第13話:憂鬱な午後






 数年同じサイクルで時間を過ごしているせいだろうか。空腹感を覚え机の上に置かれた時計に目をやると、きっかり13時40分の位置に針が止まっていた。


 ダイは口を押さえ、控えめにあくびをすると、手に握っていたペンを机の上に置いて帳簿をゆっくりと閉じる。


 この時間帯はさすがに働かない酒飲み共の声も事務室までは漏れてこず、耳に入るものといえば他の事務員が部屋の奥のほうで弾いているそろばんの音

くらいだ。


 この静かな時間がいつまでも続いてくれといつも願っているが、現実は労働者にそう優しくはしてくれない。


 「入りますよ~」


 コンコンという扉を叩く音と共に、まだ声変わりを迎える前の少年のような声がそう告げると、ダイが返事することを待つことなく扉が勢いよく開いた。

 「入っていいなんて言ってないぞ」


 ダイがボソリと呟いて視線を扉の方へ移すと、まだ扉の前にあると思っていた少年の姿は既にダイの目の前にあった。よっぽど風が強かったのだろうか。ぐしゃぐしゃになった髪の毛がダランと垂れ下がり、邪魔そうにしているのがよくわかる。


 座っているダイと丁度同じくらいの背丈のその少年は、自身の赤みがかった黄色い髪を手で整え、隠れていた額を露わにすると、まぁまぁ。と動物でもなだめるように言いながらダイの向かいに置かれた椅子に腰を下ろした。


 「座っていいとも言ってないぞ」

「そんなケチなこと言わないでよ」


 ダイの再びの呟きに、その少年――ソウ・ラウフ――は鋼玉のような目をパチパチと開閉させながら15歳という年相応の子供らしくニコニコと笑う。


 「ケチとかそういう話じゃなくて、俺は最低限の礼儀作法の話をしてるんだ」


 ダイは本人のためを思ってそう諭すも、そんなことなどお構いなしに、ソウは肩から斜めに掛けているメッセンジャーバッグの中に手を突っ込み、かき混ぜるようにその中を探る。鞄はソウの小柄な体には不釣り合いなほどに大きく、今の姿はさながら肉食獣に片腕を食われているかのようだ。


 「あったあった」


 ソウは獣のはらわたから腕を引き抜くと、嬉しそうにそう言って机の上に1通の封筒を置いた。ダイはそれを手に取ると、中央に施された紫色の封蝋に目を落とす。


 「またかよ……」


 大きくため息を吐くと、ゆっくりと机の引き出しを開けた。


 恐らく生まれたときは鏡のように輝いていたのだろう。そんな予想が辛うじてできるぐらいの面影だけを残し、先端から持ち手に至るまで薄黒くくすんだペーパーナイフを取り出すと、封筒の上辺にあてがった。


 「今日はなんだろうね?」

「何。というか、誰。というか……」


 丸々とした鳥の紋章が入った紫の封蝋は内務省から送られてきたものであることを意味する。


 これがただの文通なら良いのだが、そんわけがあるはずもなく、大抵は所属する神術士の振る舞いに対して改善を促す内容の文書である。


 恐らく今回もそうなのだろう。最近の出来事を思い返してみると、どうしたって心当たりしかない。


 割いた封筒の口を広げて中身を取り出すと、曲がった鉄板を手で真っ直ぐに戻すかのように重々しく手紙を開く。


 今日は一体誰に対するお小言なのだろう。一昨日のホムラの放火がお上の耳に届くにはまだ早いだろうし、ウォルターの人間違いは3日前にお叱りを受けたところ。となれば、ナルカの巻き添えか、メイの現場荒らしか。


 可能性を頭の中で列挙するだけでも目眩がするのに、このあと反省文を送り返さねばならないと思うと、このまま破り捨ててしまいたくなる。


 そう言えば、アイクの飼ってる鷹がメスの郵便鷲ゆうびんわしにちょっかいをかけて、1日速達便の配達を滞らせたこともあったか。


 たまにはお褒めの言葉が載ったものであってくれと、叶うはずもないことを願いながら、ダイはようやく手紙の文面に目を落とした。


 "貴団所属神術士の業務中に発生した下記の事象について、詳細の報告書の提出、および、再発防止措置を講ずることを命じる"


 そんな見慣れた冒頭の定型文をさらっと読み飛ばし、本題が書かれている手紙の中央に視線を移す。


 "発生日時:人歴じんれき1957年9月26日

  発生事象:指名手配者の身柄拘束に際し行使した神術によって近隣の住居に対して家屋損壊等の損害を与えた

  当該神術士:番号5511038 氏名ランドル・シュトラウス"


 ダイはそれを見た瞬間、驚きのあまり目を見開くと、すぐに目を閉じて自分自身をなだめるように、すーっと息を吐いた。


 「じゃ、僕もう行くね……」


 このままここに居るとこっちまで飛び火を食らいそうだ。ソウはそんな予感を感じ、逃げ出すようにこの場を後にした。


 すると、辺りは再びそろばんの音だけを残して静寂に包まれる。


 それも束の間、静寂に包まれた部屋にグシャッという音が鳴り響いた。そして、ダイが力なく徐に立ち上がる。


 「昼食ってくる……」


 この声が奥まで届いているかどうかなど気にすることもなく、ダイは気を抜くとそのまま倒れてしまいそうなほど重苦しい足取りで大広間への扉を開ける。


 すると、丁度その瞬間猫のように体を伸ばしながらあくびをするホムラの後ろ姿が視界に飛び込んできた。


 「おい、ホムラ」


 背後から突然声を掛けられたホムラは、これまた猫のように飛び上がると、さも気など抜いていない言わんばかりに口をキュッと結んで、慌ててダイの方に向き直った。


 怒られると思っているのか、ホムラのその表情は少し強張っているように見える。


 そんな様子にダイは申し訳なさを感じながら、怒りに来たわけではないことを印象づけるため、意識してゆっくりと口を開いた。


 「今日ランドルは来たか?」

「え?来てないけど……」


 ホムラは肩透かしを食らったような様子でそう答える。


 「あいつが来ても絶対に仕事を紹介するなよ。絶対だぞ」


 ホムラの鼻先に人差し指を突き立てながらダイがそう言うと、ホムラは理解したというよりも勢いに押されたといった様子で首を縦に振った。


 普段なら本当にわかったのか念を押して確認するような反応だったが、不思議と今日は言うだけ言って満足してしまい、ダイはそのまま食堂の方へ歩みを進めた。





  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る