君ノ瞳ニ恋シテル
あびす
第1話
列車の中が混雑しだした。
「……ついてないな」
その男、ギリアムは窓際の席でひとりごちた。
「兄ちゃん、そうやって座れてるのに、ついてないなんか言っちゃいけねぇよ」
ちょっと前から隣に座っている大柄な男が笑った。擦れた軍服を着ている。帰還兵のようだ。そう、自分と同じ。
男の鼻は上向きで、耳は尖っている。オークの血が濃いのだろう。だとすれば、その立派な体躯にも納得がいく。
「いや、ちょっと昔のことを思い出して」
昔のこと。戦場にいたこと。
「どうせ戦争のことだろう?」
「その通り」
「だと思ったよ。兄ちゃんぐらいの男はみんな戦争に行っちまってたからな」
「あんたもだろ?」
「おうよ。俺は海軍にいたんだ。兄ちゃんは?」
「陸だ。グレルのほうにいた」
「グレル! そこから帰ってこれたってのかい。兄ちゃん、ついてないことなんかねぇ。むしろ運がいいだろうよ」
男が目を丸くした。
グレルはこの戦争の最前線であった。いたるところに塹壕が掘り巡らされ、いたるところに砲弾が着弾した。戦争前と比べたら、はっきりとわかるほどに地形が変わった。
地獄だった。一ヶ月生きていたら運がいい。そう言われるほど、苛烈な戦場だった。そこで、ギリアムは二年間生き残った。そして、終戦を迎えた。
「俺は戦艦に乗ってた。アマセネルだ。あれの機関室でな、こうやって石炭を」
「狭いんだから、やるな、やるな」
石炭をくべる様子を再現しようとする男を制する。ただでさえこの座席は狭いのだ。そこで大柄な男に動かれてはたまったものじゃない。
「しかし、無駄な戦争だったな。人だけが死んで」
「金も領土も貰えなかったからな。死んだ奴らも浮かばれねぇよ」
前の戦争は四年間続いた。開戦の理由も曖昧なまま、あれよあれよと周りの国を巻き込み、気付いてみればほとんどの国がどちらかの陣営についていた。規模の割には、戦線の推移は地味なものだった。
毎日決まった時間に降ってくる砲弾。時折下される無謀な突撃命令。そして死んでいく戦友達。新入りの顔と名前を覚えたと思ったら、その新入りは死んでいく。名前を覚えるのも億劫になった。
日々を過ごすのは不衛生な塹壕の中。与えられるのは味気のない乾パンに、腐りかけの缶詰。たまに届く慰問の手紙。書かされたものだとわかっていても、それでも嬉しかった。
そんな地獄のような日々。その全てに慣れた頃、戦争は終わった。その情報が届いた瞬間、両陣営の兵士が塹壕から飛び出して抱き合ったという。その頃、ギリアムは後方の病院にいたので、その光景を見ることはできなかったのだが。
痛み分けという形で戦争は終わった。お互いに何も得るものがないまま、財産と血を垂れ流しただけで。
「まぁ、あんな戦争に巻き込まれただけでもついてねぇな」
「だろう?」
ついてない、と、ひとりごちたのは違う理由なのだが、男の言うことにも間違いはない。
『次はー、マイルズー。マイルズー』
車掌のアナウンス。ここらでも大きな都市だ。
「こりゃ、また混むな」
「ついてないな」
「兄ちゃん、ひょっとして口癖かい」
男が笑った。ギリアムもつられて笑い、客の入れ替わりを眺めるのだった。
あれから一時間ほどで隣にいたオークの男が降車して、座席は一気に広々とした。ここから目的地であるラグン東-ギリアムの故郷-まではさらに一時間ほど。混むところは過ぎたので、ぽつぽつと空き座席が増えてきた。
車窓に映る風景はのどかなものだ。ここらには戦火は及ばなかったようで、少しほっとする。なんでも、ここらは首都の人間達に疎開先として選ばれていたそうで、少し賑わったらしい。一年前に送られてきた慰問の手紙に書かれていた。
久々に他人と話し込んで、少し疲れた。一眠りするとしよう。
ギリアムは鞄を抱いて、目を閉じた。
彼女の瞳は綺麗だった。
『お兄ちゃん、また会えるよね……?』
とても綺麗な、金色の瞳。
『私、お兄ちゃんが無事に帰ってくること、ずっと、信じてる、から……!!』
自分はそれが、大好きだった。
『次はー、ラグン東ー。ラグン東に停まりまーす』
車掌のアナウンスで、ギリアムは目を開けた。いくら故郷が近付いているからといって、幼馴染みの夢を見るとは。自分もヤキが回ったのかもしれない。
荷物を持って、駅のホームに降りる。右足は動かないので、びっこを引きながら。降りた客は自分を含めて十人程。改札で切符を渡し、駅の外に。そこに広がっていたのは記憶とさして変わらぬ田園風景。少しの安堵を覚えながら、深呼吸。
目的地に向けて、少しずつ歩く。すると、後ろから声がした。
「や、兄さん。しんどそうやねぇ」
振り向いてみると、そこにはケンタウロスの若い女がいた。黒いロングヘアに、なかなか可愛らしい顔立ち。スカートから覗く馬の脚も黒い。馬の背には荷物がいくつかくくりつけられている。買い出しの帰りだろうか。
「……どうした?」
「いや、びっこ引いてはるから、歩くのしんどいんと違うかなーってな。ウチは向こうのほうまでなんやけど、方向同じやったら乗せてこうか?」
女はグレル訛りが強い。グレルから疎開してきているのか。ともあれ、彼女が向かう先は目的地と同じ方向。
「それはありがたいが、金なら」
「ええのええの。人助けやもん、ひ・と・だ・す・け。あはは、これだけ荷物積んでるんやもん。兄さん一人背負うのも大して変わらへんって」
女はけらけらと笑いながら手を振った。どうやら単純な善意のようだ。なら、善意はありがたく受け取っておこう。
「……じゃあ、お言葉に甘えて」
「せやせや。人の善意は受け取っとくもんやで」
女がしゃがんだので、彼女の馬の背に脚を揃えて座る。それを確認したら、女は立ち上がった。
「ほな、行こかー」
思わぬ形で楽ができた。女が運んでいる荷物に目をやってみる。古新聞にくるまれているものの、その形は皿に見える。食器の類か。
「兄さんはアレなん、兵隊さんやったん?」
「……まぁ」
「やっぱりなー。兵隊さんの服、着てはるしな。最近は戦争帰りの兵隊さんが多いわぁー。帰ってきた兵隊さんには優しくせんとな。じゃあ、兄さんはこの辺の出身やったん?」
「そうだな。この町に住んでた。……お姉さんは」
「あはは、ウチのことはナルルでええよ。ウチはこの辺の人間じゃないなぁー」
「じゃあ、グレルのほうか」
「そうそう。ここには疎開して来とるんよ。ようわかったなぁー。って、ウチの喋りじゃすぐバレてまうか、あはは」
予想通りだった。疎開と言っているが、今のグレルには帰るに帰られないだろう。民家なんか、ほとんど残っていないのだから。
「ラグンはええとこやね。兄さんはええとこで育ったわ。ホンマ、このまま居着いてもよさそうやわ」
「誰がえてこだ」
えてこ。グレルの方言で、猿のことだ。
「あはは、その返し久々に聞いたわ。兄さん、よう知っとったなー」
「グレル出身の奴がよく言ってたからな。まぁ、ここを気に入ってくれたのなら、なんだか嬉しいよ」
「あはは、そいつはどうもやで」
ナルルは笑い上戸なのだろうか、よく笑う。こんなに笑う女性と話すのは久々のことだ。
「それにしても、兄さんの」
「ギリアムでいい」
「あはは、ようやっと自己紹介終わったなぁ。ギリアムさん、右脚、悪そうやね」
「悪いも何も、義足だよ」
半年ほど前、ギリアムは右足を失った。この半年間は入院とリハビリ。リハビリの成果か、義足で歩くことには慣れた。
「ホンマ? それやったらなおさら声かけてよかったわー。歩くのもしんどいやろ?」
「まぁ、慣れはしたがね。それでも助かってるよ、ありがとう」
「あはは、ギリアムさんは男前やからなー。そうお礼言われると恥ずかしいわぁ」
若い女から、男前、と言われて喜ばない男はいない。たとえお世辞だとしても。
「そんなに褒めても何も出ないぞ」
「えー。言って損したわぁー」
ナルルと世間話を交わしていると、目的地の近所に着いた。
「……あ、ここまででいい」
「ホンマ? じゃあ、足下気ぃつけてなー」
ナルルがしゃがんだので、彼女の背から降りる。
「あはは、だいぶ軽うなった。ギリアムさん、見た目よりも重いなぁ」
「よく言われるよ」
「じゃ、ウチはこっちやから。そこ曲がった辻の『フェンテ』って食堂で働いとるからね」
聞いたことのある名前。昔、たまに行っていた食堂だ。
「なんだ、営業か?」
「あはは、違う違う。ただ、ギリアムさんは男前やから、来てくれると嬉しいなーって」
「まぁ、運んでもらった礼もあるし、また後で行くよ。……本当に助かった。ありがとう」
「あはは、ウチもギリアムさんと話せて楽しかったわー。ほな、またな」
ナルルは手を振りながら、フェンテの方向に歩いていった。さて、ここから目的地まではほんの少し。見慣れた路地を歩く。ここに住んでいた頃と、何も変わっていない風景。やはり、ほっとする。
「……おや、ギリアム君じゃないかい」
近所に住んでいた顔なじみの女性が声をかけてきた。昔と比べると、少し太ったか。
「ああ、どうも。なんとか生きて帰って来れましたよ」
「……その様子だと、大変だったみたいだねぇ」
びっこを引いている様子を見られていたようだ。
「脚を吹き飛ばされまして。まぁ、命があっただけで儲け物ですよ」
「違いないね。で、そっちに行ってるってことは……」
ギリアムが歩いている方向。それは実家の方向。
「……何があったのかは知ってますよ。ただ、けじめっていうか、そんなところです」
「……そうかい」
「……両親が迷惑をかけたと思います。すみませんでした」
「ギリアム君に謝ってもらうことはないよ」
女性に頭を下げて、実家の方向へ。
少し歩くと、実家が見えてきた。見慣れた建物。見慣れた柵。手入れがされていないのか、荒れた庭。
そして、柵に貼られていたものは。
【管理物件 入居者募集中】
この貼り紙。
「やっぱり、叔父さんからの手紙のとおりだったな……」
ギリアムは休憩がてら、門の前に腰掛ける。病院にいるときに、叔父から送られてきた手紙。父が博打で多額の借金を作ったまま急死。借金を返すあてがなくなった母は蒸発。家は差し押さえられた、という手紙。読んだときは病院で変な声を出してしまったものだ。
試しに鍵を玄関に差し込んでみたが、やはり回らない。ため息をつく。
叔父のところに行くという手もあった。だが、叔父の一家とは昔から折り合いが悪い。手紙の文面も事務的なものだった。
ともあれ、実家の様子を見る、という一つの目標は達成。この先、どうしようか。
あまり長居はできないのだし。
ギリアムは実家に向かって軽く頭を下げると、この場から立ち去った。
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