第6話 不和

「……おっと凜香ちゃん、こんなところにいたんだね」


 火花を散らす百々と明星の間に割って入ったのは、無粋な猫撫で声だった。それも聞き覚えのある。

 明星に声を掛けたその人物は、百々に気づくと目を見開いた。


「百々ちゃんじゃないか。どうしてここに? タレント復帰したの?」


 そう言って、ブランドスーツに身を包んだ恰幅のいい男性が百々の肩に手を掛ける。

 これから生放送が始まる情報番組『スクープ・トゥデイ』のキャスター、鷲津だった。

 百々もかつてはこの『スクープ・トゥデイ』に出演したことがある。

 だが、鷲津の言うようなタレント業のつもりはなかった。あくまでもサイキックハンターの活動の周知のために出演依頼を引き受けた。もっとも、番組では百々はそのようには取り上げてはもらえなかったが。

 美人すぎる云々というキャッチフレーズが生まれたのもこの番組のためだった。


「いいえ。今日は明星さんとお話に。放送前の大事なお時間を邪魔立てしてしまって申し訳ありません」

「邪魔なんかじゃないよ。芸能界、戻ってこない? 君、綺麗なのに勿体ないよ」

「……本分が疎かになってしまいますから」


 百々は早口に告げて、鷲津の腕から逃れようとする。けれども、ますます強い力で掴まれ叶わない。

 不意に、反対側の鷲津の腕に優美な指先が絡んできた。


「……鷲津さん、今日のコーナーのことで相談したいことがあったの。来ていただけない?」


 明星の鼻にかかったような甘い声に、鷲津の相好が崩れる。

 明星の言うコーナーとは、先週から彼女が担当することになった『ジャスト・ナウ』のことだろう。明星の前には、奇しくも宮野がコーナーを担当していた。彼女が亡くなり、明星自ら自分を売り込んだという。

 そういう意味では、明星は宮野が亡くなって利を得た人物だと言える。

 鷲津は、明星の誘いに揺らいだ様子だったが、百々のことを放っておいてくれるまでではなかったらしい。


「すぐに行くよ」


 鷲津はそう言って明星を向こうのほうへと押しやって、百々に向きなおる。


「百々ちゃん。あの一件が明るみになって色々とバッシングもあったけどさ、気丈な君を応援している声もあったんだよ。なんなら、僕も君をまたバックアップするし」


 鷲津の手が、百々の背中に添えられる。ブラウスとカーディガン越しにも鷲津の指の感触が伝わってきて、ぞわりと肌が粟立った。

 鷲津のセクハラは今に始まったことではない。

 自称霊能者のペテンを暴く。学生時代は今にも増してそのことに執念を燃やしていたから、鷲津のような著名人に後ろ盾になってもらい活動の幅を広げてもらえることに、少なからず恩義も感じていた。

 けれど、今はあの頃と立場もちがうし、右も左も分からなかった学生時代に比べれば知恵もつけた。


 声を荒げかけたとき、大きな影が落ちた。


「ご歓談中すいませんが」


 累が流れるような動作で名刺を取り出す。

 警視庁の文字に、目に見えて鷲津の顔色が変わった。百々の背に触れていた手がぱっと離れる。

 百々の視界を広い背中が覆った。


「警視庁の境木と申します。鳥居はうちのコンサルタントで俺の相棒です。目の前で引き抜きの相談はご遠慮いただきたい」

「これは……ご丁寧に」


 鷲津はそれから売れっ子キャスターの顔を取り戻すと、それまでの態度が嘘のような礼儀正しい挨拶をして仕事に戻っていった。

 累はしばらく険しい顔つきで鷲津が消えていった通路の辺りを見つめていたが、すぐに思い直したようにサングラスの蔓をハンカチで包んだ。ポリ袋のなかにそっとそれをしまい入れる。


 実を言うと、百々たちの目的は明星のペテンを暴くことではなかった。彼女の指紋採取が本命だ。

 高瀬のスマートフォンの指紋鑑定の結果、持ち主以外の指紋も検出された。だが明星には前科がなかったので、採取した指紋の照合が叶わなかったのだ。

 指紋採取が達成できたはいいのだが、不快感は弁当箱の角にこびりついた油汚れのように喉元で燻っている。


 地下スタジオを後にし、花テレタワーのロビーを横切る累の背を追いかける。


「境木さん」


 百々の呼び声に、累は立ちどまってこちらを振り返る。

 自惚れでなければ、先ほど累は百々を庇ってくれたようにも見えた。礼を言うべきと思ったのだ。

 しかし百々が言葉を発するよりも早く、累は苦虫を嚙み潰したような顔で口を開いた。


「お前さ、いくらなんでも明星に突っかかりすぎ」


 苦言を呈され、まろびかけていた感謝の言葉がたちまち霧散する。百々はきつく唇を結ぶと、累を睨みつけた。


「……境木さんは、詐欺師の味方をするんですか」

「なら聞くが、明星を詐欺師呼ばわりするに足る証拠はあるのか?」

「いえ、それはまだ。……警察組織の一員として、軽率な言葉を使ったことは謝ります」


 コンサルタントを名乗る以上、もはや百々の言葉は百々一人のものではない。

 そこは確かに累の言うとおりだった。

 だが百々の殊勝な態度にも、累は小さく嘆息する。


「そうじゃねぇよ。……そんなカスみてぇな意識で警察名乗んな」

「具体的に言ってくれますか。なにがカスなのか」


 百々の買い言葉にも、累はなにも答えずに踵を返す。

 吹き抜けの天窓から射した逆光で、背を向ける前の累の表情はよく見えなかった。

 そのまま百々も累も一言も言葉を交わさずに、汐留の花テレタワーを後にした。

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