第2話 元マル暴デカの新人

 職場の最寄り駅の桜田門駅は、百々の住むアパートのある白山の住宅街から都営三田線で日比谷を経由し、有楽町線に揺られてすぐのところにある。人いきれで噎せ返りそうな毎朝の通過儀礼をこなし、曇天を貫くように聳え立つ庁舎を仰ぐ。

 警視庁。それが百々の勤め先だ。

 正面玄関のゲートを通過し、エレベーターの前に見知った後ろ姿を見つける。

 中肉中背のごま塩頭の男が、脇に濡れたくしゃくしゃの新聞を抱えて、欠伸を噛み殺していた。


「おはようございます。八森やもりさん」


 剃り残しの目立つ顎をぽりぽりと掻きながら、開ききっていない垂れ目がちの瞼をなんとか押し上げて男が振り向く。

 八森錠市じょういち。百々の上司とも仕事のパートナーとも言うべき、五十路の警部だ。


「おはようさん、鳥居とりい


 まだ夢見心地のやる気のない挨拶をしてから、八森はあ、と呟いた。


「そうそう。今日くる新人だけど、鳥居が対応してくれる? 俺、課の会議に出なきゃならんくなってさ」

「はあ、私は構いませんけど」

「んじゃ、よろしくー」


 そう言って、八森はそそくさと上階行きのエレベーターに乗り込んでしまう。

 私は構いませんけど、のあとには新人さんが構うんじゃないんですか、と続けるつもりだった。

 だが、相手は面倒ごとを避けて他人に押しつける能力にかけては右に出るもののいない八森だ。隙を見せた百々の敗北だった。

 百々は小さく溜め息をつくと、エレベーターのホールボタンを押した。やがてインジケータが一階を示し、扉が開く。

 百々だけを乗せた下階行きのエレベーターは、すぐに地下五階に到着した。


 薄暗い廊下をしばらく進んだ突き当たりが目的地だ。ところどころ塗装の剥がれ落ちた壁には、謎のナスカの地上絵のポスターが貼られている。

 ガラス張りのドアを開くと、まず目に飛び込んでくるのが書棚一面に所狭しと並んだ、『レムリア』という雑誌だ。毎月刊行されているオカルト雑誌で、表紙の見える号にはUFOの文字が踊っていた。昔テレビの眉唾ものバラエティで観たような、エイリアンじみた生命体のイラストが添えてある。

 その横の棚の上には、奇妙な干からびた人形が鎮座していた。目が異様に大きく、豚のような鼻と口があり、頭頂部には皿のような窪みがある。昭和二十年代に佐賀で見つかった河童の全身ミイラ――のレプリカらしい。


 警視庁と聞いて人々がイメージする空間とかけ離れたこの部屋が、百々の現在の勤め先だった。

 百々もレイアウトに加担した経緯があるので、大声で批難がましいことを言うわけにもいかないが、正直どうかと思う空間である。新人が見たら、ドン引きすること請け合いだ。

 とはいえ、今から胡散臭い物品で溢れかえったこの部屋を片付けていては日が暮れてしまう。せめて河童レプリカだけでもどこかに隠してしまおうかなどと思ったところで、コンコン、と無情なノック音が響いた。

 今さら焦ったところで、後の祭りというわけだったらしい。


「……どうぞ」


 すぐにドアは開いた。

 身長は少なくとも一八〇センチはあるだろうか。女性としてはそこそこ身長のある百々でも思わず見上げてしまうような大男である。身体に厚みもあるうえ切れ長の眼差しは鋭く、やたらと威圧感があった。

 先日八森に見せてもらった履歴書によれば、歳は百々の七つ上の三十三歳。グレーのカットソーに紺のジャケットを羽織っている。髪は全体的に短かったが、サイドが刈り上げられて涼しげなツーブロックになっていた。


「本日付けで組織犯罪対策部組織犯罪対策第四課から異動してきた、境木さかきかさね巡査部長です」


 乾いた声でそう言って、累は室内を見渡した。一瞬、河童レプリカのところで視線を留めたが、さして動じた様子もなく、本来八森がいるはずの空席を眺めている。

 いかにもマル暴出身らしい強面の外見と、この組織でまともに百々のことを取り合ってくれる人物がほとんどいないのとで構えてしまったが、わりにきちんとした男だった。


「初めまして。超常犯罪対策班の鳥居百々です。ご存知かと思いますが、うちの班の班長は生活安全対策第四係係長とここの班長を兼任する八森警部――なんですが、今は課の会議に出席されています。初日にすみません」

「いえ、俺も含めて三人だけの部署と聞いてるんで。それより俺になにかついてます?」


 胡乱げに視線を向けられ、百々はまじまじと累を見つめてしまっていたことに気がついた。


「いえ、すみません。今までこの部署にきた人たちとは勝手が違うので、新鮮で」


 百々の言葉に、累はああと納得した様子で部屋を見渡した。

 室内は『レムリア』をはじめ、民俗学の文献から陰陽師、超能力者、都市伝説、カルト教団の犯罪にまつわる記事、果てにはトンデモエセ科学本に至るまで、大抵の人間が眉を顰めてしまうような資料で溢れかえっている。


「超常犯罪対策班は、その名の通り、科学では解明できない犯罪――パラノーマル・ケースを扱う部署。でも実際のところはお年寄りの世間話や悪質クレーマーの対処、その他正気の沙汰ではないイカれた相談事の窓口となっている。そういう噂は聞いてます」


 これまでのやたらと穏当な反応は事情通ではないからかと思ったが、そういうわけでもないらしい。


「あながち間違ってはいない噂です。それでここに異動してくる新人さんはやる気がなかったり、出世コースを外れたと嘆いて辞めてしまったりと話のネタには事欠きません」

「出世にはさほど興味ないんで、ほどほどに働くつもりですよ。どんな仕事内容であれね」


 そう言って、累は百々の勧めたデスクの椅子に腰かけた。


「で、本当のところはどうなんですか? あんたが精魂込めてやってる仕事は、人から言われるとおり、インチキのペテンで、胡散臭いしょうもないモンなの? サイキックハンターさん」


 組んだ手に顎を乗せて、上目遣いに累が仄笑ほのわらう。なるほど、どうやら先ほどまでは猫を被っていたらしい。


 サイキックハンターさん。


 累の言うとおり、百々は警察官ではない。怪異コンサルタントなる奇妙奇天烈な肩書のもと、超常犯罪対策班の相談役として捜査協力をしている身だ。

 かつては自称超能力者などのペテンを暴くフリーのサイキックハンターとして実績を重ね、一年ほど前、超常犯罪対策班立ち上げと同時に紆余曲折あって八森に拾われた。


「私の仕事はペテンを暴くことで、私の仕事そのものをペテンと呼ばれるのは不愉快です」


 そう怒気を込めてみたものの、百々とてどうやら累がわざとこちらの癇に障る言い方をしたらしいことは理解している。

 大方、百々の反応を見ようという魂胆なのだろう。


 超常犯罪対策班――通称パラ対は人員不足で、ヒラの班員は累だけだ。捜査活動は二人一組で動くのが原則なので、必然的に今後捜査の際には百々は累とバディを組むことになる。

 今までパラ対に異動になってきた面々の百々への振る舞いに比べれば随分ましな反応だ。それでも一筋縄ではいかぬ相手というには変わりないようだが。


「つまり、パラノーマル・ケースなんてものは存在せず、超能力や超常現象や狐狸妖怪の類は嘘八百だと?」

「私の学術的立場はそうです」

「七面倒くさい言い草だな」

「なんとでも」


 肩を竦めた累に冷たく返して、百々は自分のデスクについた。

 折よく滅多に鳴らないノック音が響く。一日で二回も聞くのは珍しい。


「依頼人か?」

「さあ。クレーマーの類かもしれません。そのときはお願いしますね、元マル暴デカさん」


 潜めた声に、累は至極嫌そうな顔をする。

 やがて立てつけの悪い扉が音を立てて開いた。

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