第7話:カウンターの向こう側






 朝食を終えて全員が仕事につき始める時間になると、大広間は人の出入りが増え、動く音や話し声などでやや騒々しくなっていた。朝食に使った皿をキッチンへと運び終わったホムラは、その中を通り抜けてミカルのいる受付へと足を運ぶ。


 ミカルはカウンターの上にレンガよりも分厚い台帳を置いて、その台帳の中身と手に持った紙の束とを交互に見ながらペラペラとページを捲っていく。


 「何してるの?」

「今請けてる依頼の確認だよ」


 ミカルはそう言うと、手に持った紙束をホムラに見えるようにカウンターの上に置いた。


 「こっちの紙はホムラもよく知ってるでしょ?」


 ミカルが指し示した紙は依頼書で、依頼人の名前、依頼内容、報酬の金額が順に書かれており、その最下部にはこのギルドの証である大木の印が捺されている。


 依頼書は依頼を引き受けた神術士に渡されるもので、依頼の遂行中は常に携帯することが義務づけられ、完了時にこれと引き換える形で報酬を受け取ることができる。


 また、これを見せれば相手が警察であろうと大体のことは許されるという割と危険な代物であるため、ギルド及び神術士には厳重な管理が求められている。


 そういうわけで、昨日まで受け取る側であったホムラにとっては大変なじみ深い物である。


 「こっちはあんまり知らないかもだけど、これも君たちが働く上で欠かせない物だよ」


 次にミカルが指し示したのはさっきまでペラペラと捲っていた台帳だ。こちらにも、依頼書と同じように依頼人や依頼内容が書かれている。だが、こちらにはそれに加えて日時や氏名を書く欄が何ヶ所かあり、依頼書よりもより詳細な情報が書かれている。


 「台帳には依頼人の情報と依頼内容、それと、ギルドが依頼人からいつ受諾して、どの神術士がいつ引き受けて、いつ依頼が完了したのかが書かれてる。これがないとお金が貰えないから大事に扱ってね」


 イマイチその重要性が頭には入ってこないが、思い返してみれば依頼を受ける際はいつも台帳にサインしていた記憶があるので、それなりに大事な物なのだろう。


 ホムラは文字でびっしりと埋め尽くされた台帳を凝視しながら、一生懸命その中身を理解しようとする。しかし、生来文字というものが苦手なホムラにとってそれは簡単なことではなく、すぐに目眩のようなものを覚えた。


 そんなホムラの顔の前で、ミカルはビシッと人差し指を突き立てた。


 「今日からホムラにやってもらう大きな仕事はこれ。依頼人がここに来たら、まず依頼書を書いてもらい、依頼の内容が大丈夫なものだったら印鑑を捺して、それを台帳に書く。そして、神術士が依頼を受けに来たら台帳にサインしてもらって依頼書を渡す。そして、そのことを台帳に書く。そして、依頼が完了したら依頼書を受け取って報酬を渡す。そして、またそのことを台帳に書く。最後に依頼人宛に完了の通知を送る。以上」


 とにかく工程のほとんどが台帳に記入することだということはわかったが、正直今の説明の2割もホムラには理解できていない。しかし、それはミカルも承知の上で、寧ろ、ミカルには今の説明で理解させる気など更々なかった。


 「まぁ、習うより慣れろ。ってわけで、実際にやりながらその都度教えていくし、じっくり覚えていけばいいよ」


 ミカルはそう言うと、ニッコリと優しく微笑みながらホムラを受付の中へ手招いた。スイングドアを手で押し開けて中に入ると、普段受付を利用するときには見えないカウンターの裏側に一瞬にして目を奪われる。


 カウンターの裏は細かく仕切られた棚になっており、ペンやペーパーナイフなどの用具類や、それぞれ内容の違う何らかの紙類が綺麗に整理された状態で並べられている。


 ミカルはそこからペンの刺さったペン立て、インクの瓶、そして、血の契約の際に使用する剣山を取り出してカウンターの上に置いた。そして、先ほど見ていた依頼書の束を手に取り、ホムラに手渡す。


 「そこの引き出しにしまっといて」


 ホムラは依頼書を受け取ると、ミカルが指差した背後の壁に埋め込まれた引き出しに目を遣る。引き出しには取っ手の上に金属のプレートのラベルが付いており、契約書や依頼書、名簿などと何処に何が入っているのかが一目瞭然だった。


 未了依頼書と書かれた引き出しを開け、中に依頼書の束を入れる。そして、閉めようと引き出しを押し込んだ。すると、向こう側に当たって勝手に止まるだろうというホムラの想像に反して、引き出しは何の抵抗もなく開けていた幅以上に押し込まれ、壁に深い窪みを作った。


 「わわっ!!」


 予想だにしなかった光景に、ホムラは思わず声を上げた。それを受けてミカルは慌てて振り返るが、その光景を目にして、くすくすと控えめに笑い声を漏らす。


 「そう言えば言い忘れてたね。その引き出しは事務室からも開けれるようになってるんだ。だから、あんまり押し込みすぎないよう気を付けてね」


 ホムラは、うんうんと頷きながら、窪みに手を突っ込んで取っ手を掴み、今度は逆に引っ張り出しすぎないように慎重に引き出しを元に戻した。


 もう何年もここに居るが、意外と知らないこともあるものだ。これからしばらく、こんな驚きと発見ばかりの毎日を送るのだろう。ホムラの心には僅かながら不安が残っていたが、それ以上に、よく知った狭い受付のカウンターの向こう側にまだ知らぬ世界が広がっている。そんな事実に感動を覚え、期待に心を躍らせた。


 「まだ人も来ないし、先に備品の場所だけ教えとくね」

「うん!」


 楽しみという感情は時に人を何でもできるようになったと錯覚させるようで、ホムラは意気揚々と返事をした。だが当然、人というのはそう簡単に成長することはなく、寧ろ愚かな間違いを繰り返すものである。


 いざミカルに、どの棚に何が置いてあって、どういったときに何処に入れた何をどうするのか。などと説明されるとたちまち脳がパンクしてしまった。


 果たしてこれらを神術士としての仕事に戻るまでに覚えられるのか。そもそも、いつ神術士としての仕事をやらせてもらえるのか。そんな不安に、今の今まで期待が優勢だった心中がやや傾き始めた。


 落ち込みかける気分を無理矢理上向かせようと、ホムラは希望を抱いていたほんの数分前を思い起こそうとした。


 そのとき、エントランスのドアに付いたベルがカランコロンと落ち着いた音を響かせた。フッと目線をそちらにやると、そこには大きな荷物を背負った小柄な老婆の姿があった。


 その老婆はエントランスできょろきょろと辺りを見回すと、覚束ない足取りで受付までやって来る。初めてここを訪れたような様子みると、恐らく依頼人だろう。


 「お願いしたいことがあるんですけど」


 そんな老婆の声を受けて、ミカルは目を細めてニッコリと笑顔を作り、ホムラの背中にそっと触れた。


 「さぁ、ご挨拶して」


 ミカルに優しく背中を押されて1歩前へ出ると、ホムラは老婆の顔に視線を向ける。普段は人見知りするタイプではないが、初めて見る受付の中からの景色に少し表情を硬くする。


 しかし、自分が新しい第一歩を踏み出したことを噛み締めながら大きく深呼吸すると、すぐ笑顔になって緊張気味に口を開いた。


 「よ、ようこそシュピールプラッツへ!」





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