第8話 糸口

「……見んの?」


 向かいに腰掛けると、猫背になってテーブルに資料を広げようとしていた累が上目遣いにこちらを見上げる。


「下世話な好奇心で見たいと言っているのではありません」

「それはもう知ってる」


 微かに口の端を上げて、累が茶封筒を手渡す。

 思いがけずすんなりと情報が手に入って、百々は拍子抜けした。

 先日花テレタワーでは警察を名乗るなとまで言われたので、お前に見せる情報はないと言われる可能性も考えていたのだが。

 呼吸を整えて封筒の口に手を入れる。大見得を切ったものの、写真とはいえ死体を見るのは十四年ぶりだった。

 取りだした写真を見つめて、百々はきゅっと唇を引き結ぶ。

 八森が脅しただけあって、ショッキングな写真だ。首から胸の辺りが真っ赤に染め上げられ、床にもペンキをひっくり返したかのように血だまりができている。


「死体発見現場は西新宿にあるマンション『プランタン新宿』の宮野本人の自室の風呂場。中から鍵がかかっており、揉み合った形跡もなく、不審な点はなし。死因は左頸部からの失血死。数条のためらい傷があり、着衣の乱れはなく、宮野本人の血液の付着した包丁が右手に握られていた。死亡推定時刻の二十分ほど前に、宮野から高瀬とマネージャーに向けて、“ありがとう”というショートメッセージが送られている」


 累が捜査資料からめぼしい情報を読み上げる。

 百々は暫く写真を矯めつ眇めつしてから呟いた。


「これ、モノトーンの服ですね」


 血で汚れてはいるものの、白と黒のストライプのノースリーブに、黒のワイドパンツを身につけているのが見てとれる。


「それが?」

「宮野さんの普段の服もメイクももっとかわいらしい感じじゃないですか。グリスタにのっけている私服もそう」


 百々の言葉に累は眉を跳ね上げた。


「誰かが着替えさせたとでも?」

「さすがに他殺説なんて持ち出しません。刑事さんが調べ尽くしたことに、口を挟んだりはしませんよ」


 宮野の死亡推定時刻の前後には、マンションの同じフロアの住人の子どもの姉弟がずっと外廊下でサッカーをしていたというが、不審な人物は目撃されていない。

 司法解剖の結果も疑わしい点はなかった。


「私が言いたいのはなにか、彼女の心境の表れなんじゃないかって」

「服なんてどれも一緒だろ」


 投げやりに累が言う。

 本人のプロポーションがいいので何を着ても様になっているが、確かに累はファッションに興味がなさそうだった。サングラスも知り合いに貰ったとこぼしていたし、おそらくこのよく似合っているツーブロックの髪も、美容師に薦められるがまま「じゃ、それで」などと言っているにちがいない。


「まあ、バッシングを苦にしての自殺って線は揺らがねぇな。問題は、例の写真がどうやって流出したか」


 そう言って、累はテーブルの上に積み上がった週刊誌に手を伸ばす。

 宮野に大打撃を与えたと思われるのが、累が手に取った総合週刊誌『週刊ジャメヴ』五月二十八日号だ。

 「清純派・宮野涼音の夜の顔」というタイトルが踊り、件の若手俳優、西東佑馬と肩を組んで凭れかかっている写真がでかでかと掲載されていた。このほかにも大物監督やプロデューサーなどと親しくしているという匿名のリーク情報が綴られ、ハニートラップだの、甘い罠だの、狙った獲物は逃がさないだのという下衆な謳い文句が続く。さらには宮野が下積み時代にクラブで働いていたことなどがセンセーショナルな筆致で綴られ、女優としての躍進の裏には夜の接待があったかなどという憶測が並んでいた。

 少し読んだだけで、果てしない徒労感に苛まれるゴシップ記事だ。


「境木さん、ジャメヴの編集部に電話したんですよね? 記事の情報提供者についてはなんて?」

「情報提供者の個人情報は明かせない、だそうだ。まあ、想定通りの返事だな」


 眉を顰めて百々は食い入るように記事を見つめる。

 宮野と西東のツーショット写真が掲載されたのは、この週刊ジャメヴが初出だったらしい。ジャメヴ編集部にこの写真を提供した人物が分かれば、おのずと明星の関与の有無も分かるはずなのだが。


 考え込んでいると、一本の内線が掛かってきた。

 累が捜査資料を掴んだまま受話器を取る。耳と肩の間にそれを押し当てて、累は二、三会話をするとすぐに電話を切った。

 百々が首を傾げれば、累は珍しく言い淀む。


「指紋鑑定の結果が出た。高瀬のスマホに残された第三者の指紋が明星のものと一致」

「……高瀬さんのスマホを触ったことは証明できたわけですね。ですが、データを盗んだ証拠はない。……高瀬さんにスマホを借りて調べてみます?」

「高瀬はもう、来ねぇような気がするけどな」


 正直なところ、百々も累の読みに半分同意見だった。連絡を取っても、多忙を言い訳にのらりくらりと躱されているような気がしてならないのだ。

 あれほど深刻な様子だったのに、心変わりしたのだろうか。


「依頼人は音信不通気味で肝心の宮野はもう仏さんだ。あの日は体調不良で高瀬を返しちまって正式な被害届もない。打ち切りってところが妥当だが」

「明星さんについては、もう少し調べたいです。それから、あのツーショット写真についても」


 ツーショット写真といえば、何故宮野と西東の写真を高瀬が持っていたのかすら確認が取れていない。

 明らかに自撮り写真だったので、高瀬が自分しか持っていない写真だと断言しているのも腑に落ちなかった。宮野か西東のスマートフォンにも保存されていそうなものだが。

 それとも高瀬がデータ盗難されたと主張していた写真が件の宮野の写真であるという大前提からして間違っていたのだろうか。


「西東に話が聞けりゃあな」


 西東に事情聴取することは、今のところ叶いそうになかった。一時期宮野の他殺説のデマが流れた際に西東が巻き込まれたこともあって、事務所が徹底的にリスクを排除しているためだ。

 もう宮野の死亡は自殺で片が付いており、今さら西東の事務所側もスキャンダルを蒸し返されたくないのだろう。


「あっ」


 思わず上げた頓狂な声に、累が怪訝そうに百々を向く。


「忘れていました。町田にある行きつけのお店が芸能関係の方にも結構人気で、そこに西東さんが常連で来てたみたいなんです」


 接触できる可能性は低いかもしれない。だが、たとえ西東に会えなかったとしても、目当ての店の主は顔が広いのでなにか糸口を掴める可能性がある。このまま手をこまねいているよりはましなはずだ。


「店の名前は?」

「『青ばら』。知り合いのやっている、フラワーカフェです」

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