第8章 第二夜の幕開け⑤

「コツ・・・コツ・・・コツ・・・コツ・・・コツ」

その人物は例の通り魔、奈津子が元に戻ったと見るや土間へと侵入してきた。

「仲睦まじい光景ねぇ、親子が抱き合い共に泣き崩れているなんて滑稽だわ・・・所で何をやっているの、私は[オオカミさんのお腹を切り裂くように]って命令したはずだけど」

「・・・できません」

正気に戻った奈津子は通り魔の命令に背き反旗を翻した。

「アレはねぇ、お前を食べちゃおうと企んでいる悪いオオカミさんなのよ、殺ってしまいなさい」

「違います、2人は私のお父さんとお母さん、殺すことなんてできません」

「はぁ~、何言ってるんだか・・・思い返してみなさい、2人はお前に対して親身になってくれたかしら。現に放ったらかしにされていたでしょう」

「何と言われようとも2人は私を17年間育ててくれた両親です。それに人殺しなんてしたくありません」

「いい子ちゃんぶった所で一度貼られた罪人のレッテルを剥がすことなんてできないのよ。それに今更1人2人増えた所で罪が軽くなることもないし、殺ってしまいなさい」

「嫌です」

両親は2人の異様と思えるやりとりに動くことや言葉を発することもできなかった。

「命令に歯向かう人形なんてただの欠陥品じゃない、使えないわねぇ」

「コツ・・・・・コツ・・・・・コッ・・・・・コッ・・・・・コッ」

奈津子の背後に回り込んだ通り魔はしゃがみ込むとライターに火を付けて奈津子の目の前にチラつかせた。すると奈津子は以前と同様に全身が硬直して動けなくなってしまった。

「挨拶がまだだったわね、私があなたたちの娘を殺人鬼に仕立てあげた張本人、ご主人様と言った所かしら・・・それとごめんなさいねぇ、外見は口裂け女そのモノだけど中身ができ損ないで失望したでしょう。償いとしてこの女が本来あるべき姿へと戻っていく様をたっぷりと見せてあげるわ」

そう言うと通り魔は奈津子を引きずり2人から遠ざけると真っ赤な布切れを取り出し、奈津子の口元に押し当てた。

「!?・!!・・・!!!『嫌だ,外して,あんな化け物なんかに・・・』」

「・・・」

「・・・『止めて!!!私たちの奈津子が壊されてしまう』」

声が出ず,動くことさえできずにいた2人は愛娘が口裂け女へと変わるゆくさまをただ見ていることしかできなかった。

「!!・・・!!!・・・!!!!『苦しい,助けて,お母さん・・・わぁあたし、また口裂け女になってしまう。あっ、ん、あ~ん!!!』」

懸命になって顔を動かそうとするものの身体が動かない状況では媚薬の魔の手から逃れる術はなく、我慢しきれずになると呼吸を再開した。

「ほうら、お前の大好きな匂いでちゅよ、たっぷり吸い込んじゃいなさい。ただし今回のお薬はとっても強力なヤツだから死んじゃったらごめんなさいね」

1度吸い始めると身体に染み付いた媚薬の魔力が更なる媚薬を求めだし、自らの意志ではもう止められなかった。幻覚作用の強い薬はあっという間に瞳から輝きを奪い去ると視点の定まらない虚ろな表情を浮かべさせた。そして暫くすると瞳孔が開ききって,完全に意識を失い、壊れたオモチャのようにピクリとも動かなくなってしまった。

「そろそろいい具合に仕上がったかしら・・・さぁ、目覚めなさい、私の可愛い口裂け女ちゃん」

通り魔の声に反応して傀儡が動き出した。

「早速で悪いんだけどお前の視界に2匹のオオカミが映っているかしら」

「ハ、ハイ」

返事には感情がこもっておらず、寧ろ棒読みに近かった。

「あの2匹はねぇ、お前を食べてしまおうと待ち構えているの、怖いでしょう。落ちている刃鎌を手に取り今度こそ殺してしまいなさい」

「シ・・・ショッ、ショウチシマシタ、ゴッ、ゴシュジン・・・ササマァ」

傀儡は命令に頷き刃鎌を拾い上げると、全身をフラつきながらゆっくりと立ち上がった。媚薬が効きすぎてか左半身に力の入らない傀儡は刃鎌を杖代わりにして左足を引きずりながらオオカミに向かって歩みを進めた。

「コツン・・・・・ズー・・・コツン・・・・・ズー・・・」

「止めてくれ」

「正気に戻って、奈津子」

2人の言葉は傀儡の心にまったく届かず、近づくにつれて刃鎌を握る手に自然と力が入っていった。

「コツン・・・・・ズー・・・コツン・・・・・ズー」

「・・・」

「・・・」

傀儡は2人の目の前で立ち止まると刃鎌を再び振り上げた。

「シンデ・・・チ、チョウダイ」


「♪・・・♫♪♪♫♬」

女が玄関の片隅で眠っていると、突然(固定)電話から着信音が鳴りだした。着信音は寝ている人物を叩き起こす目覚まし時計のように玄関中に響き渡り女を目覚めさせた。女が上半身を起こしてその場で座り込んだ途端、着信音がピタッと鳴り止んだ。暫くぼーっとしていた女は時間とともに意識がはっきりしてくると自分の顔や手,全身に赤い液体が付着していることに気がついた。

「・・・『何、これ』」

状況を把握するべく周囲を見回してみると廊下や壁,部屋全体に赤い液体が飛び散っており、周辺に生臭い香りが漂っていた。続けて液体の正体を確認するべく出所に視線を向けてみると、部屋の端で大量の液体に包まれた物体があることに気がついた。

「・・・『これは何だろう』」

物体は刃物に切り刻まれたと思われる無数の跡を有し、そこからおびただしい量の血のような液体を流していた。女はそれが何であるか近づいて確認してみると・・・それは父の変わり果てた姿であった。

「!!!」

あまりの衝撃に女は言葉を失った・・・更に父の側でもう1つ大量の液体に包まれた物体が横たわっていることに気がついた・・・それは母の変わり果てた姿であった。

「お父さん,お母さん、ちょっと狸寝入りなんかしていないで目を開けてよ。ねぇ、起きてってば!」

気が動転して、訳が分からなくなった女は両親の身体を揺らしてみた。しかし、2人は呼吸をしておらず、更には少しずつであるが身体が冷たくなってきている。2人がすでに亡くなっていることに気がついた女は全身を震わせてその場から動けなくってしまった。

「どうしてこんなことに・・・」

女は目の前の惨劇がなぜ起こったのか思い返すことにした。確か病院を抜け出した私は自宅へと帰ってきた。玄関で両親と話しているうちに口論となって、隠し持っていた刃鎌で父に怪我を負わせてしまった。切りつけたことで逆に正気を取り戻せた私であったがそこに例の通り魔が現れた。通り魔は両親を殺すよう命令するもののそれを拒否すると私に媚薬を嗅がせて眠らせてしまった。そして目を覚ますと目の前には惨劇の後が広がって・・・!!!その時女の脳裏にあるシナリオが思い浮かんだ。眠らされた自分が通り魔の命令に従い両親を殺してしまったのではないだろうか・・・自制心の働く状態ではありえないことだが無意識の状態にあってはその可能性を否定することができなかった。いや、そんなはずがないきっと自分が意識を失っている間に通り魔が両親を殺害した、絶対そうであるに違いない。だが女には真相を確かめる術がなく、犯人が通り魔であると思い込むしか今はできない。女は通り魔と犯行を結びつける証拠がドコかにないか周囲を見回してみると両親の側で例の刃鎌が落ちていることに気がついた。刃鎌には両親のモノと思える新しい返り血が残っているもののそれ以外に遺留品等は見当たらなかった。その時女は別のあることに気がついた。

「・・・『そう言えば病院を抜け出してからどれぐらい経ってるんだろう。外はまだ暗そうだから夜明けまでには時間がありそうだけど・・・一刻も早く戻らなきゃ』」

玄関には通り魔やその他の人物が犯行に及んだ証拠がなく、犯行時刻に病室に居なかったことがバレてしまえば自分が疑われてしまう・・・いや、犯人にされてしまう。この場から速やかに立ち去らなければならなくなった女は立ち上がろうとするものの、震えの止まらない身体では力が入らない。女は刃鎌をつっかえ棒にし、必死になって立ち上がった。

「ハァ、ハァ、ハァ、ハァ『今度は忘れずに持って帰らなきゃ』」

刃鎌を内ポケットに仕舞い込んだ女は左側の方で何か人影のようなモノが動いているのに気がついた。顔を向けてみるとそこには全身が映るような大きな鏡が据え付けられていて、口が大きく裂け,全身に(両親からの)大量の返り血を浴び,より赤みが増した口裂け女が映し出されていた。

「!・・・!!『誰、この化け物のような女は!こ、これが今の私なの!!』」

病室で見た時よりも全身が真っ赤に染まった自らの姿に恐ろしくなった奈津子はマスクを着けることすら忘れ、逃げるようにして家から飛び出した。この時奈津子は取り返しのつかないミスを犯してしまった。返り血の付いた手でドアノブに触れ、指紋と共にくっきりと残ってしまったのである。それは奈津子が2人の殺害事件に関与している証明、犯人と断定するのに充分な証拠であった。

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