第14話:束の間よりも短い昼
昼時を過ぎたということもあり、食堂のテーブルはガラガラで、仕事から帰ってきて遅めの昼食を摂る者が片手で数える程度と、酒を飲んで昼寝をする者が約2名居るくらいだ。
「サンドイッチを頼む」
「そろそろだろうと思って作っといたぞ」
注文を聞くや否や、アイクはカウンターの後ろからサンドイッチが盛り付けられた皿を取り出してダイの目の前に置いた。
「しかし、今日もそんなんで本当に足りるのか?」
「食ってる時間が惜しい」
ダイはそう言いながら、そのまま座りもせずにサンドイッチを手に取って口に運ぶ。
「大変そうだな」
他人事のようにポツリとそう呟くアイクに、ダイは思わず咀嚼を止め、何か言いたげな顔を向けるが、なんとかそのままサンドイッチと一緒に腹まで飲み込んだ。
その後、ものの2分程度で皿に盛られていたサンドイッチをすべて平らげると、最後にグラス一杯に注がれた水を一気に飲み干してその場を後にした。
再び事務室に戻ると、相変わらず聞こえるだろうと思っていたそろばんの音が止んでおり、ペラッという紙をめくる音が聞こえる程静かになっていた。
ダイは部屋の奥の方まで歩いて行き、少し気の抜けた様子で椅子に体を預ける、ウェーブの掛かった黒髪を後ろでまとめた女の横に腰を下ろした。
「なあハルシャーさん。ランドルがなんかやらかしたって知ってたか?」
ダイが溜息をつきながらそう尋ねると、その女――ハルシャー――は、あー。と杉石のような目を細め、心底面倒くさそうな様子でながら答える。
「先月、丁度きみが席を外してるときにあの子が警察を連れて帰ってきてね、事情は直接聞いたわ」
「それを知らせてくれなかったのは……?」
理由の予想は大方ついている。それどころかほぼ確信していたが、ダイはあえて口に出して尋ねた。
「そのとき丁度マスターが居てね、ダイが聞いたら怒るだろうから黙っとけってマスターが」
そんな寸分違わず予想通りの返答に、思わずため息がこぼれる。
確かに、そのとき聞いたら間違いなく怒っていただろう。だが、事実を知った今とてそれは変わらない。今すぐにここに呼び出してじっくり話を聞いてやりたい。
しかし、それをする理由は自身の溜飲を下げたいからではない。
信頼というものは短時間では築くことはできない。しかし、それを崩すことは比べものにならないほど容易だ。だから、無駄に信頼を損ねるような行動を慎むようにと言っているだけのつもりだ。
「ほんと、
「でも、それがマスターのいいところ。でしょ?」
ダイはすぐには首肯しなかった。だが、それと同時に否定することもできなかった。確かに、その優しさに救われた人も少なくない。現にダイ自身もそのひとりだ。
しかし、大人として未熟な彼らの成長のことを考えると、その対応は甘過ぎると感じざるを得ない。たまにで構わないから、こうやって汚れ役を買って出ている方の身にもなって貰いたいものだ。
とは言え、それをいくら心の中で毒づいていても仕方がない。ダイはゆっくりと立ち上がる。
「私も休憩は終わりにしようかな」
「タバコ吸ってきていいよ。こっちの承認作業がまだ終わってないし」
ダイはそう言うと、ハルシャーの肩をポンと叩いた。
「そう?それじゃあ、お言葉に甘えて」
心なしか軽くなった足取りで外へ行くハルシャーを見送り、ダイは再び定位置に腰を下ろす。そして、机の右角に綺麗に積まれた束の上から紙を1枚拾い上げ、真ん中に置いた。
その紙面に書き入れられた綺麗な字を上から順に指でなぞりながら目を通していく。
"日付:1957.9.30
氏名:レーゼ・ベラートン
番号:5321002
目的/用途:受諾業務に伴う移動費 バルトサルバイ時計通り→ユーブリフ村、ユーブリフ村→バルトサルバイ時計通り
金額:86シュムーク"
そう書かれた下の方に領収書が2枚貼り付けられている。ダイはその内容も併せて確認すると、紙の最下部に自身のサインを入れ、大木が描かれた紋章の印鑑を押した。
定期的に同じ依頼を受けているおかげで、まったく同じ内容で何度も経費申請書を出すハメになっているが、レーゼはそのたびにこうしてキチンと不備なく提出してくれている。
当たり前と言えば当たり前だが、その当たり前をやってくれるのがダイにとっては非常にありがたかった。
他の連中も全員そうしてくれればどれだけ楽か。ダイは心の底からそう思いながら承認した申請書を反対の角に移動させ、また束の上から1枚拾い上げて机の中央に置いた。
そして今度は、しっかりと目を通すまでもなく足下に置かれた郵便受けほどのサイズの木箱に放り込む。
一体どこのどいつだ。領収書を貼り付けただけの白紙を入れたのは。時々こういうのが紛れ込んでいるからいちいち細かく確認しなければならなくなるのだ。
今みたいに一目でそれとわかるものならまだマシだが、名前と番号が不一致だったり、関係ない出費にまで経費申請していたり、明らかに遠回りをしていたり、バラエティーに富んだ面々の相手をしていると時間も然る事ながら、自分の中のもっと大事な何かまで浪費しているような気分になる。
ときどき事務仕事を投げ出して以前のように外を駆け回りたくもなるが、周囲が信頼して今の仕事を任せてくれた以上易々とそうするわけにはいかない。
無責任に生きる人生も羨ましく思えるが、そんな人生を送ろうとする自分を、どうやら自分自身が許してくれないようだ。
気が付けば、両方の目と手がまた机に向かっていた。
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