第二話 夏
「ね、
学校の休み時間、私は
「そうなんだ、いいよ」
七瀬がどう感じたかは知らないけれど、なんでもないように、できるだけ軽めに答えた。本当の気持ちを悟られたくなかったからだ。答えた後も、まだ心臓がうるさかった。
七瀬は、同じ女子でも好きになってしまいそうなくらい可愛いくて、碧ともお似合いだ。小柄で、大きな目。くるんとカールしたまつ毛、サラサラのロングヘア。背が高めでショートヘア、かわいい系とは無縁の私とは真逆だ。
小学6年生の頃、私は碧と両思いだった。席が前後で、数学の苦手な美夏と、得意な碧。仲良くなるのにそう時間はかからなかった。気をつかわないから話していて楽だったし、なにより楽しかった。友達から、碧も私が好きらしいよと言われたときは嬉しくて眠れなかった。
関係を進展させたくて、中学生になってすぐに私から告白して付き合ったものの、環境の変化や心の成長が2人の関係を変えていき、自然消滅になってしまったらしい。自分でもよくわからないけれど、誰かがそう言っていたのを聞いたことがある。確かに、カップルらしいことは何もできていなかった。だけど、本当は今でも、碧のことが好きだった。
「でも協力って、なにすればいいの?」
「うーん、なんだろ」
碧を好きにならないでってことだろうな。私がうまく碧と七瀬の仲を取り持つことができるわけないということは、七瀬もわかってるはずだ。七瀬は私たちの微妙な関係を知っている。
そのとき、視線を感じて目を向けると、碧と目が合ったような気がした。心の中が一気にざわつきはじめる。七瀬がはっとしてくっついてきた。
「ねえ、碧今こっち見てたよね?行ってくるね!応援してて!」
私のことなんて見てるわけないか。碧とは、もう長い間話していなかった。
もうすぐ中学校生活最後の夏休みということもあり、みんな浮き足立っていた。受験勉強はもちろんあるけれど、当然イベントもやりたいとのことらしい。夏祭りや、花火、海の話がいろんなところから聞こえてくる。美夏はイヤホンで耳を塞いだ。
帰り道はとにかく暑かった。早く帰ろうと、どんどん早足になる。日陰を探しながら歩く自分は、人生も日陰なんだな、なんて思ってふふっと笑った。ポエムみたい。へんなの。
ふと、風鈴の音が聞こえた。耳になじむような心地のいい音だった。そういえば昔うちにも風鈴があったっけ。懐かしい気持ちになる。帰ったら部屋を探して風鈴を出そうかな。
そんなことを考えていた次の瞬間、急に空気がひんやりして強い風が吹いた。
「わっ」
ぎゅっと目をつむった。砂埃と暑さを一掃してくれるような突風は、最後には爽やかな風となって私の体を優しく冷やしてくれた。
「おーい!」
誰かに呼ばれて振り向くと、碧がいた。碧?背が低いしなんか…幼い。
「おまたせ」
「えっ」
「ん?どうしたの?」
碧と視線がぶつかる。中学に入ってどんどん背が伸びた碧は、少し見上げるくらいになっていたけど、今は同じ視線だ。服も、制服じゃない。
「図書館、いこっか」
私は戸惑いながらうなずいた。なにが起こってる?
どうして碧は私に話しかけてくれるの?図書館に行くってどういうこと?頭の中は混乱しながらも、冷静に俯瞰してる自分もいた。あの碧が、私に向かって笑ってくれてる、話しかけてくれてる、昔に戻ったみたい…。
そのとき、はっと気が付いた。小学6年生のとき、碧と図書館に行った日みたい。算数を教えてくれるといって、初めて学校の外でふたりで会うことになったんだった。そんなわけないと思いながらも、碧の様子や話の内容から、それは確信に変わっていく。
まだ幼さの残る碧は、あのときの、碧だ。その碧が、私に話しかけてくれている。記憶を頼りに、碧と話す。図書館に着くと、ほてったからだが一気に冷えていった。図書館はいつも涼しくて気持ちいい。
碧は入ってすぐの階段を上って、2階のフロアの右側、一番奥の4人掛けのテーブルに荷物を置いた。
「ここが、俺の席。早く来ないと席埋まっちゃうんだよね」
私もたまに図書館に来るときはこの席に座りたいと思ってチェックするけれど、確かにいつも埋まっている。近くにある本棚もあまり人が取りに来るような種類のものではないし、視界が騒がしくなくて勉強するには理想的だ。
私たちはさっそく課題を出して取り掛かった。夏休みの課題はもう半分くらいは終わっていて、今日で全部終わらせつもり、と碧は言った。私の課題も、もう少ししか残っていなかった。小学6年生の私、頑張ってたんだな。
合間合間で、碧は私が苦手な問題を教えてくれた。
「...ってなるんだよ、わかった?ねぇ、聞いてる?」
「あっごめん、きいてるよ、なんとなくわかった」
「ほんとに?」
そう言って笑う碧。碧と笑いあっていることが、嬉しくて仕方がなかった。
課題を終えた後は、それぞれが好きな本をもってきて読んだ。碧は宇宙の図鑑を読んでいた。私も本を選んで読んだけれど、碧の図鑑をのぞき込んで宇宙の話をした。静かな声でひそひそと話すと、なんでもない会話でも秘密の話をしているみたいで嬉しかった。
楽しい時間はあっという間に過ぎた。
そろそろ帰ろうか、と碧が言って、私たちは帰ることになった。このまま離れたら、もうこんなふうに笑いあえない気がする。だけど、何も言えなかった。
「じゃあ、また学校で」
「うん、またね」
碧が行ってしまうのをしばらく見ていた。やっぱり、自分の気持ちは変えられない…。大きく深呼吸をして、静かに瞬きをした。そのとき、また遠くで風鈴の音が聞こえたような気がした。
気づいたら、制服を着て、イヤホンをして、いつもの道に立っていた。
「戻ってる…」
あっという間に、終業式の日になった。夏休みに入る前に言わなきゃと思いながら、今日まで言えなかった。七瀬に言わなければいけないことがある。終業式が終わり、みんな続々と帰りだした教室で、美夏は七瀬に話しかけた。
「七瀬、あの」
「ん?」
「私、その、協力は、できない」
「えっ」
「碧がまだ好きなの」
周囲の雑音にかき消されてしまわないように、精一杯伝えた。
「そっか……。ごめんね」
七瀬は寂しそうに笑った。その顔がいつまでも頭から離れなかった。
夏休みはもう終わる。特にやることもなくて、宿題もすぐ終わらせた。いつの間にか数学は私の得意科目になっていた。
碧は、まだ、私とのことをおぼえているだろうか。
ふと思い立って、図書館に行ってみた。図書館にはあの日以来来ていなかった。2階の、右奥の席。そこが2人の思い出の席。2人の、と言っていいかはわからなかったけれど。もう図書館が開いてからずいぶん経っているから、席は空いていないだろうと思いつつ、あの席に目を向けた。
ドキッとして動けない。碧がいる。少し日焼けした顔に、あの頃の幼さはない。
顔を上げた碧と目が合う。今度は、本当に間違いなく。碧は一瞬驚いたような顔をして、席を立った。私は目をそらしてその場を離れたけれど、呼びかけられて振り向いた。やっぱり、碧は背が高い。
遠くで静かに風鈴の音がする。
「碧、」
「美夏。...数学、教えようか?」
碧はちょっと照れくさそうに言ったあと、私がうなづいたのを見て、あの頃と同じ顔で笑った。本当はずっと、この笑顔が見たかった。もう、気持ちは隠さない。
四季と風のゆめ 月海 薫 @short_sweet_short
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