呪いの森のお嬢様

石蕗石

第1話 お嬢様、来たる

『おとうさま、おかあさまへ

春風の心地よい季節になり、わたくしも高等部の一年生となりました。

新しい制服に袖を通すのがうれしくて、鏡の前でターンなんてしてしまったのを、おとうさまとおかあさまは天国から見ていらっしゃったかしら。

浮立つばかりではいけませんね。学生ですもの、勉学に励んで本分を果たさなくては。

さて、おろしたての日記帳におとうさまとおかあさまへのお手紙を書いているのには、理由があるのです。

二人は異世界トリップというお話をご存じだったかしら。

最近、お友達がはやりの本を貸して下さったのですよ。

不思議な世界を訪れたり、前世の記憶を持ったまま生まれた主人公が、冒険や料理や発明をして活躍するお話なのですよ。

わたくしも楽しく読ませていただきましたの。

それで、驚かないでくださいね。今日は始業式のあと、高等部のお庭を散策をしてから寮へ帰ったのですけれど、お部屋のドアを開けたと思ったら突然森の中にいたのですよ。しかも石の塔が建っているの!とっても不思議ね。

それにしても、来たはいいものの、いつ帰れるのかしら?でも折角のことですものね。ちょっと冒険していこうと思うのよ。

予定とは違ってしまったけれど、こんな新生活も素敵なのじゃあないかしら。どうか見守っていてくださいね。』


そこまで書いた日記帳を鞄にしまい、少女はおっとりと小首を傾げた。

日没直後の薄紫の空。鬱蒼と背の高い木が生い茂る森。じめじめとした空気。

目の前にそびえたつ石造りの塔にはびっしりと蔦が絡みつき、住人も訪れる者も居ないのか、庭は荒れ放題で周りを囲む石の塀は苔むしている。門には大きな閂がかかっているうえに鎖が巻かれ、長い間閉められていたのだろう様子が伺えた。

鎧戸まできっちり閉じられた窓の数からして、5階建ての塔なのだろう。最上階の窓だけ鎧戸がほんの少し開き、窓ガラス越しに白いカーテンが人影のようにのぞいている。

どう見ても廃墟感満点の塔を目の前にして、少女は嬉しそうに微笑みを浮かべた。


「すてきね、魔法使いが住んでいそう!」


七海千尋、15歳。

抜けるように白い肌とカラスの濡れ羽色の長い髪、大きな瞳はキラキラと輝き、形の良い鼻とちいさな花びらのような唇が、ほっそりとした顔に品よく配置されている。

どの角度から見ても可憐な花も恥じらう美少女は、残念なことに頭が少々アレであった。


「でも、こんなに厳重に閉ざされているのでは、冒険はできそうにないかしら……。あら」


千尋が門の閂に触れると、びっしりと錆の浮いたそれが突然ぼろぼろと崩れ落ちる。続けて鎖も落ち、風もないのにひとりでに開いた門が、ぎいぎいと音を立てた。


「まあ!」


来訪者を塔の中へと誘うようなホラームーブに喜びの声を上げる姿は控え目に言っても危機感が足りていなかったが、突然の非日常的シチュエーションに浮ついてしまうのは、年相応と言えなくもないだろう。

門の内側へ踏み入りかけた足を一旦ためらって止め、塔に向かってしずしずと頭を下げ、


「ごめんくださいませ。慣れない場所ですし、日も落ちてしまいましたから、行儀の悪いことですけれどお邪魔させてくださいな」


わざわざそう断ってから歩く姿にツッコミを入れる者は残念ながら誰もいない。

塔の入口の両開きの分厚い木製ドアも、律儀にドアノッカーで叩けばギギギと音を立てながら内側に開いていく。

近所の街の悪ガキが肝試しに来ていたらここで全員逃げるであろう状況に、残念ながら千尋はおじゃましますと声をかけてにこにこと塔へ足を踏み入れる。

あまつさえ勝手に閉じた扉を気にも留めていないのだから、天国の親が見たら泣くだろう。


「どなたかいらっしゃいませんか?……ああ、やっぱり廃墟なのかしら。でも自動ドアは生きているのだから不思議ねえ」


その自動ドアの動力は多分電気じゃないですよと言ってくれる人間が不在のため、千尋はコツコツと足音を響かせながら塔の中を散策する。

家具は白い布で覆われていて住人の不在を伺わせるものの、そのわりには埃も少なくカビ臭さもない。

窓が閉め切られて灯りもないわりに不思議と薄明るい室内は散策には都合が良かったが、だからといって無頓着にウロウロ出来る人間は少ないだろう。

残念なことに少数派の人間である千尋は塔の階段を上り、端からドアを開けていく。

何らかの実験器具のような物が詰まった部屋や倉庫のような場所、客室や浴室、トイレに図書室、沢山の絵が飾られた部屋等々、どこもかしこも使用されている形跡はない。

ちなみに一度壁の絵にかけられた布覆いをめくってみたところ、人物画と一瞬目が合った後逸らされるというイベントが起きているのだが、千尋は「照れ屋さんなのね」の一言でスルーをしている。

5階まで登りきったところで、廊下の一番奥に薄く隙間の開いたドアを見つけ、千尋はためらいなくきちんとノックをしてから扉を開いた。

室内を見渡しながら、少女の繊細な手がぱっと口元を覆う。

ほんの少し開いた鎧戸から差し込む光に照らされた部屋は、一見豪華な寝室のようだった。

レースとサテンとシフォンで覆われた豪華な天蓋ベッドに、上品なドレッサーやライティングデスク。一人で寝る前のお茶を楽しむのに丁度良さそうな小さなテーブルと、座り心地の良さそうな布張りのソファ。

床にはふかふかのラグが敷かれ、天井も壁紙もシミ一つない。

いかにも上品な女性の寝室、という内装は壁の一部が作り付けの棚になっており、本や様々な蝶や貝殻の標本やガラス瓶、ついでにホルマリン漬けが並んでいた。

色とりどりの目玉と目が合った探索者はSANチェックです。となりそうな光景に、千尋は驚きの声を上げる。


「まあ!理科室と寝室が一緒になったみたいね。とてもユニークだわ!」


アイデアロールが10回失敗してもそうはならんやろという感想を述べつつ、きちんと扉を閉めて室内をきょろきょろと見まわし、見たことのない蝶とよく分からない内臓らしきものの瓶詰と見事なレースのベッドカバーに対してそれぞれ同列に感心する様子はそれ自体が怪談じみていた。

ふと、背後からこつりと控え目な音して、千尋はくるりと振り向いた。

発生源は明白だった。先程までは何も置かれていなかったテーブルの上に、湯気の立つ紅茶が注がれた上品なカップが置かれていたのだ。


「まるでマヨヒガねぇ」


民話もたしなむお嬢様は異世界の不思議にしみじみと感動していたが、マヨヒガに人格があったなら風評被害を訴えて裁判で勝ったことだろう。

ついでに置かれていた砂糖壺から角砂糖を二つ。いただきますをきちんと言ってから紅茶に口を付ける様子は非常に優雅だが常識が無かった。

暖かくて甘い紅茶を飲み、座り心地の良い椅子で寛いでいると、ゆっくりと眠気がやってきた。

紅茶になにか混入されていたというわけではない。

学校行事にしっかり出席し、放課後は図書室での読書と庭の散歩。暗くなる直前に自室へ帰ってきたと思ったら突然森の中へトリップし、それから知らない場所をぐるぐる歩き回って散策。それなりに疲労の溜まった状態でリラックスしたせいで、うとうとしてしまったのだ。

この状況でリラックス出来る精神状態はまともなのかはさておき、からのカップをソーサーに戻してごちそうさまをした千尋は、頬に手を当てて小首を傾げた。


「どうしましょう。けど、そうね、夜ですもの、これ以上できることもありませんし……」


夜の森を探検したり食料を探すというのはいかにも危険だ。

行動するなら朝まで待ったほうが良いのは明白で、千尋は頭がアレではあるが愚かではない少女だった。

勝手にひとさまの寝室で寝るという行為にためらいはあるものの、眠気には逆らえない。

いつのまにやらベッドに置かれていたネグリジェを着てベッドに横になれば、なめらかなリネンとふかふかの毛布が出迎えてくれる。

マットレスも枕も千尋の実家にあるものと比べても遜色ない上質なもので、しかもカモミールのいい香りまでするという寝心地の良さ。


「おとうさま、おかあさま、おやすみなさい……」


なんて不思議一日だったのかしら、と思いつつ、千尋はうとうとと無防備に瞳を閉じた。

すっかり寝入ってしまった彼女の枕元に、黒い人影がゆらりと姿を現す。

自分をじっと見おろす人ではない何かに、図太いお嬢様は勿論気付かないのであった。


◇◆◇


「魔法使いが来てる?またどうして」


日雇い肉体労働者相互扶助組合窓口で、アベル・ベルクマンは眉をしかめた。

アベルにとって魔法使いは馴染みのない職業である。よく分からない技術でいろいろなことができる人間だとぼんやりと認識しているものの、具体的に何をしているのかと言われたらよく分からない。

街や港に悪いものが近づかないよう魔法をかけているのだとは聞くし、自分も獣除けの護符を買い求めることはあるが、親しく話をするような間柄の魔法使いはいない。

そもそも普段は塔に引きこもっていて、あまり街にくることもないのだ。


「どうしてかは知らないんですけれど……。あのー、それでベルクマンさん、組合長に呼ばれてまして……。すみません、応接室までお願いします」


申し訳なさそうに案内をする組合の受付嬢の後について入った部屋には、アベルの予想よりも大勢の人間が居た。

まずは組合長のハインリヒ・アイヒベルガー、組合員のルートヴィヒ・ローゼンベルグ、それからスーツをきっちり着込んだ男が三人。最後に金髪と黒髪のドレス姿の淑女が二人。

あきらかにくる場所を間違えているようなこの二人が魔法使いだろうかとあたりをつけつつ、アベルはルートヴィヒの横に座った。どうやら何故だか自分が頭数に勘定されているらしいなかで一番最後に来たらしい様子で、居心地が悪い。


「ルートヴィヒもアベルも、真面目に朝から組合にくる奴で丁度助かったな。呼ばずに済んだ」


強面の組合長からいかにも関心と言ったふうに頷かれたものの、アベルが午前中からきちんと組合に来ているのは勤勉だからではなく、仕事をするならさっさと済ませて後はゆっくり昼寝をしたいからだ。窓の外を眺めながら意味もなくボーっとするのでもいい。

ということを馬鹿正直に言うと面倒なことになるのを社会人のアベルは知っていたので、真面目くさった顔で会釈をしてやりすごした。


「途中から来たアベルに簡単に説明するとだな、まずこちら、ゲオルク・ファイネンさんと、ベンヤミン・ノイベルトさん。エルマー・ディッペルさん。

ファイネンさんが銀行、ノイベルトさんは役所、ディッペルさんは商工会議所にお勤めだ。今回はそこからの依頼だな。

まず昨日、顧客名簿やら不動産登記簿やら商工会員名簿やらが、えー、……それぞれ急に浮かんで勝手にページがパラパラとめくれ、光り出した。該当箇所を見ると共通の部分の登録名が書き換わっていたと。

あー、ベルクマン、北西の森に魔法使いの塔があるのは知っているか?あそこの所有者に関わるものらしい」

「はあ、たしかあれでしょう、この辺の古戦場跡だとか街道の行き倒れだとか、無縁仏を集めて弔ってるとかいう森の。もうだいぶ前から管理している人も居ないんじゃありませんでしたか。

というか、えっ、魔法使いの塔って不動産登記必要なんですか……」


思わず口を突いて残念そうな声が出るアベル。

役所職員の気弱そうな男が、「形式上のものなんですけれどねえ」と注釈を加えてくれるが、なんとなく夢を壊されたような気分にならないでもない。


「そう、その昔の住人の名前で登録された書類が急に変わったというわけで、まあ不思議な話だから一応一度塔に出向いて、どんな新しい魔法使いさんが住んでらっしゃるのだか確認をしてきてほしいと。あとはできれば書類の確認のために一度各事務所まで来てほしいって話なんだが、そこはまあ臨機応変にな」


組合長が煮え切らないのには訳がある。

大抵の国で王制を布いているこのご時世、階級やら身分というものは誰にでも付きまとうものだが、魔法使いというのは例外で、「どの身分にも属さない」という決まりごとがあるのだ。

平民ですらない、とも解釈できるが、王にも頭を下げる必要がない、と捉えることもできる。

どう扱っていいのか分からない職業なのだ。


「そんなわけで、魑魅魍魎から各種獣までたっぷり出る森を踏破して塔と往復してくるのが仕事だな。

なんと今回はこちらの、魔法使いのソフィア・アンブロシュ様と、お弟子のユーリア・フレンツェルさんが同行してくださることになっている。

なのでくれぐれも、くれぐれもな、失礼のないように」


暗闇で出会ったら子供がひきつけを起こして倒れそうな強面の組合長が、そっと手で差し伸べて紹介した金髪の魔法使いは、アベルににこりと嫋やかに微笑んだ。隣の仏頂面の弟子が会釈するのに合わせて、アベルは座ったまま出来るだけ丁重に頭を下げる。

なるほど組合長、それで俺とルートヴィヒを呼んだのか。とアベルは納得した。

傭兵から日雇いの工夫まで、肉体労働者が所属する組合は、残念なことにガラの悪い者や礼儀を知らない者も多い。

ある程度腕が立って、かつ美人の魔法使いを変に意識せず、気分を損ねなさそうで、しかも即つかまる人間が欲しかったのだろう。

当たり障りなく出来るだけスムーズに仕事を終えて平和に帰りたいがゆえに人当りの柔らかい弓兵のアベルと、珍しいことに騎士爵まで持っている本物の貴族出身のルートヴィヒ。妥当ではある。


「うちのほうの台帳でも昨日、塔の所有者が書き換わったものですから、きっと最寄りの街のこちらでこういうお話になっているだろうと思って来ましたの~。

あの森はちょっぴり危険ですから、遭難者が出るといけないと思って。よろしくお願いしますね?」


ふわふわした金髪の魔法使いは、おっとりと微笑みながら物騒なことを言って小首を傾げた。

だいぶ行きたくないなと思いつつも、組合長直々に呼び出されての仕事となると断りにくい。

精一杯務めさせていただきます、と死んだ目で答える程度には、アベルは小市民だった。隣でルートヴィヒが死地にでも赴くような険しい顔で、この一命に変えましても!とハキハキ答えているのがやたらうっとうしい。多分なかなか無いような変わった依頼にテンションが上がっているのだろう。

今日中に帰って近所の野良猫を撫で倒してから、あったかい布団で寝れると良いなあ。

組合随一の枯れている弓兵は、近隣一のホラースポットと名高い森へ行くはめになった現実を前に、そっとひとり脳内で逃避をするのだった。

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