第15話 世界で一番大切なひと
朝一番で、花綵テレビを訪れた百々たちを待っていたのはパニック状態の『スクープ・トゥデイ』のスタッフたちだった。
「鷲津さんと連絡がつかないんです」
そう涙目で訴えるADの通話履歴には、三十分ほど前から十五件もの鷲津の名前が並んでいた。
もう三十分もしないうちに、生放送の開始時刻となる。いくらなんでも連絡すら取れないというのは不可解だった。
「情報が洩れて鷲津が逃げた可能性は」
百々が小さく問えば、累は首を振った。
「もし仮に情報が洩れていたとしても、逃亡すればより不利になると奴なら分かっているはずだ」
それもそうだ。
鷲津は全国に面が割れている。考えられるのは、なんらかの事件に巻き込まれた可能性だ。
「ご家族はなにかご存知じゃないんですか?」
「昨夜は飲み会があって泊まってくるからって帰ってこなかったそうなんです。よくあることなので、奥さまも気にも留めなかったって。鷲津さんのマネージャーにも確認していますが、彼もなにも知らない様子で……」
番組プロデューサーは、そう言いつつ、いつも鷲津のアシスタントを務めている局の女性アナウンサーに指示を飛ばしている。最悪、鷲津抜きで番組を始める心づもりなのだろう。
「それから、明星さんにも連絡がつかないんです。明星さんは一時間後の出番だからまだ余裕はあるんですが……」
「明星が?」
ADの言葉に累は怪訝そうな声を上げ、それから俄かに顔を強張らせた。
「明星は、宮野が死んでから番組のコーナー担当者に立候補したんだよな」
「……ええ、そう聞きました。境木さん?」
黙りこくった累は、右往左往しているスタッフたちから距離を取ると、ちょいちょいと人差し指と中指を折り曲げて百々を呼び寄せた。
そのままスタジオを通り抜けてエレベーターに飛び乗り、累は声を潜める。
「『世界で一番大切なひと』」
「え?」
「宮野のUSBに残されたあの言葉、一体誰を指していると思う?」
「……服を買いに行ったことは、高瀬さんも西東さんも言っていませんでした。西東さんは、明星さんが宮野さんのことを『とくべつに大切にしていた』と」
強張った百々の声に、累は頷く。
「もし、明星が鷲津の隠蔽工作を俺たちよりも早く掴んでいたとしたら?」
「……明星さんが、復讐のために鷲津に近づいたと?」
俄かには信じがたい仮説に、百々は視線を彷徨わせた。
「明星は、宮野が死ぬ前から彼女の様子がおかしいことに気がついていた。だが、宮野は日下部との口約束があって、その悩みを頑なに打ち明けない。そんな矢先、仕事先で高瀬がスマホを楽屋に置き忘れる。明星は、宮野の親友である高瀬ならなにか知っているんじゃないかと、藁にも縋る思いでスマホから情報を得ようとしたんじゃないか。五月二十八日号の発売前に高瀬のスマホに触れたのがそれだ」
「サイコメトリーで情報を得たとでもいうつもりですか?」
百々が批難がましい目を向ければ、累は小さく頭を振る。
「それは些細な問題だ。通常の手順でロックを解除したんだと鳥居が言うならそれでいい。或いは、ちょうど高瀬が裏アカに写真を上げて消すのを見たのかもしれない」
やけっぱちな物言いに、百々は累という人間を測りかねてしまう。
頭の回転も速く、論理的な思考回路の持ち主なのに、時折科学では説明できないことを認めるかのような発言をする。
百々は戸惑いを打ち消して、低く囁く。
「たしかに、その時点で明星さんが高瀬さんがあの写真を所持していたのを知っていたとしたら、話は変わってきます」
「五月二十八日。週刊ジャメヴに捏造記事が出る。明星は、宮野と仲の良かった高瀬が写真をわざと流出させるはずがないことは分かっていたはずだ。誰かが高瀬から写真を盗んだと当たりをつける」
それも、並々ならぬ悪意を忍ばせて。
わずかな真実にすら虚構を織り交ぜて、これでもかと嘘をデコレーションした人の負の感情の増幅器と化したその記事は、宮野を徹底的に叩き潰そうとする意志に満ちていた。
明星が高瀬の写真がわざわざ盗みだされたことを知っていれば、たまたま宮野がゴシップの対象になったのではなく、彼女が何者かから攻撃されていることに気がついてもおかしくはない。
「翌日、宮野に忠告するため明星は宮野の家を訪れる。しかし宮野は留守で、話をすることは叶わない。明星が防犯カメラに映っていたのは、そのせいだ。さて、お前なら誰を問い質す?」
「週刊ジャメヴです。週刊ジャメヴはかつて、アイドル事情通の日下部さんがMSB43のメンバーをよく記事に取り上げていた。明星さんなら、五月二十八日号の無署名記事のライターが日下部さんだとすぐに分かったはず」
「だが、あの日下部が口を割るはずがない。そして三十一日、宮野は変わり果てた姿で発見される。そこで明星は強硬手段に打って出て、日下部のパソコンを盗んだ」
「日下部さんは宮野さんの原稿はパソコンになかったはずと言ってましたが、それは思い違いで、明星さんは宮野さんの原稿を読んで、鷲津の存在に辿りついた――?」
確証はない。しかしそう考えれば、これまでの明星の行動の違和感にすべて説明がつく。
「今の状況から考えられる最悪のシナリオだ。べつに、明星はこの件に全く関与してないかもしれねぇ。だが」
「もしその仮説が正しければ――明星さんはなんらかの方法で鷲津を脅して、真相を彼の口から語らせる――もしくは、」
その先は、言葉にならない。
けれども百々が言いたかったことを理解した様子で、累が頷く。
花綵テレビの地下駐車場に二人分の靴音が慌ただしく響いていた。
「問題は、居場所の見当がつかねぇってことだ。鷲津を連れだすとしたら、どこだ?」
「……鷲津は昨夜から帰っていない、ということは明星さんと昨晩から行動を共にしている可能性があります。鷲津を油断させるなら……私なら、ホテルに誘う」
「たしかに――帝都ホテルなら、宮野の死の報復の現場としちゃぴったりだな」
「ええ。なにを説明せずとも、鷲津にすべて理解させられる」
言って、百々は捜査車両の助手席に乗り込んだ。赤色回転灯を取り出し、車の屋根に装着する。
ちょうどそのとき、百々のスマホが振動する。表示された名は、『八森さん』。百々が電話に出ると同時に、車が急発進した。
『トリラー見たか?』
開口一番、八森は弱りきった様子で尋ねた。
百々は通話をスピーカーモードにする。車窓から見える景色は視界を白濁させるほどの土砂降りで、ヘッドライトが薄く白に塗り込められた世界を切り裂いていた。
「トリラー?」
『鷲津の暴露ネタが出てる。宮野とのことも、それ以外の女性芸能人とのこともな。いくつかはショートメッセージのやりとりの画像や、電話の音声も出ていて、大炎上だ』
百々が急いでトリラーのアプリをタップすると、トレンドは鷲津清正やセクハラというワードで埋め尽くされていた。
「明星さんでしょうか」
『どうだかな。こんな短期間で協力者を集められるかは疑問だが。明星って言っちゃなんだが、人望ないタイプだろ。だがタイミングとしちゃばっちりだ。最悪なのは、鷲津の妻子の個人情報や写真まで出回っていることだな』
「……どちらかといえば、鷲津のパートナーさんやお子さんは被害者じゃないですか。なんで彼らの情報まで拡散される必要があるんです」
「叩けりゃなんだっていいんだろ。理屈なんてねえよ」
累はそう吐き捨てると、八森にいくつかの報告をして電話を切った。
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