第9章 指名手配犯として②
日中、他愛ない会話を楽しむ生徒の声や教鞭を執る教師の声で活気づいている学校も日没を迎える頃になると再び静寂と暗闇が包み込んでいく。夜を迎え、秋風が吹きすさぶ用具室で1人寂しく打ち震えていると無人とかした廊下から足音が聞こえてきた。
「コツ・・・コツ・・・コツ・・・コツ・・・」
「えっ、なんでこんな時間,こんな場所に足音なんかが、嘘でしょう」
近づく足音に怖くなった奈津子は頭からコートを被り、身体を縮こませた。その間にも足音は更に近づき、扉の前で止まった。
「トントントン・・・・・ガラガラガラ」
扉をノックする音が聞こえて、暫くするとスライド式の扉が開いた。
「コツ・・・コツ・・・コツ・・・コツ・・・」
足音の人物は再び甲高い靴音を踏み鳴らしながら用具室へと侵入してくると奈津子がドコにいるのか分かっているか一直線に歩み進むと奈津子目の前で立ち止まった。
「こんな所で何をしているのかしら」
聞き覚えのある声に頭を出してゆっくり見上げるとそこにはショルダーバッグを肩から下げた例の喪服女が立っていた。
「ここに居るのがどうして分かったの・・・みたいな
顔をしているけど。そんなことより私に聞きたいことがあるんじゃなくって」
その通りだ、両親殺害の真相をこの人は知っている。例え脳裏に浮かんだ最悪のシナリオが語られよとも聞かずにはいられなかった。
「お、教えてください。お父さんとお母さんを殺したのは誰なんですか」
2人の間にピーンと張り詰めた空気が漂ってきた。
「あはははははは、わ・た・し・・・とでも言ってもらいたいんでしょうけど。残念でしょうが、2匹を仕留めたのはお前よ」
「う、嘘よ!そんなことあるはずないわ!!!」
「嘘なもんですか、それが証拠に真新しい返り血がお前の犯行を物語っているでしょう。記憶にないから取り乱したくもなるでしょうけど、今のお前は意識を失えば私のどんな命令にでも従ってしまう・・・それが両親や姉に対してでも躊躇なく殺せちゃうのよ」
確かに今、奈津子の身体は無意識な状態だと喪服女の操り人形と化してしまう。また通り魔の言うことが真実と違っていたとしても奈津子に確かめる術などない。自らが思い描いた最悪のシナリオを突きつけられ、奈津子の身体はその場で凍りついてしまった。
「・・・」
「納得できないんだったら思い返してみるといいわ。そうすればお前が殺したってことが理解できるはず」
「・・・」
「まず現場には犯人と争った形跡がなく、2匹の着衣に乱れがなかった。そこから何が分かるかしら」
「顔見知りの犯行!」
「ご名答、もし私が犯人だったとして2匹が抵抗もせずに殺されたりするかしら。そんな筈がない、スリッパや電話機,武器になりそうなモノなら片っ端から投げつけてでも抵抗を試みるでしょう。だけどそれをしなかった、うううん、できなかったと言うべきかしら。意識がなくともそのお人形さんが愛娘であることに変わりがない。だから襲い掛かってきたとしても抵抗できず、たぶん娘の名前でも叫びながら死んでったんじゃないかしら」
状況から判断すれば喪服女の説明は辻褄が合っている。警察もおそらくは姉か妹のどちらかの犯行と考え、更には事件直後から妹の方が失踪しているのであればもはや疑いようがない。
「そうそう、ネットに面白い動画が流れてたんで、お前に見せてあげようと録ってきてあげたわ」
そう言うとバッグからスマホを取り出し奈津子に手渡した。
「気になっていることがこれで分かるはずよ」
動画とは昼間に流れたニュースのことで事件の一部始終,2人の死亡と事件直後から行方不明の奈津子が重要参考人として捜索中であることを伝えている。両親の顔写真と自宅の様子が映し出されると奈津子の瞳からは自然と涙が溢れ落ちてきた。
「ニュースだと重要参考人って言ってるけど、誰もそんなこと信じちゃいない。皆、お前が殺したって思っている。おめでとう、これで名実ともに殺人犯の仲間入りよ。あっ、だけど名前まで出たのはマズったわね」
「えっ」
「だってそうでしょう、未成年が両親を殺したって言うだけでも話題性として事欠かないのよ。マスコミなんてすぐさま病院に押しかけあんたの顔のことまで調べ上げちゃうわ。連中、犯人の口が左右に大きく広がってるって知ったらどうなるかしらねぇ。きっとお前がもっとも恐れていることまで世間に広まってしまうでしょうね」
「嫌、それだけは絶対に知られたくない」
奈津子は突きつけられた現実にショックを覚え、頭を抱えた。
「ちょっと横道に逸れるけどこの事実は知っているかしら。連続殺人って物的な証拠に乏しく、得られているのが目撃者の証言によって作成されたモンタージュと似顔絵,それと先日、重症を負った女子高生の証言だけなの。背格好から若い女性であるのは間違いないらしいのだけど、それだけでは犯人を特定までには至らない。だけど犯人の顔には大きな特徴があるらしくって、頬が上下に切り裂かれて口が左右に大きく広がってるんですって・・・あはははははは、都市伝説じゃないあるまいし、そんなヤツ(人)居るはずないでしょうに」
「・・・」
「もう1つこんな話もどうかしら。私ねぇ、もう数ヶ月したら大金が転がり込んでくる手はずになっているの。そしたらこの醜い顔とおさらばして美しく生まれ変わるんだ。だって私の口って連続犯の口とソックリらしいじゃない、逮捕されたら堪ったもんじゃないわ。あっ、そしたら事件はどうなってしまうのかしら。だってそうじゃない、口は事件解決の数少ない手がかり。変わりに犯人を拵える(こさえる)ったって口が裂けてないんじゃ話になんないでしょう・・・そう言えばこの前、通り魔に襲われ頬が裂かれた女子高生が居たわね」
「えっ!」
「確か、その子も口が左右に大きく広がっちゃったとのこと」
その言葉に奈津子が顔を上げると、喪服女は口元に笑みを浮かべ話しを続けた。
「安心なさい、例え同じに裂けていたとしても女子高生のモノはできたてのホヤホヤ、疑われたとしても逮捕にまでは至らないわ。だ・け・ど連続殺人の現場近くでよく似た手口による新たな犯行が発生したら、それも容疑者が例の女子高生で事件直後から姿をくらましているとしたら。きっと新の犯人として打って付けの人物じゃないかしら」
「・・・・・」
「警察ってここ数ヶ月マスコミ連中に叩かれまくってるでしょう。行き詰まってるんだし、証拠をでっち上げてでも犯人に仕立てるんじゃないかしら。今後、真の犯人が同じような事件さえ起こさなければ円満解決、ただ新の犯人には不幸な未来が待ってるでしょうけど」
「う、嘘でしょう」
「嘘なんかじゃないわ。命乞いした時に[他のことだったらなんだって構いません。どうか命だけは助けてください]そう言ったじゃない。そこで代わりに私が創りあげてきた通り魔としてのすべてをお前にくれてやることにしたの。着衣や装飾品だけじゃない、容姿や性格,犯してきた罪の数々もね」
奈津子は自らが関わる2つの事件だけでなく、通り魔が起こしたすべての事件まで背負わされようとしていた。だが今の奈津子に逃れる術はなく、抵抗でもしようものなら警察に通報されるか、もしくは最悪この場で殺されてしまう。奈津子の命運は喪服女に握られ、自分自身ではどうすることもできなかった。
「そんなのあんまりです。私は、私はどうしたらいいのですか」
「お前がどうなろうと知ったこっちゃない、私に代わってブタ箱に入ってくるといいわ。だけど私あまりにも多くの人を殺しちゃったでしょう、例え未成年と言えどブチ込まれるだけでは償えないんじゃないかしら。おそらくはお前の命で代償を払ってもらうことになるでしょうね」
「いーーーやー、嫌、嫌よ、死刑になるなんて絶対に嫌、死にたくない」
奈津子は藁にもすがる思いで喪服女の脚にしがみついて許しを乞った。例えそれが自らを嵌めた張本人だとしても他に頼れる人物など居やしない。
「ご主人様に楯突く欠陥品にもう要はないの。ブタ箱で死刑に怯える日々を過ごし、苦しみ抜いて死んでいきなさい」
喪服女は脚を振り上げ、しがみつく奈津子を払いのけた。
「そんなのないです。私はご主人さまの忠実なる下僕、もう二度と逆らったりしません。人を殺せとおっしゃられる[二重敬語]なら何人だって殺してご覧にいれます。どんな命令でも従ってみせますので、どうか見捨てないで」
悲壮感を漂わせ,死という現実を突きつけられた奈津子は足蹴にされても尚しがみつき助けを乞った。
「・・・その言葉に嘘,偽りはないでしょうね」
「はい、もちろんですとも」
奈津子の目の前に僅かながら希望の光がもたらされた。
「自らが助かるためだったら何でもやってのける、例えそれが親類縁者,親友に対してでも」
「両親を手に掛けたこの身です。今更1人2人増えた所で罪が軽くなることもありません。ご命令とあらば何だってやっちゃいます」
「もう1つ、下僕と言うことは自らが望み傀儡へと成り下がった。私がお前の身体を意のままに操ったとしても文句がない、そう理解していいのかしら」
「その通り、私はご主人さまの操り人形、手足となって行動いたします。存分にお使いくださって構いませんので助けてください」
背に腹は代えられない状況下では喪服女の口からどんな命令が飛び出そうとも従ってみせる、それだけの覚悟が今の奈津子にはあった。
「お前の忠義立て、試させてもらうから」
「承知しました・・・それでそれで」
「そんなお前ならポリ公へ簡単にくれてやるには惜しいわ。そこでお前が助かる唯一の方法を教えてあげる」
「助かる、それは素晴らしいですね、どんな方法です」
喪服女は奈津子と同じ目線までしゃがみ込むと驚くべき手段を持ちかけてきた。
「お前は両親をそれも自宅で手に掛けた。その時点で赤の他人を犯人に仕立てることができなくなっている。だけど肉親となれば話は別よ、最適なカモが1人残ってるじゃない・・・姉の朱美に擦りつけてやったらいいのよ」
「!!!・・・お、お姉ちゃんにですか!」
「筋書きはこうよ。朱美は日頃から鬱陶しさを感じていた両親と口論になり勢い余って殺してしまった。我に返った朱美は自らが助かる生け贄として妹の奈津子に白羽の矢を立てた。入院中の所を連れ出し学校に閉じ込めたまではよかったんだけど、奈津子が隙をついて逃げ出した。その時たまたま運悪く朱美に見つかり取っ組み合いにまで発展、最終的には朱美自身が取り出した刃物が自らに突き刺さりあの世に旅立ってしまった。お前は正当防衛で晴れて無罪放免、死人に口なしって訳よ」
「そんな酷いこと・・・私にできるでしょうか」
「できるわよ、だって殺らなきゃ罪を被るのはお前自身。姉に被らせるか,自由を取り戻したいか、2つに1つよ。さぁ、どちらかを選びなさい」
選択を迫られた奈津子にとってどちらの選択肢を選ぼうとも不幸な現実が待ち受けているのは明らかである。
「でも~・・・」
「煮え切らない女ねぇ、自らが大事なら姉に義理立てなんかしてないでサクッと殺っちゃえばいいのよ。お前は残忍で冷酷,身勝手極まりない女でしょう」
「だけど」
「まったく~、そんなにまで決めかねるんだったら・・・そうだ!彼女にやらせたらいいんじゃない」
「彼女、彼女とはいったい???」
「決まってるじゃない、く・ち・さ・け、口裂け女よ」
「口裂け女ですって!!!」
思いもよらない人物の名に奈津子は口を大きく開け,再び驚きの表情を浮かべた。
「そう連続殺人を引き起こしたのは口裂け女,両親を殺したのも口裂け女,そしてお前の顔と心に深い傷を負わせたのも口裂け女。すべては彼女がやったこと、だったらその責任まで彼女に押し付けちゃえばいいのよ」
「で、ですが」
「分かっているとは思うけど彼女は今、お前の心の奥深くで眠っている。そんな彼女を呼び覚ますには全身を真っ赤に着飾り,口が左右に大きく広がった依り代とすべき器が必要となってくる、彼女に相応しいボディーがね」
「・・・」
それは奈津子が己の肉体を明け渡し、口裂け女へと変貌を遂げなければならないことを意味している。
「心配性ねぇ、お前は彼女と入れ替わって心の奥深くで眠ってればいいの。そうすれば今度目覚めた時にはすべてが片付いているはずだから」
そう言うと喪服女は奈津子が手にしたままのスマホを操作し、鏡(ミラー)アプリを起動させると続けて真っ赤なルージュを取り出した。それらは汚れた器を依り代へと変身させるのに最適な代物であった。
「わ、分かりました。私の・・・佐伯奈津子の身体を口裂け女に捧げます。そしてわ・・・私を口裂け女に変えてください」
奈津子は自らの意志で口裂け女にして欲しいと願い出てしまった。
「うふふふふー、よく決意したわね。そうと決まれば気が変わらないうちにお出迎えしましょうね」
「はい、よろしくお願いします」
奈津子にとってその選択が例え間違っていたとしても心神耗弱に陥り,身を捧げてでも楽になりたいと言う気持ちが彼女を受け入れる方向へと傾かせた。
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