第9話:賑やかな朝






 初めての依頼人を見送ってから少し経っても人の出入りは依然として変わらないが、裏方や業者といったギルドメンバー以外が大半だった顔ぶれが、今は変わって段々と見知った顔が多くなってくる時間となった。


 椅子に腰掛け、食堂で注文した朝食を食べる者や、誰かを待っている様子の者、隅の方で連れと雑談に耽る者など、先ほどよりも騒々しさが増した広間。そのの真ん中で、ホムラは自分が初めて帳簿に記入した欄を恍惚とした表情で眺めていた。


 「おっ、ホムラじゃん」


 突然耳に飛び込んできたそんな声に、ホムラはビクッと体を跳ね上がらせながら顔を上げた。


 するとそこには、襟足が伸びたアクアグリーンのウルフヘアに、床に届きそうな程長いストールを首に巻いたホムラと同じくらいの背丈の少年の姿があった。


 「何見てんだ?」

「わーー!」


 少年がそこに居た驚きや、見られていた恥ずかしさなど、色々な感情が相まってホムラは思わず見ていた台帳を手に取り、目の前にある少年の頭頂部に勢いよく振り下ろした。


 ゴンという鈍い音が響いたかと思うと、少年は頭を抱えてヘナヘナとカウンターの下に沈んでいく。


 その瞬間ホムラは我に返り、勢い余って少しやり過ぎたかもしれない。と、カウンターから身を乗り出して恐る恐る下を覗き込んだ。


 そこでホムラの目に飛び込んできたのは、想像していたよりもずっと近い場所に位置していた少年の頭が、更にこちらに迫ってこようとしている光景だった。


 タイミングが悪いことに少年は立ち上がろうとしており、このままでは頭突きをもろに受けることになるだろう。今の状況とこれから起こるであろうこと、ホムラは一瞬のうちにその両方を理解した。だが、それが起こるのもまた一瞬であった。


 結局回避することは出来ず、迫り上がってきた少年の頭はそのままホムラの顔面に直撃し、再びゴンという鈍い音を響かせた。


 カウンターから身を乗り出していたホムラは、衝撃を受けてフラついた拍子に、腰を支点に半回転しながらカウンターの外へと落下する。


 「ぐえっ!!」


 落ちた先が丁度少年の背中だったようで、ホムラ自身はそれほど背中に衝撃を受けなかったが、その代わりに少年の悲痛な声が広間中に響き渡った。


 ここまでカウンターの中で後ろを向いて引き出しの整理をしていたミカルは、それを聞いてようやく後ろを振り返る。


 さっきまで受付に居て、声もしていた筈のホムラの姿がなくなっていることに気が付くと、ホムラのように身を乗り出すことはせずに、体を少しだけ前に傾けてカウンターの下を見下ろした。


 そして、うつ伏せに倒れる少年の背中の上に仰向けのホムラが重なっているという惨状を目にしたミカルは首を傾げながら呟いた。


 「ほんと仲良いね2人とも」

「別に好きでやってるわけじゃないよ」


 ホムラはぶつけた鼻を押さえながらゆっくりと上体を起こした。すると、下でぐったりと倒れている少年が、うぅ。といううめき声を上げたかと思うと口を開く。


 「お、重い……」

「重いって言うな!」


 ホムラは思わず声を荒げるが、自分が少年の腰の上へ馬乗りになっていることに気が付くと慌てて立ち上がり、バツが悪そうにカウンターの中へと収まった。


 少年はホムラが退いたことで軽くなった体をヨロヨロと起き上がらせると、カウンターの天板から顔の上半分だけを覗かせるホムラに何か言いたげな表情で橄欖石のような瞳を向けた。


 「い、いらっしゃいウォルター」

「今更何事もなかったかのように仕切り直そうとしたってそれは無理っしょ」


 アクアグリーンの髪の少年――ウォルター・ヴァルテル――は、ぶつけた頭頂部をさすりながら、クスクスと笑い声を漏らした。


 すると、恥ずかしそうにしながらも、つられてホムラも笑いだし、今の今までドタバタと騒いでいたのが嘘のように、辺りは一瞬にしてほのぼのとした空気に転じた。


 それ自体は結構なことだが、このままいつも通りの雑談でも始める雰囲気にでもなられたら仕事が進まないので、ミカルは2人に割って入るように声を上げる。


 「やあ、ウォルター。今日はどんな仕事をお求めだい?」


 ミカルがそう尋ねると、ウォルターは悩むことなく即答する。


 「内容はなんでもいいから、報酬がいい依頼がいいなー」


 それを聞いて、ミカルは要望に添った依頼があったか記憶を辿る。そして、すぐに心当たりがあったようで、ホムラの視界に入るように台帳を指差した。


 「1番新しいページから2ページ戻って、右側の上から4つ目のやつを読んであげて」


 ホムラは、ミカルの言ったとおりに台帳のページを捲り、該当の箇所を指でなぞりながら声に出して読み上げた。


 「使用人に盗まれた妻の首飾りを取り戻していただきたい。使用人は逮捕されたが既に売り払われたあとで、警察にはどうすることもできないらしい。首飾りは私にとっても大切な物だ。買い戻すのにかかった費用は報酬に上乗せさせていただく」


 だってさ。と、ホムラが最後まで言い切るよりも早くウォルターは立ててあるペンを手に取り、とっととよこせと言わんばかりに天板の上を指でトントンと叩く。


 それを見て、ミカルは壁にあるコルクボードに貼り出された依頼書を剥がしてウォルターの前に差し出した。


 すると、ウォルターはそこに書かれた報酬金額を目の当たりにし目を輝かせ、迷うことなくペンを走らせて名前を記入した。


 「ダイのとこ行って金借りてくる♪」


 満足な仕事にありつけたようで、ウォルターは上機嫌な様子でそう言って、受付の横を通って説教部屋のほうにしゃなりしゃなりと歩いて行く。


 ホムラは、そんな姿を何も思わずに横目で見送った。だが、丁度説教部屋に姿を消した頃にふと疑問を感じて首を傾げる。


 「お金って貸してくれるの?」

「交渉次第では借りれるよ」


 基本的に何でも後払いのこのギルドにそんなシステムがあるとは驚いた。そんな表情でホムラは、へー。と声を漏らす。


 「まぁ、今回は無理だと思うけど。ウォルターのあの言い方だと、そこまでお金に困ってるわけじゃなさそうだし」


 やはりそう易々とは借りれるわけではないようで、交渉次第とは言っても国王の勅令でもない限りあの冷血漢を言いくるめることなどできないだろう。今頃ウォルターは要求を突っぱねられて部屋の隅ですすり泣いているのだろうか。


 そんな風にホムラが無駄に想像力を働かせて説教部屋の扉に視線を向けていると、ミカルはおもむろに台帳を指差した。


 「ここにウォルターとホムラの名前書いといて」


 そう言ってミカルの指が差されたのは、先ほどホムラが読み上げた依頼の欄のすぐ隣だった。そこは依頼の受諾者とそれを確認した者の名前を記入する欄になっているようで、今は空欄となっている。


 ホムラはペンを持つと、あまり気の乗らない手を動かし、相変わらずの歪んだ字でウォルターの名前と、続いて自らの名前を書き込んだ。


 すると、その間にミカルは、どこから取り出したのかいつの間にか手に持っていた印章を依頼書に書かれたウォルターの名前の上から押しつける。


 「依頼を受諾したときは、こういう感じで依頼書に判子押しといてね」


 ホムラはそれに対して大きくうんうんと頷くと、そのまま台帳の他の依頼の欄に目を落とした。


 台帳に書かれた依頼は一見するだけでも多種多様で、ホムラが受理したようなペットや遺失物の捜索や買い物の代行、荷物の配達といった軽めのものから、護衛や野生動物の駆除などの危険を伴うもの、さらには、事件の調査や犯罪人の確保などという警察が行うような内容の依頼までもが台帳には記されている。


 それらをひとつひとつ目でなぞっていると、ある依頼の欄にふと目がとまった。


 その依頼内容自体は、生活必需品の購入代行と配達というさほど珍しいものではない。それでも目にとまった理由は、その依頼の受諾者の欄に書かれているのが副マスターであるはずのダイの名前だったからだ。


 「ダイも依頼受けたりするんだね」

「そりゃダイも神術師だからね」


 意外そうに呟くホムラに対し、ミカルはさも当然と言わんばかりな口振りで答える。


 「その人はダイがギルドに入った時からの付き合いらしくてね、今でもダイが依頼を受けてるんだ」


 ダイにもヒラ神術士だった時代があるという事実は考えてみれば当然のことであったが、副マスターとしてのダイしか知らないホムラにはダイが依頼を受けている姿など想像したこともなければ、想像することもできなかった。


 今の自分と同じように盗賊を捕まえたり、害獣退治をしたり、たまに失敗して怒られたり、そんな日常を送っていたのだろうか。


 ホムラは想像力を働かせ、自身の記憶にダイの姿を当てはめてみた。しかし、どうしてもそんな姿が頭には思い浮かんでこない。


 仕事を終えた盗賊に豪邸の裏口でばったりと鉢合わせ、ヤバいと思った盗賊が拳を振り上げる。そこで頭の中の映像がぷっつりと途切れてしまう。


 実際のホムラは、そこで身を屈めてパンチをかわし、カウンターでアッパーをお見舞いしたが、そんな姿はどうもしっくりこない。


 何故ダイが戦う姿が想像できないのか。ホムラはすぐにその理由に気が付いた。


 「ダイってどんな力を使うの?」


 改めて考えてみれば、ホムラはダイがギルドに居るときの姿しか見たことがない。どんな神術を使い、どうやって戦うのか。それを知らない故に、しっくりとくる姿を想像することができなかった。


 ホムラの問いに対して、ミカルは顎に手を当てて考える素振りを見せる。そして、少ししてゆっくりと口を開いた。


 「そう言えば、僕も見たことないな」

「ミカルも知らないの?」


 自分よりもダイと長い付き合いのミカルならてっきり知っているとばかり思っていたホムラは、その意外な返答に再び驚いたような表情を見せる。


 「居酒屋に行ったときに酔っ払いが暴れてたり、商店街を歩いてるときに目の前でひったくりがあったりとかしたことあるけど、そのときは別に力は使わなかったしね」

「一緒に依頼受けたりは?」


 するとミカルは、ないない。と、言いながら顔の前で大きく手を振った。


 「何の力も持ってないから、こうやって事務員やってるんだよ?」


 それもそうかと独りで勝手に納得したホムラだったが、そのことについて納得しても何の解決にもならないことにすぐに気が付き、ミカルに視線を送り直した。


 すると、丁度思い当たることがあったようで、ミカルが再び口を開く。


 「レーゼなら知ってるんじゃないかな。僕が来る前からこのギルドに居たし、それに――」


 ミカルは突如何かを思い出したかのように、あっ。と、口を開けて一瞬静止すると、それ以上は何も言わず、誤魔化すように笑顔を浮かべた。


 "それに"その言葉の続きが非常に気になるところではあるが、それはひとまず置いておいて、ミカルよりも付き合いが長いというなら、確かにダイの神術を知っている可能性は十二分にあるだろう。


 今度会ったときにでも聞いてみよう。ホムラはそう考え、ひとまずこの疑問に終止符を打った。


 それとほぼ同時に、説教部屋のドアが開いて、ダイの元に行っていたウォルターが姿を現した。その顔を見る限り、交渉が決裂したことが伺える。


 「どうだった?」


 結果は火を見るより明らかだが、一応ミカルが尋ねてみると、ウォルターはガクンと肩を落とし、とても重そうに口を開いた。


 「今300シュムーク持ってるって言ったら貸してくれなかった……」


 ミカルの見立て通り、ある程度の持ち合わせがあったようで見事に要求は突っぱねられたようだ。


 だが、そんな様子とは裏腹に、手ぶらで部屋に入っていったはずのウォルターはいくつかの化粧箱を抱えていた。


 「何それ?」


 ホムラがそれらを指差すと、ウォルターはカウンターの上に箱を並べて、中身が見えるように1つ1つ開けていく。


 口を開けた箱の中は、指輪やイヤリング、ネックレスなどのアクセサリーで、そのどれもが大粒の宝石による輝きを放っていた。


 「身なりが良かったら足下を見られて吹っ掛けられることも少ないだろうから持ってけ。だってさ」


 やや不満げにそう言うと、箱を片付けてまた脇に抱える。


 「それじゃ、行ってきます」

「いってらっしゃい」


 少し気を引き締めたような表情を浮かべたウォルターに対し、ミカルはいつものような優しい笑顔で手を振った。


 「頑張ってね」


 ホムラがそう言うと、ウォルターは歩み出していた足を止め、ホムラのほうを振り返る。


 「ホムラも頑張りなよ。また今度、盗賊確保の仕事一緒に受けような」


 そう言って、ウォルターはフッと目を細めた。


 ホムラはその言葉に、果たしていつ神術士の仕事に戻れるのか。というずっと抱えている不安を思い出す。


 しかしそれでも、同い年で共に頑張る少年の励ましの言葉を噛み締めると、結局最後には満面の笑顔を浮かべ、しっかりとウォルターに届くよう大きな声で応えた。


 「うん!」





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