第11話:鮮烈な雷(あるいは、見えないかみなり雲)
クラインミア王国南東部ミーティシャバルト領、そのほぼ中央に位置する都市グローフムター。
シュピールプラッツのある街から馬車で5時間ほどの距離にあるこの街は、樹齢3000年とも言われる大木を取り囲むように都市が形成されており、約8万の人々がその木陰の下で生活を送っている。
そんな街の北端から中心部にかけて一直線に走る大通り、その側端に設けられた停留場に1台の馬車が停まる。
「着いたぜ姉ちゃん」
御者はやや荒っぽく客車のドアを開けると、頬杖をつきながら椅子に座るナルカに向かってそう告げた。
それを聞いてナルカは両脚をポーンと外に投げ出すと、差し出された御者の手を無視し、石畳で綺麗に舗装された道へゆっくりと降り立った。
大木のおかげで日陰の多いこの街ではあるが、停留所があるこの場所は、昼を過ぎて溢れんばかりに日の光が降り注いでいる。
その光は馬車の中でウトウトしていた身には必要以上に眩しく、ナルカは外に出た途端思わず顔を手で覆った。
朝イチからギルドで足止めを食らってさえいなければここもまだ日陰だっただろうに。ナルカは恨む気持ちを抱きながらダイの顔を思い浮かべ、想像の中で強力な電気をお見舞いする。
プスプスと煙を上げながら目をバッテンにするダイ。実物もこんな反応をすればもっと面白いのに。
そんなことを考えてひとまず溜飲を下げると、ナルカは手で上手く影を作りながら街の中心にそびえ立つ大木を見上げた。
初めて目にしたときは、それはそれは壮観だった。
「ふぁ~~」
だが、見慣れてしまった今となっては条件反射であくびを引き起こす触媒でしかない。
ひとしきり口を開けて体の換気が終わると、ナルカは御者に運賃を手渡し、指先で涙を拭いながら歩き出した。
向かう先は大木の根元、役所が集まる街の中心街だ。
停留所や宿屋が多い街の端っこから少し南下すると、古びたレストランや出来ては潰れるを繰り返すカフェ、面白みのないアパレルショップなどがあるこの街としてはおしゃれな部類に入る区画に差し掛かる。
ナルカは徐々に端に寄るように歩きながら、道沿いに立ち並ぶショーウィンドウに流し目で視線を送った。
パン屋の中から顔を覗かせるパンたちは、昼時に売れ残ったのだろうか。どこか寂しそうに窓の外の空を見上げているようにも見え、哀愁を漂わせている。
婦人向けのブティックに目を向けると、白いブラウスと深紅のロングスカートをきっちりと着させられたレディ然としたマネキンがこちらを見ていた。
ここに来れば大抵の物は揃うし、景観も整っており、大きくて綺麗ないい街であることは間違いない。
だからこそ、好みの服を売っている店がなかったり、たまに石畳を突き破って顔を出している木の根に躓きそうになることが余計に惜しく感じられた。
「なんだとコラァ!?」
突如聞こえてきた怒号。これもこの街で惜しいところのひとつだ。
このグローフムターという街は、数百年前に大木を守っていた木こりの集団が興した街であり、林業と共に発展してきたという歴史を持つ。
大都市となってからは外からの移住者も増えてはいるが、いまだに先祖代々この街で生まれ育ったという住人も少なくはない。
木こりの血が流れる彼らは、普段はおおらかでのんびりとしているが、1度火が点いてしまえばどちらかが立てなくなるまで殴り合うような人ばかりだ。
「いつから肉じゃなくてゴムを売るようになったんだって聞いてんだよ!!」
どうやら 肉屋とその客の喧嘩のようだ。口喧嘩くらいなら変に関わらないでおこうと、ナルカは前方に見える怒鳴り声を上げる男たちからなるべく視線を逸らそうとした。
その瞬間、客の男が肉屋の肩口を手で勢いよく押す。
押された肩が店の壁にぶつかり、ゴンという硬い音を響かせると、それが試合開始の合図かのように肉屋も客も胸の前で拳を構えた。
「ウチで売ってるブタと同じ目に遭わせるぞゴラァ!?」
「やれるもんならやってみやがれこの野郎!!」
「上等だこの野郎!」
両者ともにファイティングポーズをとった状態で始まった怒号の応酬はどんどん激化していき、しまいには、もはやどっちが何を喋っているのかもわからないような声の張り上げ合いになっていた。
かと思うと、次に聞こえてきたのは、ドスッっという石の壁よりは柔らかいものに何かがぶつかるような音だった。
とうとう殴り合いの喧嘩が始まったようで、鈍い音と怒声のハーモニーに近くに居た人も、この喧嘩を一目見ようとわらわらと集まってきて、半円状に2人を取り囲んだ。
ナルカはその様子にも呆れながら、瞬く間に完成した決闘のリングの横を通過する。
その際に、人々の隙間から喧嘩をする2人をチラッと伺うと、ナルカは思わず目を見開いた。
ナルカの目に飛び込んできたのは、先ほどまで丸腰だったはずの肉屋がその手に巨大な肉切り包丁を握り、客の男に向かってブンブンと振り回している光景だった。
客も客で逃げればいいものを、あろうことか両手を広げて包丁を挟んで受け止めようとする構えを見せている。
それはいくらなんでもマズいだろうと、ナルカは人垣をかき分けて2人の傍に近づいた。
すると、頭に血が上っている割に周りが見えているようで、2人はすぐにナルカの存在に気がつき、口を揃えてまた怒鳴り声を上げる。
「「何だお前!!」」
ナルカの想定に反し、2人に存在を知らせるためにわざわざこちらから声をかける必要はなかったが、何を言っても聞く耳を持ちそうにない様子なのは予想通りだ。
ハナからこういう反応なら、説得を試みる手間が省けて助かる。ナルカは何も言わずに黙ったまま、何かをかき集めるように何もない顔の前で仕切りに右手を動かした。
「なんとか言えってんだよ!」
そんな怒鳴り声もどこ吹く風と、ナルカは目を閉じて全身に集中を向ける。
そして、自身の頭頂部付近に生えた髪の毛の先が少し逆立ったのを感じ取ると、再びゆっくり目を開けた。
「なんとか」
ナルカはとぼけた様子でそう言うと、右手を思いっきり振りかざす。
するとその瞬間、バチッという大きな音ともに2人の男に向かってふた筋の閃光が勢いよく飛んでいったかと思うと、突如時間が止まったかのように男たちが上げていた怒鳴り声がピタッと止んだ。
一瞬の間の後に辺りはシーンと静まりかえる。ナルカはその静寂の中でブーツの靴音をコツコツと響かせながら2人に近づいていった。
そして、固まったまま動かない2人の目の前まで来ると、ナルカは両手の人差し指を伸ばし、それぞれの額をコツンと突っつく。
すると、男たちはゆっくりと後ろに体を傾かせると、パタンという音を鳴らして地面に倒れ込んだ。
手加減はしたつもりだが、当たり所は悪くなかっただろうか。ナルカは一応身を案じてその顔をのぞき込むと、包丁を握りしめたまま天を仰ぐ肉屋の脇腹辺りにつま先でチョンチョンと触れた。
「ギャフン……」
さっきまで怒鳴って包丁を振り回していた男とは思えないような情けないうめき声に、ナルカは思わず笑いそうになるのをなんとか堪えて、今度は客の男の方にも目を向ける。
「くぷぅ……」
なんだそりゃ。制圧したはずの2人のそんな波状攻撃にナルカは堪えきれずに、ぷふっと吹き出してしまった。
周りを取り囲んでいた人々は、あまりにもあっけない喧嘩の結末にほとんどがあっけらかんとしたしていたが、急に肩を震わせだしたナルカを見て怪訝と恐怖の視線が入り混じったなんとも変な空気に変わる。
後退りしながら人の輪から離れていく者もちらほらと見受けられる中、1人の男が人々を押しのけてナルカの背後に立った。
「姉ちゃん、あんたもしかしてインバイスで"鮮烈な雷"って呼ばれてる神術士か?」
「なに?あの新聞まだそんな風に呼んでるの?」
インバイスといえば、この国に流通する二大大衆紙のうちのひとつで、時折世間からの強い批判に晒される神術士に対して常に好意的な論調で取り上げてくれる稀有な存在である。
そのことから神術士の間では自分たちにとって都合の良い新聞であるという風潮があり、ナルカ自身もそう認識している。
しかし、その紙面上で付けられる二つ名は、キャッチーさばかりを追い求め、本質とはかけ離れたものばかりでナンセンスであると言わざるを得ない。
だが、そのおかげでこうして自分の存在を知ってくれている人たちに対してそれを口に出すのは野暮というものだろう。
ここは"鮮烈な雷"の名に恥じぬように格好よく去ってやろう。そう思い、ナルカはこちらを向いた人々の視線を意に介さず、涼しい顔でゆっくりと本来の目的地に向けて歩き出した。
しかし、完全に人混みから抜け出し、さらに1歩足を踏み出したその瞬間、突如脳の片隅にあった記憶が呼び起こされ、頭に電流が走る。
何故こんなに大切なことを忘れていたのだろうか。何故馬車から降り立った時点で違和感を感じなかったのだろうか。そんな後悔を頭に浮かべながら、自身の犯した過ちが何たるかを自らに思い知らせるように、ナルカはポツリと呟いた。
「馬車の領収書もらうの忘れてた……」
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