第10話:無邪気な未来
笑顔でウォルターを送り出したホムラは、新しい仕事をまた1つやり遂げた喜びに浸ろうと、また台帳に目を落とそうとしていた。
しかし、朝のこの時間は昨日までに依頼を終わらせた者が、また新たな依頼を受けにこぞってギルドを訪れる時間帯。文字通り書き入れ時である。
十分に喜びに浸る暇などあるはずもなく、列こそなさないものの、何人ものギルドメンバーが順に受付を訪れ、依頼の手続きを行っていった。
序盤こそミカルの助言を受けていたホムラだったが、数をこなす内に取り敢えずの簡単な基本の部分は問題なく行えるようになり、なんとか朝の忙しい時間を乗り切ることできた。
心なしか字も少し綺麗になった気がする。そう思いながら、ホムラはさっき依頼を受けたメンバーの名前を台帳に記入する。
しかし、ペン先を台帳から離すと、それがただの気のせいであることに気付かされた。
相変わらずの歪んだ字に対する落胆と、ようやくひと息つけるという気の緩みから、ホムラは椅子に腰を下ろし、腕を枕代わりにして天板の上に突っ伏した。
「ひとまずお疲れ様」
そんなホムラを見てミカルはそう言うと、台帳を拾い上げてホムラが記入した箇所を確認する。そして、うんうんと何度か頷くと、台帳をもとの場所に戻し、広間の壁際に置かれた大きな置き時計に視線を移した。
「それじゃあ、僕はそろそろ2階に上がるから、しばらく1人で頑張ってね」
そう言いながら、ミカルは天井を指差した。
2階といえば教室のことだろう。もうそんな時間かと、ホムラも時計を確認すると、時計の針は10時まであと10分少々のところを指していた。
「もし何かあったらダイに聞くといいよ」
ミカルはカウンターから出ると、ホムラにそう告げて説教部屋へ入っていった。
そうして、1人残されたホムラだったが、経験上ここからしばらくはあまり人が来ない時間帯であることを知っている。
役人でも訪ねてこない限りダイの助けも要らないだろう。そう楽観視して、カウンターの上で目を閉じた。
しかし、ちょうど瞼が下りきろうかという瞬間に、エントランスのドアについたベルがカランコロンと落ち着いた音を響かせた。
それでも目を開けることなくじっとしている、突如ホムラの耳にホムラの名を呼ぶ声が飛び込んでくる。
「あれ〜?ホムラ姉ちゃんだ〜」
小さな体躯であることが窺えるような少し甲高い声を受けてホムラは仕方なくゆっくりと目を開けると、眼前には赤、青、緑といったそれぞれカラフルな髪の毛から鼻先までをカウンターから覗かせた3人の子供たちの姿があった。
ホムラは驚いて僅かに体を跳ね上がらせる。だが、それがよく見知った顔であることがわかると、その頭に手を伸ばし順番に撫でていく。
「みんなおはよっ」
「おはようございます!」
3人揃ってゆっくりと、されど元気あふれる口調で挨拶する姿に、ホムラは愛らしさを感じて自然と口元を綻ばせた。そして、ひと通り撫でたところで、カウンターの前にいる3人から少し離れたところに冷めた表情で佇む2人の子供にも目を向ける。
「2人もおはよっ」
「おはようございます」
こちらの2人は前の3人とは違って落ち着いた口調で挨拶を返した。
この2人のことも撫でてやろう。ホムラはそう思って椅子から腰を上げようとする。その瞬間、2人はホムラのほうをジッと見て呟いた。
「てか、なんでホムラ姉ちゃんがそこに居るの?」
「"させん"ってやつ?」
本人たちには悪気など微塵もないのだろう。だが、ホムラが今1番言われたくない言葉、その上位2つを見事に2人揃って口にしてしまった。
ホムラは立ち上がろうとして浮かしかけた腰を再び椅子に下ろし、がっくりと項垂れる。
その様子に、前の3人は目をパチクリとさせ、お互いに顔を見合わせた。
「どうしたのホムラ姉ちゃん?」
「な、なんでもない……」
もはや今の自身の気持ちを口にすることすら憚られるほどに心にダメージを負ったホムラは、泣きそうになるのをグッと堪え、震える喉から声を絞り出した。
なんでもない筈などあるわけがないのだが、子供たちはそれ以上追及することはしなかった。それどころか、ふーん。と相槌を打って、早くも興味を失ったような様子すら見せている。
「まぁいいや。そろそろ行くね」
「お仕事がんばってね〜」
子供たちは、そう言ってホムラに手を振ると、階段の方へ駆け出していく。
そのとき見せた、汚れを知らない純真無垢な笑顔は今のホムラには眩しすぎて、その姿を直視することができずに項垂れたまま力なく手を振り返した。
そうして、階段を上がっていく5人分の足音が聞こえなくなると、ホムラは後ろに転けそうになるほど思いきり背中を伸ばし、今度は天井を見上げる。
「左遷……左遷かぁ……」
先ほど言われた言葉がぐるぐると頭の中を駆け巡り、心に重くのしかかる。
午前中だけ何度落ち込んでいるのだろうか。子供たちのように。までとは言わないが、もう少し切り替えの速さが欲しい。ホムラはそう思いながら大きくため息をついた。
考えてみれば、物心ついたときからそうだった。何かをやっているときはそのことで頭が一杯になり、不安に感じることもないが、今のように何もしないときが来るとたちまち失敗のことばかり考えてしまう。それを誤魔化そうとして何か他のことに打ち込んでみるものの、それが終わってしまえばまた逆戻り。いつまで経っても切り替えることができない。
ホムラ自身、それが自分の欠点であるということはわかっていた。だが、わかってはいてもそれに正面から向き合うことができない。今日もまた、他のことに打ち込んで不安を誤魔化そうとした。
「頑張って働いて、早くいつもの仕事に戻ろう」
ホムラはそう呟くと、火傷の傷が残る頬を両手でペシペシと叩いて無理矢理前を向いた。
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