第11話 帰る場所

「俺の過ちは、消えません。ですがヤーさんに帰る場所をつくってもらって、俺はこうして生きています。柳成さんは失踪前、この家を訪れている。それは彼の帰りたい場所が本当はこの家だったからじゃないんでしょうか」


 累はそう言って、立川一家の一人ひとりに根気強く視線を向けた。


「日本ではまだ、薬物依存症の芸能人が逮捕されると、まるでシリアルキラーでも捕まえたかのような過熱報道が成されます。出演した映画やドラマ作品は配信停止になり、損害賠償額数億円と喧伝され、業界からは干される。少しずつ状況は改善してきているものの、依存症患者のプライバシーを暴き立て完膚なきまでに叩きのめすバッシングは留まることを知りません。回復後に社会復帰するのは困難を極める」


 累は常の粗雑な物言いが嘘のように言葉をひとつひとつ選んで、つとめて平坦な声で続ける。


「これは薬物問題に対する社会の向き合い方として、国際的に見ると時代遅れです。欧米の先進国では、薬物依存症者を排除するのではなく、社会に再び迎え入れる仕組みづくりが成されている。そして実際、こうした施策を実施した国では、薬物使用が減少したという統計も出ています。つまり何が言いたいかというと、薬物依存者が生きていくには、孤立しないことが最も重要ということです」


 その横顔を眺めながら、百々はこの人はきっと犬飼の一件後、この問題について調べ尽くしたんだろうなと考える。

 第五課にいれば、自然と薬物について詳しくはなるだろうが、薬物犯罪を取り締まる一介の刑事が依存者の社会復帰の仔細についてこうも明るくはならないだろう。


「薬物依存は、回復する病です。そして孤立の病でもある。依存症当事者が持つ繋がりは必ずしも家族である必要はありません。ですが、柳成さんのケースでは一度はご家族にSOSを出そうとした。回復まで向き合えとは言いません。ただ、柳成さんの行き先の手がかりは、ご家族が握っている可能性が高い。なにか覚えていることはありませんか」


 それまで片時も累から目を逸らさずに話に聞き入っていた柊成が、しゃがれた声を上げる。


「……小学生の頃、柳成と八幡の藪知らずに入ったことがあるんです」


 それはまだ、柊成が六年生で柳成が二年生だった頃の話だそうだ。

 柊成は中学受験を間近に控え、学習塾と学校と家とを行き来する毎日だった。過去問を解いては参考書を開き、成績のことで父親に叱責される日々に嫌気が差して、ある日柊成は塾をサボって同級生の間でひそかな噂になっていた八幡の藪知らずに足を運んだのだという。


「ちょうど柳成も英会話の教室が終わって友達と帰ろうとしているところで、そのとき私を見つけたんです。『兄ちゃんどうしたの?』って」


 だから思わず言ってしまったのだという。


「さらわれたいんだ、隠し神さまに」


 柊成は幼少期の言葉をなぞると、自嘲するように目を伏せた。

 ここではないどこかに行けたらと夢想するのは珍しいことではない。それが思春期のことであるならなおさらだ。

 百々も神隠しなんてものがあるのなら、取り隠されてしまいたいと思ったことがないとは言えない。

 神隠しは、帰る場所をなくした者たちをいざなう甘美な夢だ。


「柳成は、私がなにを考えているのかは分からずとも、私が精神的に追いつめられているのを感じ取ったのだと思います」


 柳成は、兄の思いつきに付き合ってくれたのだという。二人は揃って禁足地である不知八幡森に足を踏み入れたのだそうだ。

 しかし、子どもの足でもそう大してかからず、森の奥に辿りついてしまう。おまけに、兄弟がいなくなったことを嗅ぎつけた両親が探しに来てしまった。程なくして、兄弟は両親に見つかったのだそうだ。


「柳成が父に言ったんです。おれが森に入りたいって言ったんだって。兄ちゃんはおれが騒ぐから、付き合ってくれただけなんだって。単純な父はすぐ騙されて、私は結局、本当のことが言えずじまいでした」


 深い悔恨に満ちた声だった。きっと柊成は、何度もその日のことを思い返してきたのだろう。父親に本当のことを告げる自分や、弟を庇う自分を夢想してきたのではないだろうか。

 そこへもってきて、弟がかつて自分が口にした言葉に似通ったことを口走って失踪した。

 自責の念に駆られ、不知八幡森の前に立ち尽くすには十分な理由だろう。


「……分かっておったわ」


 それまでだんまりを決め込んでいた桐吾が、苦虫を噛み潰したような顔をして呟く。

 訳が分からない様子で父親を振り向いた柊成に、桐吾はひたりと視線を合わせた。


「柳成がお前を庇い立てしていたことくらい分かっておった。子どもの下手な嘘すら見ぬけぬ器の小さい父親とお前は思っておったようだがな」

「嘘でしょう? ならどうして――」

「柳成の思いが無駄になるでしょう。でも結果として、あなたにも柳成にも悪いことをしたわ」


 黙りこくった桐吾の代わりに応えたのは、早苗だった。


「お父さんは、あなたに厳しくしすぎたことをこれでも反省していたの。それで、柳成はできるだけ縛らずに育てようと思ったのよ」

「弁護士でなくてもなんでもよかったのに、あいつはわざわざ面倒な道を選びおって」

「それは……お父さんを尊敬していたからですよ。柳成になんで弁護士を目指したのか聞いたことがあるんです。そしたらあの子は、弱い人や俺みたいな駄目な奴に味方できるだろって。親父は父親としてはともかく、困っている人の声を絶対に切り捨てたりはしないだろって」


 柊成の言葉に、今度は早苗と桐吾が言葉を失ってしまう。


 きっとこの一家には、いくつもの釦の掛け違いがあったのだろう。

 百々は家族という共同体に血の絆や無償の愛などといった幻想を見たことはない。なんとかそれを維持していこうとする途方もない個々人の働きかけによってのみ存在しうる、砂上の楼閣のようなものだ。不和や暴力や加齢、病気、様々な要因からいとも簡単に崩れ去ってしまう。そして必ずしも、その枠組みが維持されることがそれぞれにとって幸福だとは限らない。


 しかしこの一家はまだ、家族という脆く拙い枠組みを、手放さずにいられるのではないだろうか。そう思えた。

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