「ではクナド様は? なにか知ってるんですか」
累の問いに、柳成はちんぷんかんぷんだとでもいうかのような表情をする。
「クナド様と集団失踪ってなんか関係あるんすか。俺の知ってるクナド様は、ただのライムのアカウントですよ」
「ライムのアカウント?」
「相談とか愚痴とか聞いてくれて、返事くれるんすよ。この返事が結構的を射てて。俺も何回かやりとりしましたけど、それきりっすね」
「……そんな話は誰も言ってなかったがな」
累が訝しげに言えば、柳成はああと得心が行ったように苦笑する。
「クナド様って結構ヤバイネタも聞いてくれるんすよ。ヤクがどうのとか、DVがどうのとか。犯罪ネタもイケるんじゃなかったっけな。大抵皆、後ろ暗いメッセージ送ってんじゃないっすか。そんなのケーサツに見せらんないっしょ」
「じゃあ、クナド様の都市伝説を聞いたことはありますか? 願い事を叶えるとか、たそがれ時に現れるとか。都内の学生を中心に広がっている噂らしいんですが」
「いや、俺はそーいうのは知らないっすね。ライムのアカウントだけですよ。俺、結構前に大学辞めてるんで、俺の話を学生代表みたいに鵜呑みにするのは辞めといたほうがいいと思いますけどね」
柳成は言葉を選びながらそう言い添えた。
麓の駐車場にはパトカーが停まっていて、間もなく柳成は市川北署の刑事らに連行されて行った。病院で療養し、容態に問題がなければ署に移送されることになるらしい。立川一家は百々と累に何度も頭を下げてその場を後にした。
「こえー顔してるな」
俯いて先ほど聞いた柳成の言葉を反芻していたら、そんな声が落ちてきた。
「……犯罪ネタを聞いてくれる神様。どうしても、モリミヤジンを想起せずにはいられません」
百々はそう言って、ライムのアプリが起動されたスマートフォンに目を落とす。
クナド様というアカウント名の上には、ゆるキャラっぽいイラストのプロフィール画像が表示されている。赤や黒の原色で彩られた仮面をつけた、藁人形をデフォルメしたものだ。
画像の下には、『災いを退ける、魔除けの神さまだよ!』と短い説明文が添えられていた。
「うわ、もう友だち追加したのかよ」
百々のスマートフォンを覗き込んで、累が呆れたように言う。
「人のスマホを勝手に覗かないでください。プライバシーの侵害ですよ」
「それについては謝る」
そう言いながらも、累は百々のスマートフォンを取り上げた。たちまち百々の身長では届かない高さまで吊り上げられてしまう。
百々は累を睨みつけた。
「ちょっと。今度は窃盗ですか」
「すぐ返す。けど、そうやってひとりで突っ走んな」
そう言って、累は後は送信ボタンを押すだけになっていたクナド様への『会って話がしたい』というメッセージを消去した。それから累は手帳型のスマホケースを閉じて、百々にそれを突っ返す。
「この事件、鳥居の気の済むまで付き合う。だから頼むから、ひとりにはなるな」
子ども相手でもないのに、二度も同じようなことを言う。
百々がスマートフォンのケースを開いたり閉じたりしながら、だんまりを引き摺っていると、累が焦れたように一歩歩み寄った。
累から伸びた長い影が、すっぽりと百々を包みこむ。
「俺のことは信用できねえの?」
いくつも響く烏の声に紛れてしまいそうな、ささやかな声だった。
ようやく掴みかけた、長年追いかけてきた因縁の相手に繋がるかもしれない情報だ。累に構っている場合ではない。
なのに、残照に彩られた累の髪の先が空を透かしていて、それがなんだか綺麗で、無視するには忍びないだなんて思ってしまった。
「……そういう訊き方はずるいです。境木さんだって、なにも信じられないって言っていたくせに」
「そうは言ってねぇだろ。誰も信用できないなんざ思っちゃいねえよ。鳥居のことは信頼してるっつったろ」
累はまた、なんでもないことのようにそんなことを言う。
言葉を軽く扱う人間ではないのでおそらく本心なのだと思うが、百々がその類の言葉を口にするのにどれほど四苦八苦しているかを知りもしないで平然としている様には、やはり苦々しい思いが込み上げる。
「……信用できない相手に、モリミヤジンの話なんかしません」
苦し紛れにそう吐きだせば、累の影が揺れて、ふっと淡い吐息が洩れた。
「おまえって、素直じゃねーのな」
そう言う累の声は存外不快ではなく、百々は黙って彼の隣に並んだ。
薄らとオレンジに縁どられた厚い雲の濃淡を水鏡に映しとって、風に煽られた水たまりにひかりと影が踊っている。水面を刺したひと筋の滴が、いよいよ灰色の雨がそそいでくるのを先触れのように告げていた。
いまだ百々が怯んでしまう情景に累は欠伸をひとつかましていて、なんだか息を詰めているのが馬鹿馬鹿しくなってくる。
「俺たちも行くか」
「ええ、お腹も空きました」
そう言って、百々はきゅるきゅると主張を始めた腹を撫でる。
そのとき、なにか鳥のはばたきのような音を捉えて、百々は後ろを振り返った。
ひたひたと迫る薄闇に揺らめく夏木立。その樹上に、山伏めいた法衣がひらひらと揺れている。高足駄を履いて、手に大団扇を持った大男が器用にそこに立っていた。
自分の目が信じられずに、百々は乱暴に目を擦る。
すぐ後ろで、百々の異変を察した累が取って返してくる気配がした。
「どうした?」
「今そこに――」
そう言って、百々はもう一度同じ大樹の樹上を仰ぐ。
天狗を見たと思ったその場所では、遠目に鳶らしき猛禽類が悠々と羽根を休めていた。
「いえ、なんでもありません」
百々は後ろ髪を引かれる思いになりつつ、前を向く。
後方から、強く青田風が吹きよせた。
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