花瓶バラバラ事件

第1話 友から緊急の電話・拓郎視点

 お昼ご飯を食べ終わり、おれと学は教室でお喋りをしていた。龍一は、田島(たじま)浩太(こうた)と外でキャッチボールしているため不在だった。


「知ってるか拓郎?」

 と学は言った。

「なに?」

「アメリカのストリートファッションではな、スニーカーの靴紐を取って履くこともあるんだよ。刑務所に入るとき、靴紐を没収されるとこから始まったらしいぞ」

「なんで没収されるん?」

「脱獄に使われたりとか、靴紐を使って自殺するのを防ぐためらしい」

「へえ」

 おれは感心して何度か頷いた。さすが学は博識だ。


「おれも一回してみよっかな。でもなんで学がストリートファッションのこと知ってんの?」

「最近、ちょっと目覚めてな……かっこいいなって思って……」

 学は照れて頬をポリポリと掻いた。成績優秀の学がストリートファッションに身を包んでいるのを思い浮かべ、にやりと笑った。想像の中で学はポーズを決め格好つけていた。


 おれが迂闊に質問してしまったものだから、学はストリートファッションについて熱弁しだした。好きになって日の浅いにわかのくせに。

 興味がなかったので、適当に返事し聞き流しておいた。


「だからぶかぶかの服ってのは――おい、てめえ! ちゃんと聞いてんだろうな!」

「聞いてる聞いてる……。お、電話や」

「そんな嘘ついてんじゃねえ」

「いや、マジやってマジやって」


 おれはポケットから震えるスマホを取り出した。龍一からの着信だった。キャッチボールに向かったはずだが。参加しろというお誘いだろうか。


「もしもし、どうした?」

「た、拓郎……」

 龍一の震える声が聞こえてきた。ただ事ではなさそうだ。面倒ごとでもありそうだ。

「なんや、どないしたんや?」

「こんな駄目な僕にも優しく声をかけてくれるんだね……」

「そんなんいらんねん。本題を言え本題を!」

「ううっ、全然優しくないや……。実はね、まずいことが起っちゃってね……、田島なんて消されてしまうって怯えてるんだぁ……」

「何があってん」

「とにかく、美術室の裏に来てくんない……? 頼んだよ」

「おい龍一、どういうことやねん。おい!」


 おれは耳からスマホを離し、通話が終了した画面を見た。


「あかん、切れてる……」

「なんだったんだ?」

 学は訝しげにしていた。

「まずいことが起ったから来てくれやって」

「そうか、頑張れよ」

 学はじゃあと片手を挙げ去ろうとした。


 逃がすおれではない。がっちりと肩を掴んでやった。

「どこ行くねん」

「ちょっと新たなストリートファッションのアイテムを探しに……」

「まだ放課後ちゃうわ! 友達のピンチやろが、おれらで行くんや!」


 おれは学を引っ張り、美術室裏まで向かった。


 美術室の裏手にはテニスコートがあり、その間には少しスペースがあった。キャッチボールくらいならできるだろう。グランドからは体育で使うための倉庫があり視界が遮られ、人通りも少なく、よくおれたちはたむろしていた。

 龍一と田島は体を丸め怯えながら立っていた。田島は野球部に入っており坊主にし、肌も健康的な褐色だった。


「拓郎、来てくれてありがとう!」

「すまん、ありがとう!」

 龍一が言うと続けて田島も言った。龍一は潤んだ瞳で学を見ると、

「学も来てくれたんだぁ」

「まあな……」

「大好きー!」

「抱き着こうとするな、きっしょいな!」

 突撃してきた龍一を、学は頭を押さえ阻止した。仲がいいことだ。


「で、いったい何があってん」

「それがね、キャッチボールしていて割っちゃったんだ……」

 龍一は美術室の窓を指さした。

「窓を割ったんか!」

「ううん、窓は割ってないよ。閉め忘れたのか窓が開いていてね、それで近くに置かれてあった花瓶にボールが当たってしまったんだ」

「マジか……」


 おれたちは窓に近づき覗き込んだ。窓がある壁際には背の小さな棚が並んでいて、いつもその上に花瓶が置かれていた。今は見るも無残に床に落ち割れていた。花瓶バラバラ事件である。花瓶なのに花が挿さっていなかったが、中に入っていた水は、現在もかすかに広がり続けていた。


 振り返り、龍一を見た。


「誰も気づいてないのか?」

「気づいてないと思うよ」

「ああ、美術室の上は図書室だが、音を聞きつけ顔を覗かせるってこともなかったし」

 と田島が補足説明を入れた。

 お昼休みで美術室の近くに人もいないだろうし、広範囲に音が聞こえるわけでもない。グランドに人がいても、倉庫で視界が防がれている。花瓶が割れたことに気づかれていないとみるべきか――。


「このことがばれたら、生徒会長にどやされてしまう……」

 田島の表情に翳りが見えた。田島は生徒会の所属だ。生徒会長は厳しい人だし、知られたくないのだろう。龍一はシンプルに怒られるだけでいいだろうが。

「だから会長には知られたくないんだ。何かいい手はないか拓郎!?」

「そうだよ、何か案を出してよ。悪さを誤魔化すのはいつものことじゃん。悪いことばっか考えてるんだしさ!」


 その龍一の発言に少々むかっ腹が立った。


「それが人にものを頼む態度かねぇ……」

「も、申し訳ございません……拓郎様……!」

 龍一は泣き出しそうな顔をして、足にまとわりついてきた。ズボンにすがりつき、情けなく表情を歪めている。お侍様とお百姓みたいだ。いつかの時代劇でこのようなシーンを見た。

 龍一にはプライドというものがないのだろうか……。


 だが友達の頼みを無下にはできない。田島にも、別棟の教室を借りる許可を生徒会からもらうとき、随分とフォローを入れてもらった恩もある。


「わかった、なんとかするわ。友達の頼みやしな」

「たくろ~」

 龍一と田島はおれの胸に飛び込んできた。今度は教師と生徒のようだ。泣きながら飛び込んでくるシーンを、いつかの青春ドラマで見た。


 おれはうざったい生徒を払いのけると、顎に手を添え思考を巡らせた。

 昼休みはもうすぐ終わってしまう。計画を素早く立てなければ。こうして固まってるところを見られたら、怪しまれてしまう。


 いかにして誤魔化すか。


 このままとんずらしてしまったら、キャッチボールをしていた龍一たちが怪しまれるのは必然。キャッチボールをしていたのは誰も見ていない、と賭けるのはあまりにもリスキーだ。

 花瓶を持ち去り隠蔽するという手もあるが、いずれ無くなっていることが明るみに出てしまうだろう。そうなれば風紀委員が出動し、じきに勘づかれあっという間にキャッチボールまで辿りついてしまう。


 さて、どうするか――。


 おれはあたりをぐるぐると回り、頭を動かした。


「おお、なんかさまになってるな……ドラマみたいっていうか……」

 と田島が、龍一に向かってひそひそと話しているのが聞こえた。田島もいつかのミステリードラマでこのようなシーンを見たのだろう。

 そういえば、ホームズはよく部屋を歩き回り考え事をしている。モリアーティと呼ばれているのに、皮肉なものだった。

「ああして、考えてるんだよ」

「なるほどなぁ……。ドラマだと、閃いたらかっこいい決めゼリフとかあるんだよな……」

「確かにそんなのあるね」


 おれはぴたりと立ち止まると、田島たちの方へ向いた。


「――整いました。万事うまくいくことでしょう……」

「要望に応えなくていいんだよ!」

 学に容赦なく指摘をされた。少しでも観衆に楽しんでもらおうと思っただけなのに。


「冗談なの? 本当に思いついたの?」

「ほんまや」

 龍一の問いかけに、おれは首肯した。

「本当なんだ! どうするの!?」

「簡単な話や、アリバイを作ればいいねん。アリバイがあれば、特定されへんやろ」

「か、簡単な話かな、それ……?」

「大丈夫、おれの頭の中にはちゃんと策がある。花瓶の割れた時刻を誤認させたらいいねん。何かが割れた音がして向かい、花瓶が割れていたらついさっき割れたって思うやろ?」

「思うね!」

 龍一はおれを信じ切り、晴れやかな表情を見せた。田島は不安の混じった目でいたが、期待はしていてくれているようだ。


「真っ向勝負や! 具体的な方法はあるけど、成功させるには情報も欲しい。質問するから、知っていることがあれば教えてくれ」

 みんなは真剣な顔をして頷いた。困難を乗り越えるため、心が一つになった感じがした。俄然、燃えてきた。

 足りない情報を補完し、計画を実行できる確信を得ることができた。


 いけそうだ――。あとは実行あるのみ!

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