第4話:痺れるような会話






  このギルドにおいて、依頼の手続きや処理、諸書類の作成など事務仕事を司る部屋、通称"説教部屋"。この場所で、ダイは昨日と同じようにテーブルを挟んで1人の問題児と対峙していた。


 しかし、今日の相手はホムラではない。


 ダイの向かい側に座る、革のジャケットにミドルブーツといったパンキッシュな装いの女は、組んだ両足をテーブルの上に乗せ、ミカルと同じ金色と所々に緑色が混じったボブヘア、そのサイドを人差し指にくるくると巻き付けながらやる気のなさそうな顔でダイの方に視線を向けた。


 ダイは女の目を見詰めるが、どうも視線がダイの周りをぐるぐると行ったり来たりしているようで、いつまで経っても視線をぶつけることはできそうにない。


 ダイはため息をつくと、目を合わせることは諦めてその女の眼前に1枚の紙切れを突き出した。


 「おい、ナルカ。これはなんだ?」


 ここでようやく、この女――ナルカ・エルケンス――の視点が一箇所に留まった。ナルカはその紙切れを手に取ると、きちんと座り直して紙切れを隅々まで見回す。そして、何度か首を傾げた末、心底怠そうにゆっくりと口を開いた。


 「なにって、あんたが散々貰ってこいって言ってた馬車の領収書だけど?」

「確かに貰ってこいとは言ったが、なんで帰りの馬車代が行きの3倍も掛かってるんだ?」


 ダイがテーブルの天板をトントンと叩きながら急かすようにそう言うと、ナルカは顎に指を当てて上を見上げた。


 うーん。と懸命に記憶を辿っているようだが、この様子だと大した理由など聞けそうもない。ダイが再びため息をつきかけたその瞬間、長い記憶のトンネルから抜け出したナルカが口を開いた。


 「せっかくの遠出だったから色々寄り道してね。おかげでいい服が手に入ったよ」

「そうか……」


 そんなある意味期待通りの返答に、ダイは一度引っ込めたため息を倍くらいにして口から出した。


 「そんなため息ばっかしてると、電気が体から逃げちまうよ」


 ナルカはそう言うと、何かを拾い集めるように右手を空中でヒラヒラと動かす。そして、ダイの顔を見てニヤッと笑い、人差し指を思い切りつま弾いた。


 その瞬間、光の軌跡がダイの顔を目がけて飛んでいき、微かにチクッとした痛みと痺れが左の頬を走る。


 ダイが一瞬顔を歪めるのを見るや否や、ナルカはニヤニヤしながら自身の顔の前で人差し指と親指とを引っ付けたり離したりを繰り返した。


 その2本の指の間でパリパリと音を立てながら小さな雷が伸び縮みするのを見て、ダイはまたため息をついた。


 「誰のせいだよ……」

「別にいいじゃないか。今日から癒やし系と一緒に仕事できるんだから」


 ナルカは具体的に誰とは言わなかったが、おそらくホムラのことを指しているのだろう。ダイはナルカの言ったこと自体は理解したものの、その表現方法には首を傾げる。


 「あいつのどこが癒やし系なんだ?」

「可愛いじゃん。ちっこくて、一生懸命で、全力で空回りしてさ」

「その空回りの後始末は俺がやらされるんだぞ」


 するとナルカは、確かにね。と笑いながら言う。それでも、その目は真剣そのものといった様子で、ホムラのことを本気でそう思っていることがうかがえる。


 ホムラが周囲と上手く付き合っていけていることに、ダイは心を和ませかけた。しかし、すぐにそんなことをしている場合ではないことを思い出し、ナルカにどこまで話したか自身の記憶を辿る。


 だが、そう思い通りにいかせてくれないのがこのナルカという人間の面倒くさいところだ。


 今このタイミングが、逸れた話題を元に戻す絶好の機会だったにもかかわらず、ナルカは更に話を明後日の方向へと導くべく口を開く。


 「あんたってさ、妹いる?」


 そんなナルカの全く予想だにしない問い掛けに、ダイは思わず、はぁあ?っと素っ頓狂な声を上げた。


 「いや、普段から妙に女の扱いが手慣れてるような感じがするもんだからさ。特にホムラとの接し方なんか」


 まるで人を女たらしとでも言うようなその言い草に若干引っ掛かりながらも、ダイは自分の今までの振る舞いを省みる。


 確かにホムラに対して一定の期待を寄せており、アメとムチの使い分けに注意を払いながら接しているが、兄貴ヅラをしているつもりなど毛頭ない。ホムラとは上司と部下の関係に近いものである。


 そう自分に再確認させながら、今それを如何にして言葉にするか頭の中で思考をぐるぐると回転させる。


 しかし、そんなダイの返答を気長に待ってくれることはなく、ナルカはまた口を開いて今度こそ本気でダイの脳をパンクさせた。


 「それに、何やかんや言いつつも、今のあんた楽しそうだし」


 いよいよ以て、ダイが必死で巡らせ続けた思考は停止し、今から何を話そうかという言葉の断片が真っさらに消え去った。


 できたことと言えば、その空いたスペースでナルカに言われた言葉を反芻することのみ。それも反芻すればするほどに、どんどん気恥ずかしくなってくる。


 ダイは大袈裟に咳払いをして自身の感情に対する誤魔化しと、ナルカに対して仕切り直しの意思を示し、大きく脱線した話を無理矢理軌道修正する。


 そもそもの話は確か……と必死に記憶の欠片を探し出して、手元に置いてあった紙にペンを走らせる。


 「とにかく!今回の帰りの馬車代は自腹だからな」


 そう言って、実費の半分の金額を書いた小切手をナルカの前に差し出した。


 「ケチ」


 舌打ちと共に確かにその2音がダイの耳に届いたが、これ以上相手をしないと心に決めてグッと堪える。


 「ほら、もう帰っていいぞ」


 そんな適当な物言いでナルカを追い出そうとしたそのとき、部屋の扉がコンコンと2度の乾いた音を発した。すぐに開けてこないことから察するに、恐らく扉を叩いたのはミカルだろう。


 「どうぞ。開いてるぞ」


 ダイがそう言ったことでようやく扉が開けられ、その向こうから予想通りミカルが姿を現した。


 「今日のお説教は姉さんの番だったか」


 ナルカの後ろ姿を視界に捉えるや否や、ミカルはボソッとそう漏らす。すると、ナルカはドスの利いた低い声で、あぁん!?とチンピラのような声を張り上げて扉の方を振り返った。


 ミカルを睨みつけ、バチバチと音の鳴る右手を振り上げたのも束の間、半歩後ろにいたホムラの姿に気が付くと、今度は一転して少し高い声色と共に椅子から跳び上がる。


 「ホムラ~♡」

「また始まったよ」


 腰をかがめ、ホムラの顔に頬擦りしながら身をくねらせるナルカと無抵抗のホムラに、そんなお約束となった光景にある種の安心感のようなものを覚えつつ、ダイとミカルは2人揃って遠巻きに見ていた。


 「あんなのよりもホムラが妹だったらな~♡」


 全身で取り込みでもするかのように体を撫で回る中飛び出した突然の飛び火にもミカルは慣れたもので、まともに耳を貸すことなく指のささくれをいじっている。ミカルもミカルで普段から苦労しているようだ。


 「んで、何の用だ」

「ホムラにギルドの中を案内しててね。それで一応ここもと思って」


 ミカルはそう言うと、つい今しがたまで姉のナルカが座っていた椅子に腰を下ろした。


 「この部屋のことなら、お前よりあいつの方がよっぽど詳しいじゃないんか?」

「確かにそうかもね」


 視界の端から時折聞こえる猫撫で声を意識の外に追いやりながら、ダイはふふっと笑うミカルを見遣る。


 「もっとも、ここは説教をする部屋じゃなくて事務室だけどな」


 そう言って、ダイは両手を広げて辺りを指し示した。周囲には大量のファイルがギチギチに詰め込まれた本棚と鍵の付いた戸がある収納棚がいくつも並んでいる。確かにその言葉の通り、どこからどう見ても事務室だ。


 「あいつに事務の仕事をやらせる気はないし、案内は食堂と受付ぐらいいいんじゃないか?」

「そうだね」


 ミカルはうんうんと頷くと、満足した様子でニコニコしながらダイの顔を見詰めた。そのまま腰を据えて動く気配のないミカルに、ダイは首を傾げる。


 「用はそれだけか?」

「あと、君の顔も見とこうと思ってね」

「心配しなくても、あいつらが面倒を起こさない限り俺はいつでもここにいるよ」


 すると、ミカルはまた、そうだね。と落ち着いた声と共に首を縦に振る。相変わらず顔は爽やかな笑顔を保ったままだが、その姿がダイにはどこか物悲しげに映った。


 「なんだか君は、いつも遠くを見てる気がしてね」


 ミカルはそれだけ言うと、ゆっくりと腰を上げてホムラがいる方に身を翻す。それに合わせてダイも視線をそちらにやると、髪の毛がグシャグシャに乱されたホムラと、心なしか先ほどより肌艶の良くなったナルカが横に並んで立っている姿が見えた。


 「ここでの仕事はないらしいから次行こっか」

「うん……」


 ホムラは萎びた様子で重々しく頷くと、扉を開けて歩いて行くミカルの後ろに続き部屋を後にする。ナルカは、そんなホムラの背を手を振りながら幸せそうに見送った。


 扉がパタンと音を立てて閉じられると、部屋は再びダイとナルカの2人だけになり、久しぶりの静寂が訪れた。すると、すぐにダイはふぅっとひと息をつき、扉の前で独り佇むナルカに目を向ける。


 そして、その姿を数秒眺めた後に、落ち着いた様子でゆっくりと口を開いた。


 「いや、見送ってないでお前も出て行けよ」





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