第15話:途方に暮れる夕暮れ






 歩くたびにジャラジャラとうるさい音を立てるネックレスにいい加減嫌気が差し、か細い指に不釣り合いなゴツいリングが付いた指を首と鎖の間に入れて上に引っ張りあげる。しかし、顎の下まで上がったところでそれ以上鎖も、それにぶら下がった宝石も上には上がらなかった。


 長時間歩き回った過程で、何本かのネックレスがストールと共に次第に捩れていき、今ではすっかり仲良く絡みついてしまっていた。


 これではネックレスではなく犬に付ける首輪みたいだ。襟足の伸びたアクアグリーンの髪の少年――ウォルター・ヴァルテル――はその髪をグシャグシャと手で乱しながら、だーっと言葉にならない声を上げた。


 一体どうして、朝の自分は借りた装飾品を全部身に付けてしまったのだろうか。神術士であることを見抜かれて足下を見られないようにするためにさり気なく金持ちアピールをする筈が、全身がごちゃごちゃとしているせいで、かえって品のない成金のような風貌になってしまった。


 午前中に隣町にいる依頼人(9話参照)の元を訪れて話を聞いた後、片っ端から貴金属を扱っている露天商に声を掛けているが、一向にお目当ての首飾りはおろか、見掛けたというような手掛かりすら掴めていない。


 それどころか、行く先々で馬鹿みたいに高い宝飾品を押し売りされそうになって、上手く逃げるのに労力を奪われる始末だ。


 しらみつぶしに聞いて回れば目撃証言くらいは簡単に得られるだろうと高をくくっていたが、蓋を開けてみればこの街には宝石商が20軒以上点在しており、それに加えて複数の街を行き来する行商人も相当な数居るという。


 既に日も暮れてきており、その商人たちもそろそろ店じまいをしている頃合いだ。


 完全に考えが甘かった。日中に少しくらいは手掛かりが見付かって、明日明後日くらいには終わっていると思っていたが、これは中々に骨が折れそうだ。


 今日はもう諦めて泊まるところを探そう。いや、まずはこの首に絡まった鎖を取る方が先か?


 とぼとぼと歩きながらまた首元をいじくり手探りで留め具の部分を探していると、今日の成果に喧しい音が相まって自分がとても惨めに思えてくる。


 しかし、そんな中でも背後から感じる不審な気配を見逃すことはなかった。最後に訪れた裏路地の宝石店を出てからここまで、つかず離れず、一定の距離を保って3人組の男たちが跡を付けてきている。


 ウォルターは肩越しに視界の端で後ろの様子を捉えると、少し歩くペースを速めた。


 どこの誰かはわからないが、3人くらいならなんてことはない。すぐにでも振り返って叩きのめしたいところだ。だが、運が悪いことに見渡したところには水場がない。小川のようなものもなければ、バルトサルバイと違って街の真ん中に噴水もない。


 さすがにこの状況で戦おうとするのは無謀だ。ウォルターは疲弊こそしていたものの、状況判断は冷静だった。


 そのまま後ろは振り返らないように辺りを見回しながら歩いて行く。少し先に路地を見付けると、それ以外の場所には目もくれず一直線に突き進んだ。


 路地に入り、一瞬後ろを振り返って誰も居ないことを確認すると、一気にスピードを上げて反対側まで駆け抜ける。


 「逃げたぞ!」

「追いかけろ!!」


 数秒と経たないうちに後方からそんな野太い声が聞こえてくる。


 次第にバクバクと心臓の鼓動が大きくなっていくのがわかったが、そんなことはお構いなしに足を動かし続けた。


 路地を抜けた先で右に曲がり、少し進んでまた路地に入る。それを3度ほど繰り返していると、まばらながらも人々が行き交うこの街のメインストリートに行き着いた。


 辺りをぐるりと一周見回して、さっきの3人組が追ってきていないことを確認すると、ゆっくりと店か何かの壁際に寄っていき、そこに手を突きながら地べたに腰を下ろした。


 彼らはなんだったのだろうか。素性も目的もわからないが、少なくとも友達になれそうにはない雰囲気だったことは間違えない。


 「なんか……やばい依頼引き受けちゃった……?」


 ぜえぜえと肩で息をしながら、ボーッとする頭で必死に考えを巡らせる。宝石商が雇っている用心棒か、首飾りの行方に関わる犯罪組織か、はたまた金持ちを狙ったただの強盗か。


 息切れのせいで霧のかかった脳が、次第に晴れていくのがわかった。しかし、だからといってすぐに真相に気づくことなどできない。


 気づいたことと言えば、こんなことを考えたところで一銭にもならないということだ。彼らが誰であろうと、首飾りを無事に取り戻すことが依頼であることは変わらない。


 今度会ったときは、叩きのめして正体を明らかにし、手掛かりを持っていればそれでよし。もしそうでなくても、付き纏われないようになればそれもよし。


 ウォルターはそれ以上考えることはやめ、そのまま息が整うのを待った。そのままボーッと足下の石畳に視線を落としていると、その視界の中に少し踵の高いサンダルを履いた両足が現れた。


 鮮やかな真紅のペディキュアで彩られた爪と、か細く、そして白いふくらはぎがそれが細身の女であることを容易に想像させる。


 ゆっくりと顔を上げると、想像通り……いや、想像以上に美形の女が心配そうな表情でウォルターの顔を覗き込んでいた。


 年齢は20代半ばだろうか。色白ではあるが、肌にハリと艶があり健康さを感じさせる。舞台女優かと見まがうほどに整った顔に、ウォルターは思わず目を奪われる。


 すると、細い顎の少し上にあるぷっくりとした唇がゆっくりと動いた。


 「きみ大丈夫?なにかあったの?」


 そんな澄んだ優しい声に耳がくすぐられるような感覚を覚える。


 「めちゃくちゃじゃない」


 そう言って、女はウォルターのストールに絡まったネックレスに手を伸ばした。時折手が首に触れ、くすぐったくなり身をよじる。


 「もう、動かないの」


 吐息が肌に触れて、まるで力を吸い取られているかのようにどんどん体の力が抜けていく。


 体力はある方だが、疲れ果てた中で全力疾走したせいだろうか、美女の色香に包まれて心地よさと脱力感に襲われるが、意識がなくなりそうになるのを必死に堪えた。


 「よし、とれた」


 女はそう言ってウォルターの眼前に3本のネックレスをじゃらじゃらと垂らしてみせた。首に巻き付いていたものがとれた文字通りの開放感を感じながら、ウォルターは昼頃以来に拝むネックレスの宝石の姿をぼんやりと見詰める。


 「何があったか知らないけど、こんなとこで寝てたら風邪引くよ」


 そうだった。完全に日が暮れる前に泊まるところを探さなければ。いや、その前にまずこの女性にお礼を言わなければ。


 ちゃんと働かない頭で今やることを決める。だが、肝心の体が言うことを聞かず、声を出すことすらままならない。


 そんなウォルターの耳元で女がささやく。


「立てる?」


 ウォルターは力を振り絞って首を1度だけ右に左に振った。


 「そう」


 すると女はそう言ってニッコリと笑う。そして、おもむろに立ち上がり、首からほどいたばかりのネックレスを手慣れた様子で自身の首に付けると、優しくウォルターの肩に手を添えてその場に寝かせた。


 僅かに残された体の感覚で捉えることができたのは、パタンと自身の体が倒れる音と、頬に感じるひんやりとした石畳の感触。そして、視界に映る手を振りながらきびすを返す女の姿だった。


 「じゃあこれ、貰っていくから。風邪引かないようにね」


 一瞬の間の後に、ウォルターは自分の身に何が起こったのかを理解した。だが、立ち上がって追いかけようとしても体に力が入らず、体が地面から離れることはなかった。


 どうやら比喩ではなく、本当に力を吸い取られたようだ。ウォルターは、薄れゆく意識の中で、しゃなりしゃなりと歩いて行く女の綺麗な背中を呆然と見送った。





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