第3話 サイコメトリー

 生活安全部の係員に連れられてやってきたのは、どこかで見た覚えのある顔だった。


「ビリジアンプロモーションの高瀬たかせノエです」


 そう言って、華やかな顔立ちをやわらかなパステル調のファッションで包んだ女性は、名刺を差しだした。

 名刺には、百々でも知っている女性ファッション誌のモデルかつ俳優という華々しい肩書が記されていた。


「以前、鳥居さんには番組でちょこっとお会いしたこともあるんですよ。わたしのこと、覚えてますか?」

「……ええ、その節はどうも」

「あなたくらい綺麗でキャラも強烈なら、芸能界でもやっていけたのに。まさか警察の人になっていたなんて」


 高瀬の言うとおり、百々は警察のコンサルタントとして雇われる前は、女子大生サイキックハンターとして活動し、メディアに持て囃されていた時期もある。芸能事務所からスカウトもされていたが、結局百々は大学院進学とともに、表の舞台から姿を消した。

 百々は曖昧に笑って、部屋の中へと高瀬を案内する。


 高瀬の好奇の視線よりも、彼女越しに感じる累の視線の方が煩わしい。累は律儀に奥のキッチンでコーヒーの用意をしながら、こちらの話に耳を傾けていた。

 百々は来客用のソファの向かいに腰掛けると、「どのようなご相談ごとでしょうか」と高瀬に問いかけた。


「……サイコメトリーって知ってるでしょ」

「ええ。超心理学において、ESP――超感覚的知覚の一種に分類される超能力です。ギリシャ語で『魂』を意味するpsycheと『測定』を意味するmetronを組み合わせた造語で、物体の情報を読み取ることができるとされています」


 話を持ってきた高瀬はともかく、コーヒーを運んできた累は怪訝そうな反応を見せた。

 百々は「失礼します」と言って累の手を取って、彼のアウトドアウォッチにそっと触れる。


「簡単に言うと、こうして物体に触れることで、所有者に関する情報が頭に流れ込んでくる。そういう能力です」

「ああ、映画なんかでたまに見るやつか」

「ええ。アメリカの骨相学者、J・ローズ・ブキャナンが一八四二年に発見したもので、超能力捜査官として名を馳せたゲラルト・クロワゼが捜査に利用したことで有名になりました。もっとも――彼の能力が本物であったかは非常に疑わしいですが」


 百々が顔を顰めれば、高瀬は悪戯っぽく笑った。


「その立て板に水を流すみたいな話し方、ぜんぜん変わってない」


 高瀬の指摘に、百々はちょっと眉尻を下げた。

 百々はどちらかといえば超心理学の分野より民俗学を専門に学んでいたのだが、やはりこうしたテーマになると気をつけていても早口で畳みかけてしまう。おかげで変人扱いされたり後ろ指を指されることもままあった。

 とはいえ、高瀬は単に好奇心から百々に興味を示しているようだ。


「それでね、そのサイコメトリーを使って私のスマホのデータを抜き取られたの。ねえ、これって逮捕できる?」


 それまでの和やかな雰囲気が嘘のように、高瀬の眼差しに剣呑なものが宿る。


「ちょっと待ってください。……順を追って説明していただけますか?」


 百々の制止に、高瀬は焦れたように服の袖を握りしめた。


「まずそのデータを抜き取った相手は判明していますか?」

明星あけほし凜香りんか。知ってるでしょ。最近ブレイクしてる『MSB43』出身のタレント」


 その名前は、芸能人に疎い百々でも知っていた。もっとも、名前を聞いたことがある程度だが。

 MSBとはたしか万世橋の略で、東京万世橋を拠点として活動を始めた経緯を持つ女性アイドルグループだ。他にも橋の名前を冠した姉妹アイドルグループが全国に誕生している。

 しかし、百々の関心はそこにはなかった。


「ああ、霊能力者タレントの……サイコメトリーを用いた鑑定が当たるとかで、SNSでも話題になっているようですね」

「それで何を抜き取られたと?」


 累はあくまでポーカーフェイスを崩さずに尋ねた。

 サイコメトリーで盗難被害に遭ったなど荒唐無稽な話だが、ひとまずは高瀬の話を受け止めることにしたらしい。


「……写真です。二週間ちょっと前、私のスマホのなかにしかなかったはずのデータが、第三者の手に渡ったの」


 高瀬の受け答えに、累は渋い顔をした。


「それは……残念ながら、たとえ明星さんが高瀬さんのデータを窃盗していたとしても、基本的には窃盗罪には当たりません。日本の刑法では、有体物を盗んだ場合のみ窃盗罪が成立する。それがどのようなものかどのように使われたかによっても話は変わってきますが、データ窃盗では刑事罰を科すことはできないんです」

「なにそれ。そんなの、時代遅れもいいところじゃない」

「ええ、ですが全く手がないわけじゃありません。高瀬さんの盗まれた写真は、どのように使用されたんですか?」

「それは……」


 累の問いに、高瀬は目を泳がせた。


「言いにくいことであれば、境木は別室に待機させます」


 百々の言葉に心得たように、累が立ち上がろうとする。


 女性が盗まれて困る写真といえば、センシティブなものである可能性が高い。

 リベンジポルノ――元交際相手などの裸や性行為の画像・動画をネット上に公開する行為――の被害防止のため、『私事性的画像記録の提供等による被害の防止に関する法律』が施行されたことも記憶に新しい。最近では復讐目的に留まらず、金銭目的で手を染める輩も問題になっていた。

 もっとも、百々はこの行為に関して、『リベンジ』つまり復讐という言葉を使うこと自体、疑問に思っていたが。

 ネット上にばら撒かれた写真や動画は、デジタルタトゥーとして半永久的に存在し続ける。この情報化社会において、それは相手の尊厳を粉々に打ち砕く身勝手で下劣極まりない暴力的な行為で、被害者にはなんの落ち度もないはずだった。

 奇しくも、先日リベンジポルノとそれに伴うネット上のバッシングを苦にしたと見られる若い俳優の訃報が伝えられたばかりだ。


 高瀬は床の一点を見つめて、絞りだすように言った。


「言いたくない」

「お気持ちは分かります。ですが、今伝えてくださった情報だけで捜査することはできないんです」


 百々の説得にも、高瀬は首を縦に振ってはくれない。


「では質問を変えましょうか。高瀬さんが明星さんに写真を盗まれたと考えている根拠はなんですか?」


 百々の代わりに、累が言葉を継ぐ。

 百々はあくまで超能力やオカルトや民俗学を専門としていて、本来こうした警察官の真似事は不得手だ。

 今までパラ対にやってきた元同僚は百々を無視して捜査を進めるか、逆に一切なにも行動を起こさなかったが、累はどうやらそういう輩とはちがうらしい。


「それは……データは私だけが持っていたもので、流出する三日前に雑誌の撮影で明星凜香と楽屋で会ったからです。そのとき盗まれたとしか考えられない」

「明星さんにスマートフォンを触らせたんですか?」

「いいえ。でも、楽屋にスマホを忘れて行っちゃって。ロックは掛けてたけど、サイコメトリー能力者ってのが本当なら、そんなの解除するのなんて朝飯前でしょう」

「――ええ、もしもこの世にサイコメトリー能力者なるものが実在するならば」


 百々の返答に、累も頷く。


「今伺った話を鑑みるに、霊能力を使えなくてもスマホから写真データを抜き取るのは可能ですよ。単純に第三者が高瀬さんのパスワードを盗み見てロック解除をしたのかもしれない。念のためスマホの指紋採取、してみましょうか」


 本来こんな曖昧な内容で警察が捜査に乗り出すことなどありえない。だが、パラ対は常にまともな事件に飢えている。久々の事件性のある依頼とあっては、百々も累に反対するつもりはなかった。

 累が高瀬のスマートフォンを持ってデスクに移動する。累が作業をしている間、百々はもう少し高瀬に切り込んでみることにした。


「高瀬さんが明星さんに拘るのは、なにか理由があってのことですか? トラブルがあったとか」

「あるに決まってるでしょ。あの女はあの子を――」

「あの子?」

「ううん、とにかく、あの女はこちらを陥れようとしていたの。そういう嫌な女なんだってば。ほら、『MSB43』でも明星凜香ってぶっちぎりでメンバーとの不仲説出てたでしょ」


 出てたでしょ、と言われても芸能関係に疎い百々にはうんともすんとも言うことができない。はあとかなんとか言っている百々など意に介さず、高瀬はテーブルの上の拳を震えるほど強く握りしめた。

 明星のことは本人にも事情を聞いてみなければなんとも言えないが、高瀬が明星を嫌悪しているのは間違いないようだ。


 高瀬は不意に脇に積んであった週刊誌をちらりと見て目を瞠った。


「高瀬さん?」


 百々の呼びかけにも応えず、見る間に顔が青ざめていく。かと思えば、今度は胸を抑えて浅くハッハッと息をし始めた。過呼吸の症状だ。

 百々は立ち上がって高瀬の後ろに回った。


「高瀬さん。息をゆっくり吐いてください。そうです。もう一回。大丈夫ですから、ゆっくり十秒数えて」


 そうして背中を擦っているうちに、高瀬の容態は落ち着いてきた。

 よくよく見てみれば、化粧で隠してはいるものの高瀬の目元には濃い隈ができていて、憔悴した様子だった。


「高瀬さん、今日はこれくらいにしておきましょう。被害届もまた後日。どなたか迎えに来られる方はいらっしゃいますか?」

「……タクシーを呼ぶから平気。それより、ちゃんとあの女のこと、捜査してくれるんでしょうね」


 百々が引っ込めようとしていた手を強い力で掴んで、高瀬が語気を荒げた。

 その追いつめられた手負いの獣のような爛々とした眼差しに一瞬気圧される。


「高瀬さんの写真データ盗難に関してはなんとも言えませんが、霊能力に関してはこちらでも調べてみます。自称霊能力者が能力を詐称している自覚があれば詐欺罪、それからサイコメトリー鑑定で相手を不安がらせるようなことを言って金品を巻き上げていた場合、恐喝罪で罪に問うことができるので」

「……そう」


 どこかほっとした様子で高瀬が息をつく。

 そのまま、累からスマートフォンを受けとると、百々が外まで見送ると申し出たのを固辞して、高瀬はオフィスを出て行った。

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