第12話:巻かれた煙はバターの香り






 「う~ん……」


 ホムラはカウンターの上にダランと体を投げ出してそんな唸り声を上げた。一時はギルドメンバーに依頼人にとひっきりなしだったが、昼前になると暇そうなギルドメンバーで賑わっている食堂とは裏腹に、受付に誰かが訪れることはなく、聞こえてくる騒がしい声がかえって寂しさを感じさせる。


 忙しかったときは心の底から求めていた"暇"だったが、いざそのときが来てみると退屈極まりなく、先ほどまでとは反対に早く人が来ないかと望んでいる不思議な状態に陥っていた。

 

 「暇そうだな。こっち来て一緒に飲めよ」


 昼間っから酒をがぶ飲みするギルドメンバーのそんなガヤも聞こえてくるが、生憎はまだ酒が飲める年齢には達していないし、そもそも彼らとは違って現在進行形で仕事をしている。


 「そっちこそ働きに行ったら?一杯依頼来てるよ」


 ホムラはカウンターに体を預けたまま唇を尖らせる。しかし、ガハハと笑う声が聞こえてきただけで、一向にその場から動こうとする素振りは見えない。


 思えば、彼らはいつでもそこに座ってジョッキに顔を突っ込んでいた気がする。昨日までは何の気なしに見ていた光景だったが、受付の中から見るとこうもだめな大人に見えるか。


 ああはならないようにしっかり働こう。ホムラはダランとしながらも心は引き締め、食堂の方へし冷ややかな視線を向けた。


 しかし、そんな風に背伸びしてみたからといって暇が潰れることはない。むしろ、大人たちがそれっきりホムラに何も言ってこなくなり、ますます退屈が押し寄せてくる。


 ホムラは気を紛らわせるために幾度となく目を目を通した台帳に再び視線を落とすと、パタパタと意味もなく開いたり閉じたり繰り返す。


 恐らく自分だけにしか聞こえていないであろう無味乾燥した音も、すぐに食堂のしゃべり声に飲み込まれ、手元には虚しさだけが残った。しかし、ホムラはそれでも手を止めることはない。何故なら、これ以外にできることがないからだ。


 「何してんの?」


 不意に意識の外から飛んできたそんな声に、ホムラは思わず体をビクッと跳ね上がらせる。すぐに顔を上げると、そこには可愛らしく首を傾げるレーゼの姿があった。


 「暇で死にそうなんだよー」


 ホムラは台帳を閉じると、泣き言のようにそう喚いてカウンターの上に突っ伏した。


 「お昼過ぎたらまた人来と思うるし、今のうちに何か食べたら?」


 レーゼのそんな声を受けて、上体を起こして時計の方へ視線を移すと、時刻は11時半を少し過ぎていた。普段なら昼食にはまだ早いが、慣れないことをしているせいか今日は特別空腹感が強い。


 「私も今からだし、よかったら一緒にどう?」

「うん。行く行く」


 ホムラはゆっくりと立ち上がると、カウンターから出てレーゼとともに食堂の方へ歩いて行く。騒々しい連中が居るテーブル以外は人もまばらで、今ならゆっくり食事できそうだ。


 空いたテーブルを一瞥して座る場所に当たりをつけると、そのまま壁の方まで歩いて行って食堂とキッチンを隔てるカウンターの前で足を止める。


 カウンターの前には縦長の小さな黒板が立て掛けられており、白いチョークで今日食べることができるメニューがずらっと書かれている。オムライス、パスタ、ステーキ、サンドイッチなど8割方はいつ来ても注文できるメニューだが、残りの2割はその日の仕入れや料理当番によって違っていることが大半だ。


 本日のおすすめは"白身魚のソテー(スープセット)"のようで、黒板の一番上に花丸付きで書かれていた。


 「今日の当番って誰だっけ?」

「今日は確か、アイクだったと思うよ」


 ホムラの問いに、レーゼは間髪入れずにそう答える。すると、それが聞こえていたのか、キッチンの奥からひとりの男が顔を覗かせ、カウンターの前までやってきた。


 「呼んだか?」


 その焦げ茶色の髪のトップ以外を刈り上げ、側頭部に稲妻のような剃り込みを入れた青年――アイク・ゲフール――は、そう言ってカウンター越しに向かい合う2人の顔を順に見回す。


 チカチカと輝きを放つ透明な石のついたピアスを耳たぶに連ね、首から上はいかにもヤンチャそうな風貌だが、ひとたび下に視線を移すと、右胸のあたりにデフォルメされた猛禽類のアップリケがあしらわれたピンクのエプロンが目に付き、その出で立ちには思わず違和感を覚えるほどのギャップを感じさせられる。


 「今日はいいの入った?アイク」

「ああ。珍しくバイドラードが手に入ってな。時期的にちっと脂は少ないが、味はしっかりしててソテーにしたら美味いぞ」


 嬉しそうにそう語るアイクの言葉通り、ホムラはバイドラーデの味を想像する。すると、空腹感を刺激され、口の中には自然とよだれが溢れていった。


 「それじゃあ、ソテー貰おうかな」

「パンかライスどっちがいい?」

「じゃあパンで」

「あいよ」


 想像だけでよだれを垂らすホムラをよそに、レーゼは既に注文を済ませて空いてる席に腰を下ろす。


 ホムラはしばらくしてそれに気づくや否や、慌ててよだれを飲み込んでアイクの方へ向き直ると、その虎目石のような目を見詰める。


 「ホムラはどうする?」

「私も同じのちょうだい」

「あいよ。できあがったらテーブルまで持ってくから、座って待ってな」


 ホムラは、うん。と大きくと頷くと、きびすを返してレーゼの座る向かい側の長椅子にゆっくりと腰を下ろした。すると、テーブルの上で両手で頬杖を付いていたレーゼはニコニコしながらホムラを見詰めて口を開いた。


 「新しい仕事はどう?」

「忙しかったり暇だったり大変だよ。それに、慣れないことばっかだし」


 ホムラはテーブルの上でダラッと上体を伸ばしながらそう言った。すると、レーゼは口元を引き締め、少し心配そうな視線を送る。


 「しばらく続けられそう?」


 やりたいかやりたくないかで言えば、はっきり言ってやりたい仕事ではない。わからないことだらけだし、ずっと受付の中で体を動かすこともできない。そのうち、この生活が当たり前になってしまい、神術士として働けなくなるのではないかという不安もある。


 「わかんない」


 一番に出てきた言葉はそれだった。それに対しレーゼは眉をひそめ、ますます心配そうな顔になるのが目に見えてわかった。


 何か掛ける言葉を探しているのだろうか。レーゼはホムラから少し視線を外し、唇を軽くかみしめた。

 思い返せば、落ち込んだときレーゼはいつも優しく言葉を掛けてくれていた。


 「でも――」


 だが、先に口を開いたのはホムラの方だった。


 "働いてお金を貰うということは責任が伴う"ミカルがそう言ったように、今自分は責任を担っている。その最低限の責任くらいは果たせないと自分のプライドに傷が付く。


 そして何より、いつまでもみんなの優しさに甘える子供のままでいたくない。ホムラは心の奥底からそう思った。


 「取り敢えず頑張れるだけ頑張るよ」


 ホムラはそう言って、不思議と自信に溢れた笑顔をレーゼに向ける。


 取り敢えず。そんな行き当たりばったりの意気込みがあるだろうか。ホムラは自分で言って恥ずかしくなり、徐々に頬を紅潮させた。


 しかし、意外にもそんなホムラの姿にレーゼは少し安心した様子を見せ、またいつものような柔和な表情でニッコリと笑った。


 「嫌になったらいつでも相談してよね。私からダイに言ってあげるから」

「ありがと」


 レーゼのその優しい笑顔に、ホムラは何度となく救われてきた。また辛いことがあっても、この顔を見れば挫けずに頑張れるだろう。


 ホムラはレーゼの顔をジッと見詰めると、今日半日で何度も引き締めた気持ちが、ゆっくりとほどけていくのを感じた。


 次第に顔まで緩んでいくのが自分でもわかったが、だからと言ってわざわざ引き締め直すことはしなかった。


 しかし、ふとした瞬間、ホムラは何かを急に思い出した様子で猫の目のように表情を一変させる。


 「そうだ。レーゼってさ、ダイが神術使ってるとこって見たことある?」


 藪から棒に飛び出したそんな問いに、レーゼは一瞬目を丸くするが、すぐに元の表情に戻って答えた。

 「あるよ」


 数時間前に一度胸にしまった疑問だったが、ミカルの言った通りレーゼの口からダイのことを聞けると、ホムラは期待に胸を躍らせる。


 「どんな力なの?」

「私と同じような感じ」

  

 レーゼと同じような神術ということはつまり……

と、いくら頭を捻ってみても、ダイが神術を使っているその光景は頭に浮かんでこない。


 それもそのはず、本を正せばそもそもレーゼの力も知らないのだから。


 「レーゼってどんな神術使ってたっけ?」

「ダイと同じような感じ」


 そんなあまりにも予想外の返答に、ホムラは思わず、えー!と声を上げた。


 「どんな力なのか見せてよ」

「やだ。可愛くないもん」


 このまま何を聞いても堂々巡りになりそうだが、どうにか引き出せないものかとあれやこれやと思考を巡らせる。


 しかし、特にこれといって良いアイデアが思い浮かばないまま数分の時が経ち、ホムラはうーんと唸りながらうなだれた。すると、下を向いた丁度その視界の中に、突然一枚の大きな皿が現れた。


 「お待ちどう」


 そんなアイクの声とともに、立ちこめるバターの香りを纏った湯気が鼻を突っつき、忘れかけていた空腹感が呼び起こされる。


 「わ~美味しそう」


 レーゼはそう言って魚が綺麗に盛り付けられた皿に目を落とした。うまく逃げられた気もするが、皿の上の魚は表面がバターでコーティングされて黄金のような輝きを放っており、その香りも相まって、確かにレーゼの言うとおり美味しそうである。


 ダイとレーゼの謎も気になるところではあるが、この料理を前にしては、とてもじゃないが敵うはずがない。


 ホムラは観念した様子でレーゼに視線を送った。

すると、レーゼはホムラの方を見返して小さく頷く。それを合図に、ホムラとレーゼは同時に手を合わせた。


 「いただきます」





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