自殺志願の理由

 女子高生が立ち止まる。

 俺は前方の店を見た。――なるほどな。


「ここにしよう」


 連れてこられたのは、タリーズ。

 落ち着いて話すには順当だ。


「入るよ」


 女子高生に引っ張られて、店内に導かれる。

 俺が注文を促すより前に、彼女は手近な席にすとんと座ってしまった。

 女子高生は目の前の席を示し、


「松尾、お座り」


「俺は犬じゃない」


「……くす」


「今、ちょっと笑っただろ」


 俺が見咎めると、女子高生はすんと真顔になった。


「気のせい」


「嘘吐け、せせら笑いが聞こえたぞ。わずかに頬も緩んでた」


「馬鹿にしてはいない。ちょっと微笑んだだけ」


「やっぱり笑ってるじゃないか」


「あ、」


 透子がやってしまったというような顔をする。

 けれどすぐに、


「……」


 きちんと座り直し、何事もなかったかのように取り澄ました。

 再度、目の前の席を掌で示し、


「松尾、座って」


「……おう」


 俺はやむなく席に着いた。

 という訳で、俺たちは、テーブルを前に向き合って座る。

 俺はテーブルに両肘を付いてその上に顎を乗せた。

 女子高生を、じっと見詰めてみるも、全く動じない。


「……」


 女子高生は自分から連れてきた癖に自発的に発言しようとしない。あくまで俺が訊くのを待つスタンスのようだ。

 このまま二人して黙っていても時間が無為に消費されるだけだ。

 やむなく俺から切り出すことになる。

 しかし、いざ訊くとなると、女子高生の自殺志願に、どんな理由があるのか想像がつかず――


「とりあえず飲み物を頼もう。何も頼まず、くっちゃべるわけにはいかんだろう」


 俺は正論を述べたが内心、女子高生からの話を訊くことに対し、怖じ気づいていたひよった


「そうだね。うっかりしてた」


「うっかりしてたんかい!」


 声をあげた俺に店内の視線が集中したのは言うまでもない。ちょっぴり恥ずかしかった。




 というわけで注文を終えてきた。

 俺の前には本日の珈琲。女子高生の前にはこってこてにカスタマイズされたヨーグルト&アサイー。めちゃくちゃ甘そうになっていた。お店の酸味と甘さのバランスを楽しませようというコンセプトを根底からぶち壊している。

 デリカシーに欠けるから口には出さないが。太る心配をしなくていいのか?

 ひとまず俺は珈琲を飲んだ。ウマい。

 女子高生もそれを見届けて、ストローを咥え、ちゅーと飲む。無表情なようで、僅かに頬が緩んでいる。テーブルの下で足も動いてないか?

 というか、俺の顔を見ながら飲むのは反則だろう。


「お兄さんの顔を見て飲むヨーグルト&アサイーはウマいか?」


 言ってみて、長いなと思う。


「うん。美味しいよ、ヨーグルト&アサイーは」


「は、ってなんだよ」


「……なんだろう」


 首を傾げ、考える素振りを見せる。天然ボケか。

 俺の顔を見ながらやられるものだからたまらない。


「あんまり人の顔をジロジロ見るものじゃないぞ」


「悪い顔だったらそんな見ない」


 ……。


「あっ」


 女子高生は時間差で失言に気付いたのか、顔を背けた。頬がほんのりと朱に染まっている。

 ややあって、再びヨーグルト&アサイーを飲み始めた。


「……美味しい」


 なかったことにしたいらしい。

 からかってやりたい気持ちにかられたが、かわいそうだし乗ってやるか、


「しかしそれ甘くないか?」


 俺はそう尋ねる。さっきから平然と飲むものだから、多少気になっていた。


「飲んでみる?」


 俺が頷くと、「どうぞ」と差し出された。

 俺は別のストローを用意しようとする。せめてもの配慮だ。


「別にそれで飲んでいいよ」


 お言葉に甘える。ストローを咥え、ちょびっと飲んでみたら、甘すぎて噎せた。


「……大丈夫?」


 心配してくれる女子高生に手で平気だと示す。

 ひとしきり咳をしてから、俺は感想を述べた。


「とにかく甘い、甘すぎる。甘さの暴動だ」


 アサイーのケチャップみたいな味は不在のようだ……。


「……」


 じとーっと、女子高生はなじるような目で俺を見た。


「軟弱もの」


 むすっと言って、自分の元に取り返した。

 ……理不尽だ。




 そろそろ自殺志願の理由を訊くか……と、その前に名前を訊いておこう。少しは興味がある。

 教えてくれなかったら、不思議ちゃんって呼べばいい。


「ところでお前、名前は?」


辺見へんみ透子とうこ


「ほお。覚えやすい名前だな」


 漢字の数はともかく、振り仮名は松尾のぼると同じ六字だ。若干のシンパシーを感じてしまう。


「透子は透明な子」


「透けるのか?」


「……」


 透子は視線を下げ、自分の制服を見た。


「透けてない」


「よかったね」


 俺が冗談なのか本気なのかわからない発言を適当にあしらうと透子が問い掛けてくる。


「辺見は分かるよね?」


「ああ。変な奴の変に見せパンの見だろ」


 透子はむすっとした。


「なにそのジョーク、面白くない」


「だよな」


 思ったことを適当に言っただけだから自覚はあった。


「二等辺に見る、ね」


 学生らしい例えだな。


「で、透子ちゃんね」


 思いきって名前を読んでみたのだが、


「うん」


 透子は平然としていた。

 名前読んでみても全然通用しない。年頃の娘ならば、ちょっとは反応するものだろう、普通。いや、よく見ると、ちょっと嬉しそうだ。続けてみるのも、悪くないかもしれない。

 透子は表情の変化が乏しいらしい。その辺りも過去に関わりがあるのだろう。

 俺は透子の瞳を覗き込み、


「透子ちゃんはどうして自殺しようとしたんだ?」


 飛び込みの理由を尋ねた。


「それは……」


 透子は少し躊躇したが、やがて滔々と話し始めた。


「うちはお母さんが私を命と引き換えに産んでしまったがゆえに、シングルファザーだった。お父さんはきっと私を恨んでいる。現にネグレクト気味だった。愚かだった私は、幼い頃、物心が付くまではお父さんを怖く思っていた。けれど、物心が付き、お父さんの言う。お前のせいで母さんは死んだんだ。……その意味が分かってしまうと、いたたまれない気持ちになった。今の私は母親を殺した分際で父に同情している……。思えば、私はその頃から自分の価値が分からなくなっていった。自分の存在はそこまで価値があるものなのか。それを考えると眠れなくなる。私のせいでお母さんが死んでしまった。そう思うと、どうしようもなく胸が、痛い」


 透子は胸を抑えた。彼女の境遇を知り、俺は、とてもいたたまれない気持ちになった。


「お前のせいじゃない」


「ありがとう。私もそれは分かっているつもりなんだ……」


 透子の表情に陰を感じた。


「そんな顔をするなよ」


 透子は一瞬目を見開いた。


「ごめん。心配かけちゃったね……」


「気にすんな」


「……続きを話そう。ところで私にはお兄ちゃんがいる。私を幾度となく気に掛けてくれるいいお兄ちゃんだった。胸中では父と同じように思っていたのかもしれないが、たとえ、お兄ちゃんが実は仮面を被っていて私への憎悪を隠していたとしても、その優しさが繕われたものであったとしても、私はお兄ちゃんが好きだった。お兄ちゃんは私を決して責めなかったからだ。父親とは違い、生理への理解も示してくれた。途方にくれていた私に手を差し伸べてくれたのは記憶にあたらしい。だからこそ私も頼りにしていた」


「いい奴だな、お兄ちゃん」


 俺は透子の発言がいちいち過去形であることを深く考えずに、心中で兄を称賛していた。


「……そんなことはない」


 透子は肯定しなかった。


「そんなお兄ちゃんが成人し、私を連れ出してくれた。お兄ちゃんは救いのヒーローだと思っていた。わたしはお兄ちゃんを信じていた。それなのに……」


 いい淀んだ透子は目を伏せた。

 一口、ヨーグルト&アサイーを飲んで続ける。


「今朝、いつものように私を起こしに来たお兄ちゃんは、いつもとは違っていた。お兄ちゃんは私のパンツを頭に被って、おはようのキスだ。と私に迫った。唇だけはどうにか死守した私は、そのままお兄ちゃんにレイプされそうになった。服を脱がされそうになって、必死で抵抗して、無我夢中だった。お兄ちゃんは、私があまりにも抵抗するから諦めてくれた。萎えた、とお兄ちゃんが仕事へ行った隙に、私は制服を着て家から逃げ出した。幸いにして処女は守れた。それでも、お兄ちゃんにレイプされそうになって、私は人生を悲観した……」


「よし、そのクソ兄貴ぶっ飛ばそう」


 さっきの俺の称賛を返せ、とんでもないクズじゃないか。近親相姦要素でもあるエロゲでもやったのかよ、クソが。それは実行してはダメなやつだろ。


「おう」


 透子も、握った両手に力を込めつつ、頷く。

 しかし、


「けど怖い」


 威勢がよかったのは一瞬だけで、すぐにしゅんと縮んでしまう。


「大丈夫だ。俺が殴る」


 俺は作った拳固に力を込める。


「そうじゃない。暴力は嫌なの」


「……そうか、ごめんな」


「ううん。少し気が楽になった」


「それは何より」


「……じゃあ続きを話す。普段は優しいお兄ちゃん。それなのに、お兄ちゃんは実は性欲まみれの変態強姦魔、言い直そう……、飢えたけだものだった。私はとても怖くなった。犯されるのは、怖い。なのに、私には、もうお兄ちゃんしか養ってくれる存在がいなかった……」


 一旦言葉を切る。

 そして透子はひどく沈痛な面持ちで言った。


「感情の希薄な私には友達すらもろくにいない。唯一の頼れる存在を失い、すがれる存在もいない」


 透子は顔を伏せる。


「だからもう死ぬしかない。価値のない私が生き続ける理由なんてない。そう思った……」


 聞いていて、とても悲しくなった。


「……そんなこと言うなよ」


 俯いていた透子は顔を上げ、俺を見た。

 すがるような表情に、俺の意識は引き寄せられた。


「松尾、あなたは私の命を助けた。私は松尾を信じてもいいの?」

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