第14話 落着?
「次は鷲津か。強要罪は固いな」
深夜のパラ対のオフィス。
山のような書類仕事に疲弊しきった様子で累が言った。気に入りの来客用ソファに長い手足を投げだして、缶コーヒーをまずいと言いながら啜っている。
日下部はというと、住居侵入と窃盗未遂、名誉棄損の容疑で検察に身柄を送検された。
取り調べのなかで、鷲津による日下部への強要の物証もいくつか見つかった。令状も下りたので、明日にも鷲津の確保に向かう予定だ。
日下部のパソコンの窃盗についても調べているが、犯行場所に監視カメラの類はなく、犯人の手がかりは掴めていない。
百々はマイ水筒の緑茶に口をつけながら、もう何度読み返したか分からない宮野の告発文書を眺めていた。
「……鷲津の強姦は罪に問えないんですか」
「準強制性交等罪は立証が難しい。マル被が生きていたところで不起訴になりがちだ。宮野の文書にも、行為の前後の記述がない」
「宮野さんの供述が曖昧なのは、薬物が使われたからではないかと彼女自身も推測しています」
性的暴行目的で使われるデートレイプドラッグは、近年日本でも問題視されている。
病院などで簡単に処方される睡眠導入剤をアルコールに混入させられ、気づいたら記憶をなくしてホテルに連れ込まれていたという被害が後を絶たない。
「だが、それを証明する手立てがねえし、そもそもこの分じゃ鷲津は行為自体を認めねぇだろ」
「宮野さんを鷲津がホテルの部屋に引きずり込んだのは、ホテル側の防犯カメラの映像提供で明らかになりましたよね」
「その密室でなにが起こったかは鷲津と宮野にしか分からない。証拠がねえんだよ。たとえ鷲津が行為を認めたとして、合意があったと主張されれば引っくり返すのは至難の業だ」
百々は眉を跳ね上げた。
「意識を失っていたのに合意なんてあるはずがないじゃないですか。そもそも、鷲津は妻帯者ですよ」
「ちがいないとかはずがない、じゃ有罪にはならねえんだよ。この国は法治国家だ」
そんなことは、言われなくても分かっている。正論が聞きたいわけではない。ただ、感情のやり場がなかったのだ。
百々も件の鷲津がどういう人物かは少なからず知っている。それにわざわざ好き好んでありもしない性的被害を実名で訴える女が、果たしてこの世にどれだけいるだろうか。あの告発が宮野のでっちあげとはとても思えなかった。
正攻法では鷲津をまともに捜査してももらえず、決死の思いで実名での告発に踏み切ってなお、その訴えは踏みにじられてないものとされた。さらに死後も、彼女の思いは軽んじられ、偽りと悪意にまみれたデマによって歪められ続けるのだろうか。
「……宮野さんが亡くなったのは、彼女の弱さのせいなんかじゃありません。性犯罪被害者が泣き寝入りするか、矢面に立って戦うかの二択しかないなんておかしいですよ。犯罪が犯罪として裁かれる。それが正しい社会の姿なんじゃないんですか」
百々は床を睨みつける。
感情的になっているのは自覚していたので小馬鹿にされるかと思ったが、累は静かに「そうだな」と同調した。
思えば、花綵テレビのスタジオでも、累は百々を鷲津のセクハラからそれとなく庇ってくれたのだった。
今さらだが、意地を張って礼のひとつも言わなかったことが恥ずかしくなってきた。
百々はいそいそと立ちあがると、累の向かいのソファに腰掛けた。
「あのとき、庇っていただいてありがとうございました」
「あのとき?」
累はソファの肘掛けに足を乗り上げさせたままの態勢で、怪訝そうに目線を上げる。
「ああ、日下部の確保のとき? 心配しなくても、お前に元々機動力は期待してねえよ。見るからにとろそうだしな」
「……一言多いですし、そっちじゃありません。そっちは許すつもりないですからね。寿命が三年は縮みました。……鷲津ですよ、鷲津」
累は百々の方をちらりと見ると、のっそりと身を起こした。
「あれは……あのクズが百パー悪い。鳥居が礼を言うことじゃねぇだろ。周りが見て見ぬ振りをするからああいう奴らが増長する。性暴力やセクハラや痴漢を無くすには法や社会制度の改革も必要だが、周りが目を塞いでりゃなんの意味もねえ。あれは鳥居個人の問題じゃなく、俺たちの社会の問題でもあるんだよ」
累は、都条例違反で引っ張ってもよかったんだが、などと言って指の関節を鳴らしている。
さすがに背中を少し触られた程度では、都の迷惑防止条例違反にはならなかっただろう。もう少し様子見をしていれば、明確にアウトな行為に及んだかもしれないが、おそらく累はそれ以上百々が不快な思いをすることに黙っていられずに口を挟んだにちがいなかった。
言葉にできない思いが胸に込み上げてきて、百々はシネコンで貰ってきた『誰が駒鳥を殺したの?』のフライヤーをそっとなぞった。
宮野に、累の言葉を聞かせてやりたかった。一緒に戦おうと言いたかった。宮野を、ひとりぼっちにさせたくなかった。
クック・ロビンの原典では、一羽の雀が駒鳥を殺したと告白する。一方、駒鳥を演じた宮野は自身を殺した。
自殺に加害者は存在しない。でも、本当にそうだろうか。
「この分じゃ、明星は完全にシロっぽいな」
日下部を連行する際に、百々たちは『プランタン新宿』の防犯カメラの映像を入手していた。
明星は本当に宮野と親しかったらしく、彼女が生きているころは何度も映像に映り込んでいた。
問題の『週刊ジャメヴ』五月二十八日号が発売された次の日にもマンションを訪れていたが、宮野が不在だったのかすぐに帰っていた。それ以後は、明星は宮野のマンションに姿を見せていない。
「ええ……。でも、どうして高瀬さんのスマホに明星さんの指紋がついていたんでしょうか」
「意外と親切に拾ってやっただけかもな。サイコメトリーが使えるんなら話は別だが」
「拘りますね。……もうひとつ引っかかっているのは、スタジオで彼女が鷲津から私を庇うような真似をしたことです。あのときは私も明星さんの胡散臭さで頭がいっぱいで、あまり疑問にも思いませんでしたが」
「ああ見えて、正義感が強いんじゃねえの」
本当にそう思っているのだとしたら、累の目は節穴だ。
今回の件に限っては明星はシロのようだが、彼女は表向きには心理カウンセラーとして、しかしその実態は霊能力者として少なくない人々から利益を得ている。
分かりやすい霊感商法に手を染めていないし、不思議と被害を訴える人がいないので、罪に問うのはなかなか骨が折れそうなのだが。
壁時計に目をやれば、深夜一時を回っていた。「仮眠を取ります」と言って、百々は隣の物置兼仮眠室に移動する。比較的綺麗な簡易ベッドを先日見つけたのだ。他のフロアとちがって、好き勝手に職場を使えるところはこのパラ対の数少ない取り柄だった。
少々埃臭いところに目を瞑れば、まあまあ快適だ。別のフロアには簡易シャワーもあるし、外に一歩も出たくないこの時期は、職場に暮らすのも手かもしれないなどと、八森に知れたら大目玉を喰らいそうなことを考える。
本棚を設置して家の書斎の本の何冊かを移動させようとまで思ったところで、百々の意識は暗転した。
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