人を頼る

 ――松尾、あなたは私の命を助けた。私は松尾を信じてもいいの?


 その言葉には、透子の思いの全てが詰まっているように思えた。

 透子は、自分のことを無価値だなどと思い込んでいるらしい。

 だが、そんなことは決してない。

 断言しよう。

 人間である以上無価値なわけがあるもんか。

 透子だってしっかりとした人間なんだ。

 そんな一人の人間が追い詰められている。

 飛び込み自殺までしようとして、俺はそれを助けたのだ。

 そして俺を頼ってくれている。

 乗りかかった船程度の認識でいては駄目だ。

 ここからは本気で向き合おう。

 俺は考えてみた。

 例えばここで「クソ兄貴との縁なんて切って、俺と暮らすか」なんて言ってしまったとする。そうすると、残念、俺は未成年略取の罪で逮捕されてしまった。となり、松尾昇の名がJKを拐った変態お兄さんとして全国に広まる。待っているのは世間からの大バッシング。

 ……ということになりかねない。

 俺は情けなくもヘタレだった……。

 そして正直なところ、この女子高生の抱える問題は俺の手に余った。

 父親のネグレクト。

 クソ兄貴の近親相姦。

 自分は価値のない人間だ。そう思い込む女子高生。

 俺の力ではどうあっても全てを解決できそうにない。

 俺が出来そうなのは、せいぜいクソ兄貴を殴ることと、彼女が価値のある人間なのだと分からせてやることくらいか。

 父親はまず無理、説経するにせよ、年季で負けそうだ。頑張ってはみるが、どうなるかは分からん。

 俺は無力感に苛まれた。

 だから、


鍋島なべしまを呼ぶか」


 超人の力を頼ることにした。鍋島みたいな超人はこんな時のためにいるのだ。こういう時こそ役に立ってもらう。

 それこそ警察に連絡すべきかも迷いはしたが、俺と話をしたことにより、希死念慮死にたい気持ちが収まってきているであろう今、藪蛇やぶへびになりかねない。

 鍋島ならまあ何とかしてくれるだろう。

 とかいう信頼感? もあった。


「誰……?」


 当然、透子は首を傾げる。

 そんな透子の顔をじっと見ながら、俺は考えた。

 アレの存在を知らないままでいた方が幸せなんじゃないか、と。


「……どうしたの松尾?」


 けれども、仕方がないだろう。ここまできたら頼るしかない。


「……ねえ?」


 急かす透子に促されるように、俺はこの問題を解決するために、やむを得ず口にした。


「ミラクル弁護士だ。奴は超法規的措置でも何でもやってのけるバケモンだ」


「なにその宇宙人」


「さあな、俺も聞きたい」


 俺は早速電話を掛ける。


「鍋島、お前がいてくれてよかった」


『いきなりなんです? 結婚詐欺でも始めたんですか? 弁護士相手にそれやるって松尾さんも度胸ありますね』


「俺はお前の存在に初めて感謝をした」


『それ、なんかひどいじゃないですかー』


「同輩のよしみですぐに来てくれ。知り合いが窮地なんだ」


 と頼む。


「……知り合い」


 透子がボソッと呟いた。

 電話の向こうの鍋島も流石に空気を読んだのか、


『わかりましたー。飛んでいきます!』


 快い返事をしてくれた。

 すっ飛んできてくれるらしい。

 しばらく待つと、ヘリコプターの音がした。


「なんか嫌な予感してきた……」


 透子がそう言うのもわかる、俺も冷や汗かいてる。

 しかしまあ、


「まだUFOじゃない分、マシだろ……」


 言ってみていつかはあり得そうだなと思う。俺はそれにゾッとした。




 数分後、鍋島がタリーズに乱入してきた。


「どーも! リアリティーなんてクソくらえ! 闇が丘法律事務所所長兼弁護士の鍋島心咲みさきです! 得意分野は文書偽造(ばれない)です! そして最終奥義は超法規的措置! マジパネェを地で行くスタイルです! 文句を言うやつは屠殺場行きだあ! ちな、諜報もやってて個人情報を丸裸にします! よろしくお願いします!」


「……怖い」


 透子はドン引きしていた。


「……慣れろ」


 なお俺は諦観している。早くこいつ捕まんねえかな? 称号が天才少女ピアニストだった時は寡黙でずっとましだったぞ……それがどうしてこうなったんだ……がっくり。と出会う度に思う。

 鍋島は、まず透子を見て、


「貴女、神待ち少女?」


「……違う」


 鍋島は、続けて、俺を見て、


「泊め男?」


「ちげえよ!」


 俺は声を大にして否定した。


「JKを拾ったと皆言うんですよね……」


「俺はやってない!」


「なら、JKのネガティブ・オプションでもされたんですか?」


「人身売買って、おい! ……というか、いい加減、話進めていいか?」


「くどかったですか、スミマセン。どうぞ」


 俺は透子に向き直り、


「じゃあ透子ちゃん、まずはクソ兄貴の事を片付けよう」


「……うん」


「クソ兄貴?」


 鍋島が首をかしげる。

 すると透子が言った。


「お兄ちゃんが近親相姦をしてこようとした。犯されるの嫌。何とかしてほしい」


 なんか告発みたいだ。

 鍋島は「え?」って表情で固まっている。俺を見て、目で「そんなことで呼んだの」と語り掛けてきたので頷きを返す。

 鍋島は、


「さいですか……」


 と言葉を漏らした。どうやら鍋島は落胆しているようだ。奴にとっては、近親相姦なんて、なんだ、そんなことか。程度の問題なのだろう。

 まあ仕事だし、取り組んでくれるようだ。


「そのお兄さんの名前は?」


 気を取り直した鍋島は透子に尋ねた。


「辺見佑久たすく


「わお古風なお名前! 佑久さんですね。それでその人との近親相姦を違法にすればいいんですか? やったら即屠殺場送りでOK?」


「ああ、そうだ。屠殺場でも何でもやっちまえ」


「受けたまりましたー! そのくらいならチョロいです♪」


 佑久はあの鍋島にマークされてしまった。これでもし次やったら佑久はとんでもない目に合うだろう。


「流石に屠殺場は止めてね……?」


 よし、これで近親相姦は封じた。

 目敏く鍋島は訊いてくる。


「まだありますよね? 次はなんでしょう?」


「と、その前に――」


 透子を見て俺はキリッとした。


「透子ちゃん、佑久捨てて俺と暮らすか」


「……いいよ」


 透子は、指でOKマークを作った。俺を見ているようで、視線が若干他方に逸れている。照れているっぽい。

 たった一回の過ちで佑久はあっさり捨てられた。

 佑久は、過ちはおかすもんじゃない。と身をもって証明してくれたのだ。


「というわけで、透子との同棲を合法にしてくれ」


「了解です! では早速親権者のもとへ許可をもらいにレッツゴー!」


『……おお』


 ……というわけで親権者のもとへやってきました。

 透子の父親が一人住んでいたのは和風の家だ。

 透子の父親は和服を着ていた。見るからに堅物そうななりをしている。一人娘をネグレクトするような人には見えない。透子の知り合いだと伝えると俺と鍋島を部屋まで通してくれたし。

 勝負を仕掛けよう。

 俺は開口一番、威圧的に行く。

 威張ることにより、自己の優位性を誇示する。

 そうでもしないと勝ちの目がなさそうだと思った。

 相手が思ったよりも貫禄があった。

 正直、内心ビビっている。


「おい、ネグレクトクソお父様!」


「……いきなり何だ? というかさっきから聞いているが誰なんだ?」


「あんたのネグレクトと兄貴の近親相姦未遂で気を病んで飛び込み自殺をしようとした娘を助けた、松尾だよ! 話は全部聞いてるんだ! 奥さんを失ったことには同情するが、娘をネグレクトしたのは許さんぞ!」


 言ってやってるうちに、ふつふつと怒りがわいてきて、気付けば捲し立てていた。

 言った後は、しぼんだ風船みたいな状態だ。

 どんな返事が返ってくるか、緊迫し、メンタルが抉られる。


「そうだそうだ! 屠殺場送りにしますよ!」


 そんな時なのに鍋島は平常運転だった。俺の横で屠殺場とか持ち出すの止めてほしい。同類と思われる。


「やめて。親なの」


 俺に便乗する鍋島の物騒な発言を透子が諫める。

 唖然としていた透子の父親は、やがて言った。


「……すまん。どうしても家内のことが忘れられないのだ」


 沈痛そうな表情だ。やはり透子の父親も辛いのだ。


「辛いのはわかるが、まず娘に謝ってやれよ」


「……悪かった」


 透子の父親は、透子に謝罪した。


「お父さんも苦しんでいるんだよね……。私が生まれたばっかりに……」


「……透子と別れて生活することになって私は自分が愚かだったと認識した。あれだけ冷たく当たっていたというのに、とても寂しくなったんだ。透子は、大事な私の一人娘なんだ。その価値を、失って初めて分かったよ……。私は愚かな父親だ……」


 透子の父親は自嘲気味な笑みを浮かべる。

 そして、


「透子、愚かな私を許してくれ」


 透子の父親は頭を下げた。


「……お父さん」


「たまにでも会いに来てくれるか?」


「うん……。番号交換しよう」


「……LINEでいいか?」


 透子が頷き、透子と透子の父親はLINEの交換をした。

 ひとまず透子の父親とはこれで和解することができただろう。

 一度距離を置いたのが、覿面に効いたのだ。

 透子の父親が娘に対して考え直し、正しい結論を出していたのには驚いた。

 奥さんへの未練に執心して、ネグレクトをし、あまつさえ、娘に対して言ってはならないことも言ったりする駄目な父親では終わらなかった彼を俺は見直していた。

 無事に片付いてよかった。辺見家の事情に至って所詮部外者である俺は、二人が少しずつでも打ち解けてくれることを願おう。ただし佑久は許さん。

 俺はタイミングを見計らい声を掛ける。


「お父様、娘さんと同棲してもいいですか?」


「お父さん、私からもお願い」


「……透子が納得しているなら、いいぞ。私が年頃の娘と暮らすのはちょっと色々とな……。若い人が娘の面倒を見てくれるなら助かる」


 透子の意思を尊重したというよりも、そうするしかなかったような感じだ。ネグレクトクソ親父だった自分が、許さなかったり認めなかったりする立場にあると思っていないからか。

 もう許可出たのに、さらに鍋島が詰め寄る。


「同棲してもいいですか? いいですよね?」


「ああ、勝手にしろ」


 透子の父も、ウザかったのか、さっきとは違いなげやりな回答だ。


「勝手にしろ、頂きました。ここにサインしてくださいね~」


「あ、ああ……」


 親の許可を得れたので合法になった。合法JKだ。……違法? ファンタジーの世界に迷い込んだとでも思ってくれ。


「佑久にはキツく言い含めておく……。期待はするな」


 別れ際にそう言ってくれた。

 佑久の死期が近くなった。




 そうして帰り道。


「まあ超法規的措置で全部済んだんですがねー。せっかくなので遊びました」


 悪びれずにしれっと言う鍋島。


「透子の父親で遊ぶな。お前が、本気になって取り組んでくれなかったからほとんど俺が頑張らされたじゃないか。せっかく頼ってやったのに」


「おやおや、そんなこといっていいんですかー? さっき透子さんの父親に同棲の許可を書面に書いて貰ったのに渡しませんよー」


「悪かったよ。お前は有能だ。居てくれるだけで心強かったし、お守り以上の働きはしていたよ」


「そしてもう一枚! この書類は、JKと同棲したいお兄さん垂涎の品! その名も『合法JKの書』! しかもあなたしか使えません。年下JKとのあれこれに対して、誰がなんと言おうと合法になります! 警察にも絶対逮捕されない! すごい!」


「すごいな。だが要らん。そんなもん破り捨てて帰ってくれないか。法律が崩壊する。今回の代金は口座から勝手に抜いちゃってくれていい。おつかれ」


「はーい。おつかれさまでした! また何か問題があればご連絡ください! ――もちろん透子さんも! 連絡先はこちらです!」


 透子への名刺を置き土産に、そのまま鍋島はどっかへ去ってゆく。

 また連絡することがあるのだろうか?

 鍋島はあまり乱用すべきじゃない。奴は例えるなら違法薬物みたいなものだ。

 俺は額を拭ってため息を吐いた。


「……ふう。やっとまともな世界に戻った」


 幻覚を見ていたような心持ちだ。

 すると、透子が、


「ラブコメの始まり?」


「茶化すなよ」


「別に茶化したわけじゃないんだけどね……」


「どうだかね」


「……つれない」


 そういうわけで俺と透子の同棲生活が始まろうとしていた。


「とりあえず俺、出勤するわ」


「だよね。ごめん」


「気にするな」


「色々ありがとう。帰ってきたらちゃんとお礼するね」


「楽しみにしておく」


 そして透子に、うちの住所を伝え、合鍵を渡した。

 透子が改まって言った。


「これからよろしく」


「……おう」


 なんだか初々しいな。




 空いている電車なんて出勤で久々に乗った。

 会社に着く。

 重役出勤の気分を味わいながらおそるおそる自分のデスクへ歩いてゆく。

 すると、俺を見付けた瀧本さんが仕事を止め、声を掛けてきた。


「おう、松尾。解決したんか」


「ええ、まあ」


「女子高生とうまくいきよったか?」


「はい」


「そうか。よかったのう。――そいえば言ってはおらんかったが、うち今月からフレックスタイム制導入されたんやで。じゃから、どっちにせよお咎めなしじゃい。インターンの立場じゃからってビビりすぎじゃい」


「はあ!?」


 おざなりすぎて困る。

 働き方改革の波はうちみたいな零細企業にまで及んでいたらしい。

 俺はめでたく無罪放免となったのだった。……はあ。


「早めに言ってくださいよ」


「言おうとしたら女子高生に変わったんじゃろうがい」


 そいつは悪うございましたね。


「じゃあなんでキレたんですか?」


「嘘だと思うたからに決まっとるじゃろうが! つーか。んなことはどうでもええから、はよう働かんかい!」


 またもやキレられてしまった。

 ……血の気が多すぎる。


「……すみません」


 仕事を再開した瀧本さんに背を向けた。こっそりため息をつく。

 すると、


「おっと、忘れるところじゃった」


 また声を掛けられて、ビクッとする。


「まだなんかあるんですか?」


 俺は内心うんざりしつつ、問い掛ける。

 瀧本さんは自分のデスクの上にある飲み物の容器を手に取り、こっちに来た。


「ほれ。これ飲んで、励め、若人」


 そう言って、瀧本さんがラムネをくれた。

 踵を返した瀧本さんの背中に向けて、お辞儀をした。


「生意気なこと思ってすいませんでした! あなたは最高の上司です!」


「やめーや。恥ずかしい」


 瀧本さんは手をヒラヒラさせてみせて、デスクへ戻る。

 ようし、俺も気張って仕事に取り組むぞ。

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