第5話 恋とはどんなものかしら
「まあ~~~~~驚いたわね!まさかこんなタイミングでこんなことが起きるなんて!」
千尋が何者かに連れ去られたあと、ユーリアは即座に師匠に事の次第を連絡した。
封蝋をすると同時に相手のもとへ届くのだという手紙が送られてから5分もしないうちにやってきたソフィアは、寝室のライティングデスクの上に大きな紙を広げながら、長々とため息を零した。
ステラがその上に、先程出現した魔方陣をとてつもない速さで描いていくのを横目に、本棚の一角にあった分厚い帳面を手に取り、白い繊手がパラパラとページをめくっていく。
「あらあ、こんな状況じゃなかったら褒めたいくらいの魔方陣ね。随分アレンジが効いているけれど、天才的だわ。ユーリアはあとで見てお勉強しておいてね。
他には……そう、ネックレス。確かこう……、ああやっぱりこれね。参ったわねえ」
「すまないが聞いてもいいか。その、彼女は大丈夫なのか?ソフィアさんの魔法で森の前に来たように飛んでいくには、なにか障害があるんだろうか」
「そうそう、その通り。知らない場所には行けないからこの後彼女の持ち物から辿って飛ぶんだけれど、その前にちょっと情報収集中なのよぉ」
紙面から視線を逸らさず答えるソフィアは、口調だけは呑気ではあるものの、既に予想がついているとでもいうような速さであらゆるものに目を通していく。
「犯人は本当はこのネックレスだけが欲しかったのでしょうね。しばらく放置していた上に代替わりしたばかりで塔の守りが薄かったとはいえ、ピンポイントで魔法使いの持ち物を盗っていくなんて天才的な腕前だわ。
ステラがチヒロに付いていけなかったのはそのせい。最小限のものだけを運ぶ召喚魔法だから。ざるの網目を通れなくて残っちゃう、みたいな感じなのだけれど伝わるかしら?
チヒロが連れていかれたのはネックレスを付けていたせいね~。ずいぶん高いところに置いていたみたいだから、偶然落ちたものを首に掛けちゃったのかしら?運が悪いわ」
言いながら今度は台帳を置き、テーブルに置かれた千尋の鞄を開く。
「女の子の持ち物を勝手に漁るなんて申し訳ないわねぇ。こんなことさせるなんて、絶対犯人を捕まえてやるんだから!
……ああ、これ。見慣れない様式だけれど、アミュレットかしら?これにしましょう。
私はちょっと集中するから、ユーリアとアベルさんはその、ページを開いている部分に目を通して貰えるかしら~?」
言い終えるや否や、ソフィアは鞄から取り出した白い布で出来たお守りを手に目を閉じる。
無言で師匠の指示に従うユーリアの横で、アベルも古びた台帳に視線を走らせた。
「これって……」
思わず呻き声をあげてしまう程度には、そこに書かれていた文字は悪趣味なものだった。
『スノードロップのネックレス 悪質な魔道具のため回収
使用効果・この世で最も愛しい相手の命を代償に使用者が力を得る
首にかけると、使用するか装着者が死ぬまで外すことができない
作成時に定められた回数使用されるまでは極度に高い耐久性を持ち、破壊が困難
愛おしく思える相手に出会えるよう誘導する効果も確認された
貰う、渡す、捧げる、欲しい、奪う、受け入れる、拒絶する、届ける、というニュアンスを含む言葉を口にすることが発動条件のようだが、どこまで広範囲の解釈が含まれるのかは定かでない
使用条件を満たした場合、装着者の魔道具に関する知識や使用の意思があるかどうかに関係なく自動で魔法が発動する』
◆◆◆
ギード・バルツァーは、どの町のスラムにも一人や二人居そうな、取り立てて特徴のない小悪党だ。
幸い手先が器用だったためにスリの才能が有り、悪所を渡り歩きながらなんとか生き延びてきたが、日の当たる場所で暮らすことは今後一生無いだろうという自覚がある。
そんな男ではあったが、ストリートチルドレン時代からつるんできた仲間もいた。
その中の一人の女性とは思春期を迎えるころには深い仲になり、関係が10年も続いた今は、結婚式を挙げるようなことはなくとも、この先ずっと一緒に暮らしていくのだろうと思っていた。
そんな女性が、あろうことか親友と浮気をしていた上に、二人で自分の金を盗んで町を出ていったのは、つい数日前の事である。
ヤケになって酒浸りになっていた数日間のことを、ギードはあまり覚えていない、だが、ある日、スラムでは見慣れない小奇麗な格好をした男が、にこにこと笑いながら酒場でギードに話しかけてきたのだ。
『それは大変だったねえ、同情するよ。ひどい奴らだ。
そんな話を聞いちゃ手助けしたくなるのが人情っていうものだよね。
だから、これ。あげるね?
魔法の籠った巻物なんだよ。これできみの役に立つものが手に入る。
大丈夫大丈夫。使い方は簡単。広げれば勝手に仕掛けが動くから。
あ、でも、もし良かったら、次に会うことがあったら、ネックレスの使用感というか、どんな感じだったか教えてほしいな』
その男の人の良さそうな口調だけは、アルコールで駄目になっていた脳にもやけにこびり付いた。
あからさまに怪しい男の言葉を信じたのは、自暴自棄になっていたからだ。だからこうして実際に魔法の巻物とやらを使った結果、目の前に気を失っているとんでもない美少女が現れたギードは、完全に混乱して部屋の隅まで引っ込んで震えるはめになった。
「なんでだよ!ネックレスって話だっただろ!人間付きなんて聞いてねえぞ!」
もっともな文句である。
怪しい男はネックレスを使うにあたって効果と注意点も教えてくれていたが、自分より先に誰かがかけていた場合はどうすればいいのかということは、当然教えていなかった。
何だあいつ次会っても絶対何も教えてやらないからな。とギードが拗ねてゆっくり部屋の隅から這い出し、謎の美少女もとい千尋におそるおそる近づくと、千尋もまたふっと目を開いた。
「ここは……」
体を起こし、乱雑に散らかった室内をきょろきょろと見回していた千尋は、あからさまに挙動不審な成人男性に目を止める。
燭台にともったろうそく一本の明りでは、部屋の隅でびくびくとこちらの様子を窺っているらしい男の表情などは伺えなかったが、お嬢様は散らかった室内で上品に頭を下げた。
「まあ……どなたか存じませんが、ここがどこか教えていただいてもよろしいでしょうか?私、気が付いたらここにいたものですから、よく分からなくって……」
服装から金持ちだと予想していたものの、あまりにも平和ボケした穏やかなお嬢様っぷりに、ギードは毒気を抜かれてぽかんと間抜けな顔をする。
どう見ても、愛する人間を生贄に捧げて力を得てやるぜ!というキャラではない。
ひょっとして目の前のお嬢様は自分が首からぶら下げているものが何なのか知らないのではないかと気づき、ギードは千尋の目の前まで歩み寄った。
「お嬢ちゃん、あのな、事故なんだ。俺はネックレスが欲しかっただけで誘拐しようなんて気は……。だからそう、帰って欲しい、うん、そうだな。帰ってあげますってひとこと言ってネックレスだけ置いてってくれればそれでいいんだ」
これから意図せず好きな相手を殺す羽目になる少女が哀れではあるが、殺してネックレスを奪うよりはいいだろう。ついでになんだか分からないが強大な力を手に入れるらしいから、スラムからも一人で帰れるはずだ。
極度の美少女を前にしてそう思えるあたり、小悪党なわりにギードは小心者かつ善良な部分も多少はあるのだった。
ところで。
千尋がこの世界にくる数日前。彼女は友人から貸してもらった異世界転生もののラノベを読んでいた。
ストーリーはごく普通の少年がトラックに引かれて死に、剣と魔法の異世界に転生して冒険をしつつ幼馴染の少女と結ばれる、というものだ。
その中に、登場時は冴えない小悪党だったのだが、主人公を助けるうちに情け深く頼りがいのある男に成長していくキャラクターがいる。
千尋が作中で一番好きなキャラクターだ。ハマったと言って良い。もし作品がアニメ化したなら寮で録画はできるだろうかと少々悩んでいたほどだ。
そして、天文学的な確率の運の悪さで、困ったことに、そのキャラクターの外見はギードに似ていたのである。
薄暗い室内でしっかり顔が視認できる位置までギードが近づいてきた瞬間、千尋の脳内に電撃のような衝撃が走った。
大きな瞳が美しく潤み、柔らかそうな頬がほんのりと赤く染まる。
「まあ……」
うっとりとため息を零す姿は、完全に一目惚れをした人間のそれだった。
「待って待って待って待って、そうあのね、何も言わなくていい、お願いだからちょっとだけ黙って頼むいい案が出るまで!」
反対に足先まで血の気が引いたのではないかという青い顔になったギードは、とっさに両手を前に出し、首をぶんぶんと横に振って、先程までの己の言葉を撤回した。
いやそんなわけが。数日人間らしい暮らしを放棄していたせいで、いつにもまして薄汚れている自分をこんな美少女が。
普通の状況であれば舞い上がりそうなシチュエーションだというのに、どうして猛獣を前に無防備に突っ立っているような気分にならなければいけないのか。俺はなぜこんなにも運が無いのだろうか。ギードは心の中で涙を流した。
そわそわと恥ずかしそうに視線を泳がせ、カーディガンの前を胸元で合わせて手をもじもじと組んでいる様子はどう見ても可愛らしいのに、今はこんなにも可憐な少女の一挙手一投足が恐怖の対象でしかない。
千尋も、もしこれがハマりたてという特殊な情熱に支配される期間でなければ、こんなにも劇的に一目惚れをすることは無かっただろう。数日もすれば、ちょっと似ているけれど別人なのだし、と薄れるような、不安定な恋心だ。
そしてここが元の世界だったなら、一目惚れをしたところで、千尋の一番愛する相手は両親や友人だったことは間違いない。
しかし、この瞬間だけは、千尋は目の前の男を瞬殺できる条件が整ってしまったのだ。
『この世』で『最も愛しい相手』に意図せずなってしまったギードは冷や汗をだらだらと流しながら、なんとか事態を解決しようとアルコールの抜けきっていない頭を働かせる。
いっそ殺してしまえばいいのか。急に襲い掛かって危害を加えられれば、いかに少女の趣味が悪かろうと恋心がさめる可能性は十分にある。
だが千尋が「やめてください」とでも口にした際、万が一最も愛しい相手だったのなら、その時点でギードの死は確定してしまうのだ。
ネックレスの異様に性格の悪い使用条件を考えれば、口を塞いで声をくぐもらせようが、死にぎわの掠れた声だろうが、ある程度発声した時点で死ぬ可能性すらあった。
今までスリとして働き、痛い思いをしなくて済むようにと極力喧嘩も避けてきたギードには、相手に一言も言わせず息の根を止めるような技術など当然無い。
いったいどうすればこの妙な状況を回避してネックレスを手に入れられるのか。
悩むギードの頭に、ふとアイデアが生まれた。
魔法の巻物を怪しい男から貰った時、そういえばもう一枚貰っていたものがあったのだ。
邪魔が入った時にでも使うといいと渡されたそれは、開くとおぞましい怪物が現れるのだという。
もうこれに賭けるしかない。
そんな怪物をけしかけて殺されるとなれば、大抵の人間の恋心は消滅するだろう。なんなら怪物のパワーで一瞬で少女を粉砕してくれるかもしれない。
一縷の望みをかけて、ギードは千尋に悪印象を与えるべくできるだけ険しい表情を作った。
「おい女!いいか!そこから一歩も動くなよ!」
「はいっ!」
一切ひるまず元気に返事をする千尋にひるみながらも、ゆっくりと壁際まで後じさりをする。
上着のポケットに乱暴に突っ込んでいた巻物を震える手で取り出し、模様の描かれた面を千尋に向けて一気に開いた。
その瞬間、描かれていた魔法陣が紫の光を発しながら空中に浮かび、次いで目を開けているのがつらいほどの光を発した。
光が消えた後、その場に現れたのは、天井まで届くような巨体のタコだった。紫色の体表が、頼りないロウソクの明りをぬめぬめと反射する。
うつろな光を宿した目は3つあり、この生物が地球上のものとは違う生物なのだという事実を千尋に雄弁に指し示す。
見たことのない巨大生物の姿に、ギードはごくりと生唾を飲み込む。千尋の華奢な指先が口元にそっと添えられ、震える唇がか細い息を吐き出した。
「すてき……」
「うそでしょ……」
まさかの全肯定である。ちなみに千尋の推しは海の男でタコが親友だった。ギードはこんな設定を考えた作者に文句のひとつも言う権利があるだろうが、その言葉は一生届かないことだろう。
普段なら良いところのお嬢さんになど自動的に嫌われるだろうに、能動的にこのイカレお嬢さんに嫌われようとすると何もかもが空回りしてしまう。
もう駄目だ、とギードが絶望に囚われていると、巨大なタコが召喚者の意思とは関係なしに緩慢に太い触手を振り上げた。
それが数秒もしないうちに目の前の相手に叩きつけられるだろうことは明白で、背後にいるギードですら身をすくませたというのに、千尋はにっこりと微笑んだまま、握手を求めて触手へと片手を伸ばす。
「ごきげんよう!お友達になってくださいな!」
無邪気な言葉の効果は千尋の意思とは関係なく、瞬時に訪れた。
強い光と衝撃がネックレスから迸り、室内の二人と一匹を包み込み、そしてゆっくりと消えていく。
◆◆◆
アベル、ソフィア、ユーリアの3人が粗末なボロ屋の前に転移した時、まばゆい光は既に収まっていた。
代わりに隙間だらけの小屋の中からは少女の泣き声が絶え間なく漏れていた。
ついでになぜか困ったような男の声も聞こえていた。
「あら。……まあ一応気を引き締めて入りましょうか。先頭よろしく」
「えっそういうノリでいいんですか……」
口を開いただけで生贄を捧げてしまいかねない状況の千尋が大きな声を出せている時点で、もはやことは終わったものだという確信がソフィアの中にはあったが、一応形だけ、指示を受けたアベルがドアを勢いよく蹴り開けた。
荒れた室内には、壁際でなにか納得したような顔で事切れている男と、それに縋ってぽろぽろと涙をこぼす千尋、そしてよく喋る巨大なタコがいた。
「ああ~~、困っただよほんとに、どこなんだろねここは?お嬢ちゃんほら、そんなに泣いちゃ目が溶けちまうよ。まあどうしたらええもんかね……、母ちゃんがいればうまく慰めてくれたんだけどねえ~」
扉を蹴り開けて矢を向けたまま固まっているアベルを放置し、魔法使い二人が千尋とタコと成人男性(故人)の傍へと駆け寄る。
千尋を死体から引きはがすようにして自分の腕の中へ抱きしめ、よしよしと背中をさするソフィアに、ユーリアが羊皮紙を差し出した。
「あらあらチヒロ、大丈夫よ~、事故みたいなものだから、うんうん、でも悲しいわよね。
ああ、こっちがネックレス用でこっちがタコさんね。ずいぶん温厚なかたが来たのねえ。助かったけれど。
ごめんなさいねぇ。よろしかったら私が水場まで一旦お送りしますわ。うちの塔の池ですみませんけれど」
「ありゃ、ずいぶん立派な杖の魔法使いさんだね。やあ助かるだよ~。いきなりピカっとしたらこの兄ちゃんが死んじまって、お嬢ちゃんが泣き止まなくってねえ。慰めてやってくれぇ。
それじゃあお言葉に甘えようかね、ありがとさん!」
「いえいえどういたしまして~」
和やかな会話の後に杖をひと振りして、ソフィアがタコを狭い部屋から水場へ送ったあと、やっと硬直が溶けたアベルがおそるおそる千尋のそばへと膝をついた。
「ああ、えーと、大丈夫か?怪我は?怖い目に遭ってつらいよな、ソフィアさん達が助けに来てくれたからもう大丈夫だよ」
わかりやすくおろおろしながら心配してくるアベルを見て少し落ち着き、千尋はあふれてくる涙を袖で拭いながら顔を上げた。
「ええ、ええ、ご心配には及びません。怪我はひとつもありませんわ。
ただ悲しくって、涙が止まらないんです……。
でも、大丈夫、私、怖いと思ったことはいままで一度もありませんもの……」
相手を心配させまいとそれだけ言い、再びはらはらと涙をこぼし始めた千尋に、アベルはこの時になってやっと、うすうす気づき始めた。
さてはこのお嬢様、やべえやつなのでは。と。
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