第3話

『ずるいよな、ギリアムさんよ』

 戦友の声。

『あんただけ生き残って』

 戦友の声。

『何だって? 幼馴染と二人で?』

 戦友の声。

『いいよなぁ、ささやかな幸せ。人間らしい生活』

 石像と化した、数多くの戦友。


「やめろッ!!」

 ギリアムは跳ね起きた。キッチンに立っていたミリイが驚いて振り向く。

「お兄ちゃん、どうしたの?」

 嫌な夢だった。こんな夢を見たのは久しぶりのことだ。額に滲んでいた汗を拭う。

「……いや、ちょっと、昔の夢を」

 罪悪感だろうか。自分一人だけ生き残り、まともな生活を送ろうとしていることへの。

「……大丈夫?」

「ああ、大丈夫だよ。心配かけて、すまない」

 リハビリをしていた頃はよく見ていた夢だったので、慣れたと思っていたが、そうでもなかったようだ。

「色々、あったんだね……。大丈夫。ここはもう、戦場じゃないから」

 窓の外を見てみると、雨がよく降っている。ああ、そういうことか。

 ともあれ、ミリイが簡単な朝食を持ってきた。トーストと野菜スープ。スープは昨日の夕飯の残りだった。ナルルはミリイの料理の腕をあまり評価していなかったが、実際に食べてみればなかなかのものだった。

 ミリイは地味なワンピースを着ている。学校の制服なのだろう。

 二人でテーブルを挟んで朝食をとる。久々の温かい朝食。とても落ち着く。

「あたしはそろそろ学校に行くけど、えっと、これ。合鍵、渡しとくね。行くとこなかったら、フェンテの冷やかしに行ってもいいよ」

 朝食の後、ミリイは鞄を背負い、合鍵を渡してきた。

「じゃあ、行ってきまーす」

「行ってらっしゃい」

 ミリイを送り、部屋には一人だけ。学校は隣町なので、そこまではどうするのだろう。列車だろうか。

 部屋に一人残されたのだが、何もすることがない。とりあえず、昼までは読書でもしよう。鞄に入れていた読みかけの文庫本を取り出して、ページをめくり始めた。


 部屋の時計が十時を告げた。雨は止んでいたので、ちょっと出かけようか。戸締りをして、部屋の外へ。周りの人に見つかるのは避けたいところだ。変な噂が立ってしまったら、ミリイに悪い。

 人目を避けるように路地に出る。とりあえず、フェンテでも行ってみようか。営業中の看板は出ていないが、扉は開いていた。中に入ってみる。

「あー、ごめんなー。まだやってないんよー」

 ナルルが厨房に立っていた。開店前の掃除だろうか。

「……って、ギリアムさんか」

「暇だからな。……何か、手伝えることでも?」

「あー、せやなー。まぁ、今日はミーちゃん学校やし、お言葉に甘えるわ。そっちの床を掃除してもらえへん?」

「ああ、構わないよ。少しでも動かないと、体が鈍るしな」

「そっちの棚の中に箒があるから、床を掃いとってなー。その後モップかけて、テーブル拭いてくれへん?」

「……がっつり頼んでくるな」

「そら、立っとるもんは親でも使わなな」

 ナルルがけらけらと笑う。客席の片隅の棚から箒を取り出して、床を掃き掃除。バケツに水を組んで、モップ掛け。

「ほい、布巾」

 ナルルが硬く絞った布巾を投げてきたが、テーブルの上に暴投。ギリアムは苦笑しながらテーブルを拭く。

「コントロール悪いな」

「ここ狭いからしゃあないやろー。床に投げんかっただけマシやって」

 二十分もかからずに掃除は終わり。開店は十二時からみたいなので、一時間ちょっと余裕がある。

「ふー、助かったわ。これでちょっと余裕もって仕込みできるな」

「まだやってなかったのか?」

「せやねん。ちょっと寝坊してもうてなー。ま、ギリアムさんは座っとき。後でお昼、ごちそうしたるわ」

「じゃあ、ご厚意はありがたく受けようかな」

 ナルルが仕込みをしている間に、ギリアムは椅子に座って、店に置いてあった雑誌を読む。店の時計が十一時を回ってから少し経ったとき、ギリアムの前にパスタが置かれた。玉葱やソーセージと一緒に炒めてあるようだ。それと、コンソメスープ。

「今日の日替わりはこれにしとくわ。実験台になってもらうから、感想、聞かせてな」

「ありがとう。いただくよ」

 パスタをフォークに巻き付けて一口。うん、いい具合。昨日も思ったことだが、ナルルの料理の腕前は本物のようだ。

「うん、おいしい」

「ホンマ? なら自信持って出せるな」

 ナルルは笑って、黒板に日替わりランチと、その他のメニューを書く。

「今日は寝坊してもうたからなー。できることが少ないわ」

「夜更かしなんかするもんじゃないな」

「せやせや。ギリアムさんも、昨日はお楽しみやったんやないの?」

 ナルルは手を動かしながらくすくすと笑う。そうだよな、そんな受け取られ方をしてもしょうがないか。

「いやいや、何もないから」

 こればかりは胸を張って言える。

「えー。ミーちゃん、かわええやん。こんなチャンス滅多にないで」

「ナルルさんこそ、そういう話はないのか?」

 話を逸らす。

「失礼な。ウチかて男の一人や二人、おったんやで。いや、二人同時におったらまずいけどな」

 過去形だ。あまり踏み込まないほうがいい話かもしれない。だが、ナルルは声を続けた。

「すぐカッとなって殴ってくる、ろくでもない男やったけどな。まぁ、ヒモやったな、アイツは。兵隊に取られたときは正直せいせいしたわ。あの戦争で、ウチが得した唯一のことやわ。あはは」

 ナルルの笑いには自嘲が混じっているようだ。

「ウチはそれで色々苦労したから、ミーちゃんにはええ男つかまえて欲しいんよ。老婆心ってやつやな。あはは」

「確かに、あの子も世慣れぬところがあるからな。変な男に捕まらないかは心配だよ」

「ギリアムさんが見守ったらなアカンね。あはは、それも年長者の仕事や」

「まったく、年は取りたくないな。面倒なことばかりやらなきゃならない」

「ホンマにね」

 ギリアムはナルルと二人で笑うのだった。

 ミリイを見守る。できれば、そうしたい。

 そう、できることならば。

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