第12話 迷子
「すみません。お恥ずかしいところをお見せしました。本題です。ひとつ思いだしました」
柊成は居ずまいを正して、百々と累を見やる。
「……八幡の藪知らずに入ってから数日後、柳成が調べてきたことがあるんです。千葉に他にも隠し神様がいる場所があったよって。今度一緒に行こうって約束をして、結局行けずじまいでした。まったく関係ないかもしれませんが……」
「場所は? 隠し神の言い伝えの内容は覚えていらっしゃいますか?」
百々の問いに、柊成は唇を噛む。
「それが思い出せないんです」
「天狗絡みですか?」
「……あ、そうです。たしかそう言っていました」
神隠し伝説で取り沙汰されるのは、狐や鬼などバリエーションはあるが、大方天狗と決まっている。
「千葉にも各地に天狗絡みの民話がありますが、とりわけ様々な伝承が残っているのは、南房総市にある
とはいえ、天狗伝説は巷に溢れすぎていて、候補が多すぎる。そこだという確証はない。事は一刻を争うというのに、一抹の不安が過ぎった。
「八森さんに連絡して市川北署に応援を要請してもらう。鳥居は今すぐ他の候補地のリストアップだ。伊予ヶ岳以外の候補地は他に任せりゃ当てが外れてもカバーできる。連絡終わったらすぐ出るぞ」
百々の迷いを引き取って、累がそう畳みかける。
立川一家は捜索に加わることを決め、準備のためにリビングを出て行った。
がらんとした室内にふたり取り残され、百々はメモ帳に候補地を走り書きする。ボールペンのインクが切れてしまったので、シャープペンシルをカチカチ言わせながら、意外な思いで累を仰いだ。
パラ対のコンサルタントに収まってから、これまでにもこういう局面で百々が進言したことはある。しかし八森を除けば、それが今までの相棒にまともに取り合われることなどなかった。
「なんだ?」
「いえ……人外の話は嫌いかと」
「馬鹿、今のはどう考えても人外の話が必要なケースだろうが。それに、たしかにその類の話は俺にはよく分からねえが、鳥居の知識は信頼してんだよ」
ぽきり、と音を立ててシャー芯が折れる。
この男の、このように平然と信頼を明け渡すところは、とても厄介だと思う。
冬の日の窓辺にできた小さな日だまりのように、そこにぬくぬくと身体を丸めたくなってしまう。
口をへの字にして眉を顰めた百々は、憎まれ口を叩きたいような心地になって息を吸いこんだ。
「境木さんには信じるものが沢山あっていいですね」
「は?」
「法村さんの話です。日子さんがいらっしゃったとき様子がおかしかったので、どんな話かと思ったら惚気話だったので」
百々がなにも信じられなくなってしまったとき、法村のように言葉を掛けてくれる人間は周囲にいなかった。いや実際にはいたのかもしれないが、百々はそれを聞けるような状態ではなかった。
「惚気話ってなんだよ」
累はいつもの調子で悪態をついたが、不意にふっと表情が掻き消えた。
「んないい話じゃねえ。……立川家はその後の顛末も全部織り込み済みで話を聞いてくれたから鳥居にも言っておくが、さっきの美談には続きがある」
うつろな穴に、無理やり人間味を貼りつけたような声だった。
予感に導かれるように、百々はこくりと唾を飲み込む。
「ヤーさんはある事件で犯人の逆恨みによって、一人娘を殺害された。主犯格は当時勃発したヤクザの抗争事件にも関わりのあった半グレの男。死因は頭蓋骨損傷による失血死。集団で金属バットで殴打されたらしく、娘さんは変わり果てた姿で発見された」
さっと自分の顔が青ざめるのが嫌でも分かった。
半グレは、暴力団に所属しない犯罪集団のことだ。先ほど、累は法村は犯罪者や前科持ちの世話も焼いていたと言っていた。憶測だが、法村はその犯人の面倒も見ていたのではないだろうか。
人は再生できると信じていたい。法村は累にそう言ったという。
だが、自分がそうやって手を差し伸べた相手が最愛の娘を殺してしまったら、その信条を掲げ続けることなどできるだろうか。
「集団リンチ殺人の場合、殺意の立証が難しいことから、傷害致死罪や凶器準備集合罪で立件されることも多い。実際、主犯と目された男はその場にはいたが、手は下していなかった」
「……逆恨みで法村さんの身内が狙われたのに、殺人罪には問えない?」
「そういうことだ。ヤーさんは、茫然と娘さんの亡骸を抱きしめている日子さんを見つけて事の次第を理解し、警察には通報せずに奴を単独で追いかけて――殺してしまった」
――そいつがどれほどの人間の屑だったとしても、あんたにそいつを裁く権利はない。不正義に不正義で返したところで、勝ちにはならねぇ。そいつにあんたの人生そっくりくれてやる価値があると思ってんのか。
明星の報復殺人を止めようとしていた累の叫びが鮮烈に蘇る。あれは、累が法村に掛けたかった言葉なのではないだろうか。
それまで花瓶に生けられたマリーゴールドの花を眺めながら話をしていた累は、百々が書き終えたメモを取りあげると、はじめてこちらを見下ろした。
「……なにを信じて生きてきゃいいのかなんて、俺にも分かんねぇよ」
口端こそ皮肉げに上がっていたが、それ以外のすべてが累を裏切っていた。
往来に立ち尽くした、迷子の子どものような声。ひそやかな、揺らめくカーテンの薄い影にも掻き消えてしまいそうな佇まいに、百々は言葉を失ってしまう。
ごめんなさいという言葉が舌の先までまろび出たが、そんな謝罪ひとつではとても足りない気がして、百々は口を噤む。
やがて、累は八森につなぐと、やはり何事もなかったみたいに百々のメモを読み上げ始めた。
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