第4話 駒鳥の死
「慣れてんな」
作業を終えた累が白手袋を脱ぎながら話しかけてくる。
「一応、もうここで働き始めて一年と少し経ちますからね。ベテランデカさんに比べたらペーペーですけど」
「そっちじゃねえよ。俺もベテランじゃねえし。過呼吸になったやつの対処のほう」
もう取り繕うのは完全に飽きたらしく、ぞんざいな口調になっている。市民の前でこうならないだけ、上々と見るべきだろう。
累に本音で答える義理もないので、百々はふいと視線を逸らした。
「……映画で見たんです」
「ふーん」
累は、やたらと間延びした調子でそう言ってくる。
「詮索するのはやめてくれますか。それより高瀬さんのこと、どう思いました?」
「……あれは、被害の内容を言いだしづらいというより、なにか隠してやがるな」
累は来客用のビニールレザーのソファに身を投げ出して、腿の上に片足を引っ掛ける。
横柄な態度がやたらと様になって腹が立つが、累の見解に百々もほぼ同意見だった。
「ええ、色々引っかかることを言っていました。まず高瀬さんが明星さんを疑っている理由について述べたとき、『あの子』とこぼしたこと。高瀬さんが盗難されたと主張している写真は彼女のものではなく、第三者が写っていると考えたほうが自然です」
「それから『流出』」
そう言って、累はおもむろに自分のスマートフォンを弄り始める。
「高瀬の名前でトリラーの検索をかけても、特に目ぼしいもんは見つからねぇな」
トリラーとは、イタリア語の“トリル”を原義とし、鳥の囀りを意味するソーシャル・ネットワーキング・サービスだ。百四十字以内のメッセージを投稿でき、最近ではテレビ番組などでも、一般人の意見としてトリラーの投稿が紹介されたりしている。
「最近画像や動画が流出した芸能人といえば、やっぱりこいつだな」
そう言って、累はスポーツ新聞の一面を弾いた。でかでかとした黄色と青のゴシック体で、“宮野
百々はその見出しを一瞥して、眉を顰めた。
「自殺報道ガイドラインがひとつも守られていませんね」
「んなもん守るような社会なら、死ぬ奴なんざ出てこねぇよ。俺たちには千年早い」
皮肉げに片頬を上げて、累が頬杖をつく。
累の言うとおりかもしれないが、そうですねと同意するのもなんだか癪で百々は黙り込んだ。
「お前、宮野涼音のこともよく知らねえだろ」
「私の名前はお前じゃありません」
百々がじっとりと累を睨めば、彼は舌打ちしつつも「鳥居」と言い直した。
「……境木さんの言うとおり知りませんけど、たしか俳優さんですよね。今度確か、ミステリ映画に出るはずだった」
「ああ、『誰が駒鳥を殺したの?』」
そういうタイトルだったか。
宮野演じるロビンというあだ名の女子大生の死体が見つかるところから始まるサスペンス調のミステリだと聞いている。容疑者候補に人気俳優がこれでもかと並び、殺人を犯したのはいったい誰かに迫っていくのが物語の本筋らしかった。だが被害者を演じた宮野が死んでしまったことで、公開が延期になったとニュースが流れていた。だからなんとなく百々も記憶している。
「宮野は明星と同じ、MSB出身だ。どうやら二人は不仲説が囁かれていたそうだな。グループ内でも清純派アイドルで一番人気の宮野を擁した宮野派と、
スマートフォンをスワイプしながら、累が要点を搔い摘んで説明してくれる。
とはいえ、ネットの情報を鵜呑みにしていいかは甚だ疑問だ。
累は記事についた閲覧数の表示に眉を顰めた。
「他人の不仲説なんて見て面白いか?」
「さあ。たぶん、暇なんじゃないですか」
百々はおざなりな返事をしながら自分のデスクに陣取ると、検索エンジンを立ち上げて“宮野涼音 高瀬ノエ”というワードを打ち込んだ。
「宮野さんと高瀬さんは相当仲が良かったようですね。なんでも中学時代までの同級生だとか。あくまでもネットの情報ですが」
「グリスタにもよくツーショット写真のっけてたようだし、信憑性は高そうだけどな」
そう言って、累はグリスタグラムの画面を見せてくる。グリスタグラムは、写真共有型ソーシャル・ネットワーキング・サービスで、百々も好きなお茶のブランドのアカウントをいくつかフォローしている。
「グリスタにもトリラーにも、問題になった宮野の写真や動画が上がってる」
「……元彼と見られる男性との性行為の動画と、それから人気若手俳優の西東
西東なる俳優は顔を電車の吊り広告かなにかで見たことあるかも、程度の認識だったが、映画『誰が駒鳥を殺したの?』にも主要な役柄で出演しているらしい。
百々はパソコンの画面と睨めっこしたまま続ける。
「西東さんとの写真は性的なものではないですが、ファンが撮影場所が西東さんの自宅マンションの室内だと特定して、見るに堪えない誹謗中傷で宮野さんを罵っています」
「リベンジポルノ動画が流出したころは同情的な意見が集まっていたが、西東との写真が流れだしたころには週刊誌に暴露記事が掲載され、SNSでも恋愛禁止のアイドル時代に付き合っていた俳優やアイドルのリストが公開されて炎上騒ぎ。もっとも、そのリストとやらは嘘八百のデマだったらしいが」
「遺書は……残っていないようですが、この炎上騒ぎによる誹謗中傷を苦にして自ら命を絶った可能性は高いですね」
なんとも飲み下すことのできない顛末に、やるせなさが込み上げる。
「根拠のねぇ仮説を立てるなら、最近流出した宮野と西東の写真が高瀬のスマホから盗み出されたってところか」
高瀬がそれを気に病んでいるとすれば、先ほどの不調にも説明はつく。もしかしたら、友人の自殺に一枚噛んでしまったと自責の念に駆られているのかもしれない。だからこそ、百々たちに写真の件を言い出せなかった。
「……まあ、こんな不確かな情報を切り貼りして決めつけるのは危険だが。第一、明星が高瀬のデータを盗み出したっていうところからして疑わしい」
百々のなかで鮮明になり始めた絵を、累が掻き消す。
はっとして、百々は累を向いた。
累は気だるそうに目を伏せて、だらしなく背凭れに身体を預けている。態度は悪いが、たしかにこればかりは累の言うとおりだった。
「採取した指紋を指紋鑑定に出してくる。明星のペテンが暴けたら、俺にもご教授いただきたいものだな、サイキックハンターさん」
ひらひらとゼラチン紙を振りながら、累が部屋の外へ出ていく。
なんだかどうも、ペテン云々については累の風当たりが強い気がする。まだ会って一時間程度の人間のことなので、百々の気のせいかもしれないが。
百々はパソコンの画面に視線を戻して、宮野の在りし日の姿を捉えた写真をじっと見つめる。まだ俳優としては駆け出しだったが、昨年の「好きな女優ランキング」五位に選ばれたのも納得の眩いばかりの笑顔だった。
彼女は、どんな思いで死を選んだのだろう。
思考の端っこに、雨音が聴こえ始める。
百々はデスクの上に肘をつくと、顎の先で切り揃えた髪を強く引っ張った。
吸った息を十秒かけてゆっくりと吐き出す。ぼんやりと靄がかかり始めた頭にすっかりぬるくなったペットボトル入りの水を押し当てると、百々は検索エンジンに明星の名前を打ち込んだ。
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