第2話 目覚めのお嬢様

1時間後、依頼を受けたアベルとルートヴィヒ、魔法使いのソフィアとユーリアの4人は町の入口にある門前の広場で集合した。

現場までは自分たちが送るという魔法使い師弟のお言葉に甘えて、馬車やらなにやらの手配は無しに身軽な格好で来た戦士二人は、何も無い街道をきょとんと見渡す。

てっきり魔法使いたちがこの街に来るために使った馬車に相乗りさせてくれるだとか、そういう話だと思っていたのだ。


「さあさあ、二人ともこの中に入ってちょうだいねぇ」


ふわふわの金髪を揺らしながらソフィアが微笑む向こうで、ユーリアが長い杖を使って地面に黙々と、裾の広がったドレス姿含む大人4人が入れそうな大きな円を描いている。

少女らしい小柄なユーリアがそうしていると、まるで地面に棒きれで絵を描いている子供のようで微笑ましくも見えるのだが、眉一つ動かさない無表情な様子がなにやらシュールだ。

本当にただ円を描くだけの作業はすぐ終わったため、戦士二名はおそるおそる線を踏まないように中に入る。

最後に円の中に入ったソフィアが、どこからともなく緑色の宝石と琥珀で出来た、枝のような短杖を取り出して一振りする。それだけで4人は街の前ではなく、鬱蒼と茂った森の前に移動してしまった。

アベルは驚いて、うわ、としか言えない。

ルートヴィヒのほうはといえば、外見的にはほぼ無反応の弓兵とは対照的に、くわっと目を見開いて周囲をぐるぐると見回した。


「なんと!このような不思議を体験する日が来ようとは!魔法使いというものは実に便利な技を扱うものなのですな!!」


かなり暑苦しいがハンサムと形容して問題ない顔に満面の笑みを浮かべて賞賛する様子は、なんというか驚くほど陽キャであった。

金髪碧眼も相まって紳士らしい外見のルードヴィヒに褒められて、ソフィアは頬に手を当ててあらあらとはにかんだ。

いっぽう無精一歩手前のギリギリ清潔感を保ったボサボサの濃い灰色の髪と淀んだ青緑色の目をしたアベルのほうは、同じくローテーション黒髪仲間のユーリアにちらりと視線を向ける。ちなみに似ているのはテンションと髪色だけで、ユーリアはきちんと整えられたつやつやのボブカットと美しい水色の瞳をした美少女である。

手ぶらの師匠と比べてユーリアは荷物を持っているのだが、どう見てもそれはピクニックバスケットだった。すんすんと匂いを嗅げば、香ばしく焼けた肉とパンの香りもする。

これだけ見ると森の湖畔でお茶でもするような様子だが、今から入る森は組合長の言葉の通り、遭難者多数で盗賊も近づかないと有名なホラースポット兼魔獣の生息ポイントとして近隣でも有名な場所だ。

入ると狂暴なネズミの群れに骨も残さず食い殺されたり、木に擬態した魔物に絞殺されて吊るされたり、真っ黒な眼窩の小人に追いかけられて目が合うと正気を失ったり、犠牲者の魂に憑りつかれて死ぬまで死体の埋葬をさせられるともっぱらの噂である。

夏場に怪談話が始まると決まってこの森の話が5、6個出るし、子供がひどい悪さをすると森に捨てに行くぞと親から叱りつけられる。

今からそのやばい森を踏破して、やばい森に好き好んで住むやばい魔法使いのもとへ行かなければならないわけだ。それを思うとアベルのテンションが海抜マイナス5mあたりになるのも致し方ない。


「本当は塔まで跳べると良かったのだけれど、以前の塔主と違って新しい塔主とはお友達じゃないものですから、きちんと訪問しなければならないのよ~。しばらく歩くけれどはぐれないでねぇ?」


琥珀の杖をタクトのように振りながら森へ向かってどんどん歩いて行くソフィアに、そういえばそのドレスで森歩きをするのか、とアベルは訝しんだ。

が、次の瞬間目の前の空間がぐにょりと歪み、萌黄色の美しいドレスの裾に触れない位置まで木々が移動するのを見て思考を放り投げた。

目の前の木も下生えもどう見ても魔物ではなくただの植物に見えるのに、それらがソフィアが歩くたびに左右にずれて、歩きやすい道が出来ていくのだ。

ソフィアの後に続いてウキウキのルートヴィヒが興奮した様子でキョロキョロしながら歩いて行くので、仕方なくアベルは遅れないように後ろに続く。

しんがりについたユーリアは当然何の動揺もない無表情だ。

惜しげもなく立て続けに起きる超常現象をなんとか飲み込みつつ、どうやら今日の仕事は何もしなくても終わりそうだぞ。とアベルは自分を励ました。


◇◆◇


微かな鳥の鳴き声を聞きながら、七海千尋は目を覚ました。

ベッドから起き上がると、昨日とは打って変わって、室内は窓から差し込む光に明るく照らされている。

もっともインテリアについては当然昨日と変わりないため、暗いお化け屋敷が明るいお化け屋敷になったにすぎないのだが。

一点違いをあげるなら、室内には昨日は無かった、洗面器とふかふかのタオルの乗ったワゴンが置かれていた。

昨夜の紅茶と寝間着の件で完全に妖精さんでも居るのだと認識している千尋は、迷いなくお礼を述べて顔を洗い、制服に着替えて身だしなみを整えた。

昨日風呂に入っていないとはいえ、パーフェクト美少女である千尋には何の問題もない。

ふと鼻を擽った香りに、千尋は室内をきょろきょろと見回した。昨日もティーカップが置かれていたテーブルに、ティーコゼーに包まれたポットと、ティーカップ、それに花の形に固められた角砂糖が添えられている。

美しい姿勢で椅子に腰掛け、ありがたく朝のお茶を頂きながら、千尋はさてどうしたものかと思案した。

塔に住む妖精さんのご厚意でこうして不便なく過ごさせて頂いてはいるが、学校から帰ってきたばかりだった千尋は、お礼になるようなものを持っていないのだ。


「せめて直接お礼を言えれば良いのですけれど……」


ほう、とため息をつく様子は大変すばらしい令嬢っぷりだったが、あいにく周辺の棚には目玉やら骨やらが並んでいる。

それに帰れないとなれば、世話になっているばかりではなく生計を立てる必要があるだろう。

千尋は裁縫全般と料理についてなかなかの腕前を持っているのだが、それで金銭を得るためのツテがあるかと言えば、当然さっぱりである。

というかお茶は飲んでいるが今日の食事にすら事欠いているわけで、既にかなり危機的状況だと言っても過言ではない。成長期の体を支えられるだけのカロリーを角砂糖で摂取するというのもなかなかつらいものがある。

とすると、やはりこの塔を拠点に、まずは食料を探すべきだろうか。

ワンピースとタイツとつやつやのストラップシューズという装備は森歩きにはあきらかに不適当ではあるが、やるしかない。

そう決意して立ち上がり、両手を握りしめてよし、と気合を入れてから、鞄の中身をテーブルにあけていく。からになったスクールバッグはそれなりに採集の役に立つだろう。

とんとんと軽やかに階段を下りていくと、寝室以外の窓もいつの間にか開けられていたようで、塔の中はずいぶん明るい。それに、昨日は寝室以外の全ての家具にかけられていた布覆いが取り払われている箇所があった。

廊下の絵が動きに合わせてじっと視線で追ってくるのに笑顔で挨拶を返し、一階まで下りると、門の近くの開けたスペースがリビングのような作りになっているのが分かる。

きちんと磨かれたテーブルや柱時計、木片のひとかけらも落ちていない暖炉に、座り心地の良さそうなソファセット。どれも上品でよく手入れされたものだということが一目でわかる品々だ。

自分という来訪者が来たことで、どうやらこの塔の妖精さんは使う部屋を増やすことにしたらしい。

仕事を増やしてしまって申し訳なく思えばいいのか、それともお客を持て成すのが好きな性分らしいとほっとすればいいのか、判断しづらいところである。

昨日と同じく自動で開閉した扉を通って外へと出れば、森の湿気を含んだ風が千尋の頬を撫でた。

明るい日の下で改めて見てみると、どうやら庭は思っていたより広いようだ。

背の高い雑草をよけながら塔の周りを一周してみると、裏庭には家庭菜園か何かをしていた様子もある。

ひょっとすると野生化した野菜でも生えているかもしれないが、今は時期外れなのか枯草が多い。

近くに手押しポンプのついた井戸と洗い場もある。紅茶が出てきたことから察するに、これはおそらく飲める水質なのだろう。

塔をびっしり覆っている蔦は青々と茂っているが、近くで見てもなんという植物なのかさっぱりだ。

随分高いところまで覆っている蔦を見上げてみると、青空と緑のコントラストがなかなかに美しい、かもしれない。

白い雲がふわふわと空を流れていく様子に、ふと千尋は違和感を覚えた。

なにやら妙に整った楕円の雲があるような。と目を凝らしてみると、どうやらそれは雲ではなく白い飛行船のようだ。

ということは、あれの行き来する場所にはきっと大きな町があるのだろう。となれば当然食料だってあるに違いない。


「ただ、近いとは限りませんものね……」


散歩が趣味でそこそこの健脚だとは思うものの、果たして森を踏破してどこともしれぬ町まで歩けるものだろうか。

悩みながら、庭をぐるりと回って門の前まで戻ってきた千尋。

門があるということは、当然ここは通路である。それならば門の向こうは森を切り開いた道があってもおかしくないのだが、困ったことにそこには草木が生えるばかりだ。

よくよく見れば他の木々に比べて細いので、おそらく昔は道としての体裁を保っていた場所が、放置されるうちに森と一体化してしまったのだろう。

とはいえ周りの茂り過ぎて薄暗い森に比べれば、この元道は木の背丈が低いぶん明るくて足元も整っており、比較的歩きやすそうではある。

というわけで最初の探索はここからにしよう。

そう決めた千尋が門扉を押し開こうとした瞬間、ふと足元の影が濃くなった。

と思った瞬間、真っ黒な人型の影が千尋の前に文字通り立ち上がる。

どこか平坦なそれは千尋よりも背が高く、手元と顔だけは他の箇所よりも色がやや薄いが、表情が見えるのはきゅっと引き結ばれた口元だけだ。形だけで判断するなら、いわゆるメイドというか古めかしい給仕服を着た女性のように見えた。

突然の怪奇現象に見舞われた探索者はSANチェックですという状況に、千尋はきょとんと眼を見張る。

胸元で両手を組んだ影は、門の前に立ちふさがって、ゆっくりと首を振る。

出て行かないでと懇願しているようにも、ここからは出さないぞと言っているようにも見える仕草だ。


「まあ……!」


ぱっと頬を可憐な桜色に染めた千尋が、影の手を自分の手でぱしりと掴んだ。平坦な影にしか見えない姿だが、どうやら触れられるようだ。

突然のことに硬直している相手をよそに、怖いものなしの少女はにこにこと微笑む。


「なんてことかしら!妖精さんに会えるなんて!

お茶や寝間着を用意してくださったのは、きっと貴方でしょう?お礼が言いたかったのよ!本当にありがとう!

私、七海千尋というの。どうぞ千尋と呼んでくださらないかしら。

ああ、ほんとうに、びっくりしたわ!」


びっくりしているのは相手のほうである。

おそるおそる、という仕草で千景の手をとった人影に連れられて再び塔に戻った千尋は、リビングらしきスペースのソファに強引に二人で座り、なおも若干怯える相手に親しげに話しかけた。


「それにしても、どうやって私の世話をしてくださっていたのかしら?姿を見かけなかったのは、さっきみたいに私の影になっていたからなの?何か運んでくる物音もしなかったけれど、いったいお茶の準備はどうしていたのかしら。

ああ、どうしましょう。私ばかり喋ってしまって。

というか言葉は伝わっていて?それも分からないわね……。

困ったわ、食べ物を探しに行かなきゃあいけないのに、貴方のことが気になってそれどころではないわ!」


人懐っこい少女のお喋りにそわそわとしていた人影が、はっとしたように立ち上がる。

千尋の手を取り、スカートの裾をふわふわとゆらしながら向かった先は、先程千尋が見かけた畑らしき場所だ。

人影の足元からしゅるしゅると伸びた細い影が地面に差し込まれ、ぼこぼこと畑が掘り起こされた。

出てきたのはこぶし大より一回り小さい、茶色いイモである。少々小ぶりではあるものの、傷んだ個所はなく状態は良いようだ。

手を叩いて喜ぶお嬢様に、人影は嬉しそうに口元をほんのり緩めている。

井戸水で洗った芋を手というか触手というかリボン状の影的な何かで抱えた人影は、どことなく張り切った様子で少女をキッチンへ案内し、作業台脇の椅子へと座らせた。

料理をしている間一人で退屈させないように、という気遣いなのだろう。

人影の手元でナイフも無しにシャリシャリとイモの皮が向かれていく様子を、少女が興味津々で見つめる。

茶色い皮の下はチェダーチーズのようなオレンジ色で、千尋にとっては見たことのない植物だ。

変わった色ね、食べるのが楽しみだわ。お皿は何がいいかしら。と千尋がたずねるあいだにも、人影の足元から伸びた無数の細長い影はキッチンの中を縦横無尽に動き回り、薪に火を起こし、フライパンを熱し、棚から調味料を取り出していく。

何かのナッツを触手状の影で粉々にし、フライパンの中で炒っていると、段々と油がしみだしてきた。

そこにみじん切りにしたイモを敷き、押し広げるように均していく。

同時進行でポットにお湯を沸かしてお茶の支度をし、その上リビングスペースまで触手を伸ばして、真っ白なテーブルクロスの上に銀のカトラリーと一輪挿しに生けられたピンクの花まで用意しているのだから、これはもう芸術と言っても過言ではないだろう。

あっというまに出来上がったハッシュドポテトと紅茶を手に、もとい触手に、人影は少女を綺麗にセッティングされたテーブルまで連れて行き、そっと椅子を引いてエスコートした。

千尋のほうも慣れた様子で座り、ナイフとフォークを手にする。

素朴なメニューなのにやたらと上流階級の香りが漂う空間である。

食前の挨拶をしてどきどきと一口目を口にすれば、最初にナッツオイルと焼けたイモの香ばしい香りが漂う。

表面はカリっと、中はしっとりほくほくとした食感のイモは、甘みの強いジャガイモに似た味で、塩だけの味付けでも十分に美味だ。


「とっても美味しいわ!料理上手なのねえ。それに、素敵なお花。なんという名前なのかしら?」


素直な感動に花のほころぶような笑顔を浮かべるお嬢様に、傍らで微笑む献身的なメイド。

属性だけ見るなら瀟洒な朝食を終えたあと、電光石火の速さで片づけけをする人影を見学しながら、千尋はにっこりと微笑んだ。

さきほど門から出るのを拒まれたのは、この建物内で食料を確保できると伝えたかったのだろう。

あるいは森の中は自分が思っているよりも危険なのかもしれない。地形が悪いか、あるいは肉食動物や気性の荒い生き物が住んでいる可能性もある。

一人の状況ならともかく、こうしてなぜか世話を焼いてくれる相手がいる状況なら、相談しながら事を進めていったほうが良いだろう。

と考える程度には、千尋はすっかり人影を信用している。

使うことなく終わった鞄を寝室に戻して荷物を整理し、千尋は門の方向にある窓から外を眺めた。

自分の身長が155cm。庭に出て壁際に寄った時、一階と二階の切れ目の当たりだろう石組までの高さは自分の身長の倍以上はあった。

この部屋はおそらく日本の5階建ての建物よりも高く、15mから20mほどはありそうだ。

しかしながら窓から見える景色は見晴らしが良いとはちょっと言えない。40m以上ありそうな樹高の木が生い茂り、視界を塞いでいる。

この森で探索をしようと思ったら、何か目印を付けなければ確実に方向感覚を失うだろう。

空腹で頭が回っていなかったとはいえ、鞄一つで向かうべきではなかったと千尋が反省していると、急に視界がぐにゃりと歪んだような感覚がする。

というか実際歪んでいる。門前から伸びた獣道周辺の木が、まるで自分から左右に分かれるように避け、空いた場所から誰かが歩いてきたのだ。

あわてず騒がず、千尋はポケットから手鏡を取り出した。慣れた手つきで窓辺から壁際へと移動し、鏡越しに様子を探る。スニーキングスキルはお嬢様のたしなみなのだろうか。

服装からして、男性二人と女性二人だろうか。


「まあ……。人に会うのは初めてね」


先頭と殿がドレス姿の女性。二人とも形状の違いはあるが杖を手にしていて、まるで魔法使いのようだ。

その二人に挟まれている男性二人は戦士に見えた。一人は腰から長剣らしきものを下げ、もう一人は背中に弓と矢筒を背負っている。太腿のベルトについているのは短剣だろうか?

女性達はどこか余裕のありそうな表情をしているが、長剣を持った戦士はそわそわと落ち着かない様子だし、弓を背負った戦士はなんだかげっそりとしている。

はたしてあの4人に会ってもいいものか、と考えながら、ふと千尋は人影に視線を向けた。

千尋の動きにつられたのか壁際に控えている彼女は体の前で両手を組み、困ったように小首をかしげているが、慌てたり怖がったりしているわけではなさそうだ。


「そう……。知っているかたなのね?全員ではないのかしら」


そう問いかけられ、人影は一瞬固まったあと、こくりと首肯した。

武装した見知らぬ人間がやってきたというほどには警戒がなく、予定通りの訪問にしては動きが鈍い。

当てずっぽうで尋ねた質問への返答に泰然とした様子で頷きを返し、面の皮の厚いお嬢様はすっと背筋を伸ばした。


「私がこういうのもおかしいけれど……、お客様なのでしょう?おもてなしをしなくてはね」


どこまでも可憐な表情で微笑むお嬢様に、塔のメイドは慎ましく頭を下げて返事をするのだった。

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