第2話
とりあえず、小腹も空いたし、ナルルに借りを返そう。
フェンテは実家から歩いて十分ほどのところにある。老婆が切り盛りする、小さな食堂だ。安くて量も多く、味も悪くなかったので、若い頃は何度も世話になったものだ。それにしても、ずっと一人で切り盛りしていたのに、ナルルを雇ったのか。まぁ、店主も年だろうし。
店構えは変わっていない。ドアにかかっているのは【営業中】の札。
ドアを開けると、ドアベルが涼しげな音を出した。
「あ、いらっしゃーい……ッ!?」
中にいたのは、ナルルではなかった。予想外の人物。鏡のようなレンズの眼鏡をかけた少女。
淡い黄緑色の肌。そして、その頭にあるものは、髪の毛ではなく、浅葱色をした無数の蛇。
極めて珍しい、ゴルゴン族の少女である。
「……お、お兄ちゃん……?」
そして、ギリアムの幼馴染。
「ギリアムお兄ちゃんだよね!?」
「……そうだよ。久しぶりだな、ミリイ」
ミリイはギリアムが徴兵されてから少しして、マイルズのほうに引っ越したと聞いていたが、こちらに帰ってきていたようだ。
幼馴染とこんな形で再会するなんて、ついているのか。
いや、今後を考えると、ついてないか。
なんてことを考えていたら、ミリイがこちらに抱きついてきた。
「ふええ……ホントに、ホントに心配したんだよ!!!」
「お、おい、ミリイ」
なんだか、他人に見られていたら誤解されそうな光景だ。悪い気はしないが、ミリイにはよくないだろう。とりあえず、泣き止むことを願いながら彼女の背中をぽんぽんと叩く。
「大丈夫。怪我はしたけど、まだ生きてる」
「もう会えないって思ってた……。凄く、凄く嬉しい……」
会えないと思っていたのはこっちもだ。不思議な縁といえば縁である。
「何や何や、何かあったん?」
すると、店の奥からナルルが出てきた。彼女の声を聞いて、ミリイは慌ててこちらから離れる。
ナルルはエプロンをつけていた。それはミリイも同じ。どうやら二人ともここで働いているようだ。
「あ、さっきのギリアムさんやん。来てくれたんやなー。ナルル嬉しいわ」
「え、ナルちゃん、お兄ちゃんと知り合いなの?」
「それはこっちの台詞やわ。ミーちゃん、お兄ちゃんってどういうことなん?」
「えっと、幼馴染なの。ほら、何回か話したことあるでしょ?」
「ああ、そういや言うてたな。かっこええ幼馴染がおるって」
人がいないところで何を言っているのやら、この娘は。
「前評判どおりか?」
「んーーー……」
「悩まんでいいよ。余計に悲しい」
まぁ、思い出補正ってやつだろう。
「ギリアムさんとはさっき駅で会うたんよ。足が不自由って言うてはったから、そこまで乗せてたんやわ」
「え、お兄ちゃん、足が悪いの?」
「まぁ、戦争でちょっとな。なのでそこ、座っていいか?」
「うん、どうぞどうぞ」
「この時間はいつも貸し切りやからなー」
確かに時刻は十四時。ちょうど暇な時間帯なのだろう。
「今日はお昼も暇だったけどね。ナルちゃんいないってみんな知ってたから」
「せやなー。ミーちゃんの料理はギャンブル性が強すぎるからなー」
「え、えへへ……」
ナルルのからかうような言葉を受けて、ミリイが恥ずかしそうに頬を掻いた。彼女の感情は頭の蛇にも現れるので、とてもわかりやすい―嬉しいときは活発であり、悲しいときは大人しい―。
「二人ともここで働いてるのか? あの婆さんは?」
「ああ、婆ちゃんなら去年、引退したんよ。年も考えんと無茶しはるから、腰をいわしはってなぁ。ウチが二代目」
「私はナルちゃんのお手伝い。疎開で私だけこっちに戻ってきて、そのままなの」
「なるほどな。あの婆さんのオムレツは旨かったんだが」
「その心配はないで。ウチは婆ちゃんの料理を引き継いだからな!」
ナルルが誇らしげに胸を張る。じゃあ、その自信のほどを見せてもらおう。
「じゃあ、注文するよ。オムレツを一つ」
「あいよ、任せとき」
ナルルはにっこりと笑って、厨房に立った。ミリイもカウンターの中に戻る。
外が少し暗くなった。雨でも降るのだろうか。
少しの待ち時間の後、ミリイがオムレツの乗った皿を持ってきた。なるほど、彼女はウェイトレス役か。心なしかサイズが小さくなった気がする。それは仕方ないか。
「はい、お待たせ」
「ありがとう」
湯気の立った、出来立ての料理。ここ数年、いつも食べていたものは乾パンやビスケットに、金属臭い缶詰。卵料理は滅多に口にできるものではなかった。
一口頬張る。
あの頃の味がした。ここに住んでいた頃の味。友人達と馬鹿をやりながら、老婆に呆れられていた頃の味。
「ふっふっふー、どうやー?」
「……同じだよ。あの頃と、同じ……」
「せやろー。再現するのに苦労したんやで。分量、適当やったからなぁ」
「ナルちゃん言ってたもんね。この味がなくなるのはラグンの損失や! 頑張って覚えなあかん! って」
「ミーちゃん、似てへん、似てへん」
いつの間にか、雨音が聞こえだした。
他愛ない会話。落ち着いてできる食事。思い出と変わらぬ味。
戦場から帰ってきた。
感無量、と、言葉にするのは簡単だ。
「いや、本当に。損失なのは俺だけじゃなくて、ラグン全部の……」
いつの間にか、涙をこぼしていた。ナルルとミリイもそれに気付いたようだ。格好悪い姿を見せてしまった。
「……ナルルさん、ありがとう」
涙を拭く。
「ええって。ウチこそ嬉しいわ、そないに喜んでくれて」
ナルルも照れているのか、ちょっと口調が違う。
一口一口、味わって食べるつもりだったが、皿の上はすぐに平らになった。
「はい、食後のコーヒー」
すると、ミリイが湯気の立ったコーヒーカップをテーブルに置いた。
「えへへ、私のおごり。ミルクと砂糖はいるかな? ……お砂糖はちょっと少ないけど」
「ありがとう。大丈夫、どっちもいらない」
ミリイに礼をして、一口飲む。コーヒーの香りが鼻に抜けた。酸味といい、濃さといい、ちょうどいい塩梅だ。旨い。
「……美味しいな」
「せやろー。ミーちゃん、コーヒー淹れるのだけは上手いからなー」
「だけって何よ、だけって!」
意外な才能があるものだ。ともあれ、久々の温かい食事にまともなコーヒー。本当に落ち着いた。来て良かった。
カップを置こうとすると、指が動かなかった。まさか。
「……お兄ちゃん?」
固まっていたのが不思議だったのか、ミリイがこちらを見つめてきた。
「……いや。久々にこんな美味しいコーヒーを飲んだから、感動して」
「もう、オーバーなんだから」
ミリイがくすりと笑った。指は動く。気のせいだったか。
「それにしても、ミリイも眼鏡をかける年になったんだな」
話を逸らす。
「そうだよ。えへへ、もう大人の仲間入りかな」
ゴルゴン族の瞳には石化の力がある。小さい頃はそうでもないが、大きくなると共にその力は強くなり、十八歳ほどになれば、その瞳を見ることで、相手を石へと変えてしまう。そのため、ゴルゴン族は十五歳頃より眼鏡の着用を始める。その鏡のようなレンズは、向こう側から瞳が見えないようにマジックミラーめいた加工がされている。ゴルゴン族はその力ゆえに迫害されていた過去があるので、しきたりのようなものだ。
ゴルゴン族の瞳は金色である。それはとても綺麗なものであり、ミリイの瞳もその例に漏れない。幼い頃の彼女の瞳は、未だにギリアムの脳裏に焼き付いている。彼女の瞳が見られなくなったのは残念であるが、仕方のないことである。
「それで、どうかな、これ。似合ってる?」
ミリイの眼鏡はレンズの大きな、野暮ったいものだ。似合っているか、というと微妙なところである。
「……似合ってるよ」
社交辞令。しかし、ミリイはそれに気づいていないのか、手を合わせて喜んだ。頭の蛇も楽しそうに動いている。そんなミリイを見てか、ナルルは苦笑い。
「ところでギリアムさん、ここの出身なんやろ? 家には行かんでええの?」
ナルルは先ほどの皿を洗いながら話題を振ってくる。どうやら事情を知らないようだ。いや、当然だが。ミリイは察したのか、少し表情が曇る。
「……行ったよ。行っただけ、だけど」
「行っただけ? 親御さんには会うてないん?」
「……ナルちゃん、お兄ちゃん、あそこの……」
ミリイがナルルに耳打ちする。ナルルの表情が一気に変わった。驚いたような、申し訳なさそうな、そんな表情に。
「あ、す、すまん! ウチ、悪いこと言うてもうた!」
ナルルは手を合わせて何度も頭を下げる。悪気がないのはわかっている。悪いのはくだらないことをやった両親なのだから。というか、それで把握されるほど有名だったのだろうか。
「大丈夫だよ。知らないことだったんだし、気にしてない」
「せやけど……ほんま、ギリアムさんも大変やなぁ……」
「確かについてない。だけど、大変なのは俺だけじゃないから」
大変なのは俺だけじゃない。気休めめいた言葉である。だが、その言葉に縋りたい部分もあるのも事実だ。
「……じゃあ、ギリアムさん、これからどないすんの?」
「さぁ……。当てはないよ。まぁ、傷痍年金が出るうちに、何か仕事を探すかな」
ギリアムの所持金は傷痍年金の他に、除隊前に部隊ぐるみで装備を闇市に横流ししたときの分け前などがあるが、総額はそうゆとりのあるものではない。傷痍年金はそう高いものではない。ましてや大規模な戦争の後だ。支払いの遅延が出るのも遠くないだろう。この体でできる仕事があるかというと、それは苦しい話になるが。
沈黙が場を覆う。なんだか重い空気だ。そろそろお暇しようか。そう思ったときだった。
「……あの」
沈黙を破ったのはミリイだった。ギリアムとナルルの目線がそちらに行く。
「お兄ちゃん、行くところ、ないんでしょ?」
ミリイはうつむきながら言葉を続ける。
「……まぁ」
実家を確認した後、どこに行くか。それはほとんど考えていなかった。
「よかったら。……よかったら、だけど」
ミリイが顔を上げた。頬の緑色が濃くなっている。
「しばらくの間、あたしの家に住まない? あたしの部屋、狭いけど……それでも、二人で住めるぐらいのスペースはあるから……!」
この娘は、急に何を言い出すのやら。
「おおー」
ナルルが気の抜けた声を出した。彼女の表情を伺ってみると、にやにやと笑っている。そりゃあ、そんな表情にもなるだろうな。
「よかったら、よかったらだよ? 全然無理強いはしてないから!」
ミリイはその薄い黄緑色の肌を緑色へと変えながら、慌てて手を振っている。その心境を反映しているのか、頭の蛇の動きも慌ただしくなっている。
「ギリアムさん、どないするよ。ミーちゃんに、恥、かかせてええんかー?」
ナルルはとても楽しそうだ。他人事だと思って。
しかし、彼女の言うことも一理ある。だいぶ思い切って口にしたことなのだろう。それを断るのは、男としてどうか。正直、これからどうするかは全く考えていなかったし、ミリイと一緒というのは悪い気はしない。
「……ミリイさえよければ」
「ほ、ホントッ!?」
ミリイは手を重ねて、飛び上がらんばかりに喜んだ。全く、そんなに喜ばなくてもいいのに。
「おー、ミーちゃんも隅に置けへんなー」
ナルルもどこか嬉しそうだ。からかい甲斐のある玩具を見つけた。そんな趣。
「せやったら早よ案内したりや。夕方の仕込みやったらウチ一人でも大丈夫やから」
「じゃあ、お言葉に甘えるね。お兄ちゃん、行こっ!」
ミリイがギリアムの手を引っ張る。全く、ずいぶんと積極的な娘になったものだ。苦笑しながら立ち上がる。
また小雨でもぱらつき始めたのか、窓の外が暗くなった。
そして、ギリアムの体も重たいのだった。
ミリイの家は、古い小さなアパートだった。一部屋にキッチンだけといった質素な間取り。部屋は片付いている。いや、散らかるようなモノもないか。
「えっと、狭い部屋でごめんね。お兄ちゃんはどこで寝るの?」
部屋の中にある寝れそうなものはシングルベッドとソファー。さすがにミリイのベッドで寝るわけにはいかないだろう。
「ソファーでいいよ。寝床があるだけ、塹壕とは大違いだ」
荷物を部屋の片隅に置いて、ソファーに座る。ミリイも横に座った。
「……しかし、いい若い者が一つ屋根の下って。まるで同棲だな、これ」
ミリイを少しからかってみる。
「……もう、そんなことを言うと、睨んじゃうよ」
ミリイははにかみながら、眼鏡を外す仕草をするのだった。
昔に見た、彼女の金色の瞳。それはとても、とても綺麗な瞳で、未だに脳裏に焼き付いている。
別に、睨まれるのならそれでも構わない。ミリイの瞳を見ることができるのだから。
「……あたしは別に、勘違いされてもいいけど」
小さな声で呟かれたので、聞こえないふりをしておこう。
「ところで、ミリイの両親はどうしてるんだ?」
話題が欲しかったので、気になっていたことを聞いてみる。疎開で帰ってきていたとしても、ミリイ一人だけというのはちょっと気になる。
「んっと、家族でこっちに来てたんだけど、お父さんとお母さんは先に向こうに戻ったの。グレルほどじゃないけど、結構荒れてるみたいだから、家の片付けとか、色々あるみたい。それが落ち着くまで、あたしはこっちにいろって。学校もあと半年行かないといけないしね」
「ああ、そうか。学校か」
「毎日はやってないんだけどね。今日は休みだったんだけど、明日と明後日は学校に行かなきゃ」
戦後の混乱で、学校も落ち着かないのだろう。
ミリイの年齢だと、義務教育は終わっている。彼女の両親は教育熱心だった。高等教育に行かせてもらっているのも納得だ。
「……お兄ちゃん」
「ん?」
「お兄ちゃんさえよければ、ずっとここにいていいからね……?」
ミリイはこちらを覗き込みながら、小さく笑った。
ずっと。
ずっとは無理か。そんなに長くはいられない。長くいれば、間違いなくミリイに迷惑がかかる。
だけど、幼馴染と二人で暮らす。
そんな、ささやかな幸せを味わっても、罰は当たらないだろう。
ギリアムは返事の代わりに微笑むのだった。
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