第14話 紅葉が咲いた
明日から本格的に学園生活が始まる。この世界がゲームの中の世界であることは、もはや疑うことができなくなった。そうでなければ、ここまで完全に一致することはないだろう。その強力な因果を考えると、頭からつま先までが真冬のように冷たくなり、なかなか寝付くことができなかった。
絶対にヒロインとの接触はさけなければならない。少なくとも、妙なウワサを立てるわけにはいかない。そのためには、もっとリアとの距離を縮めておく必要がある。
正直に言うと、入学式が始まるまではどこか楽観視していたところがあった。俺の前世の記憶が薄れてきたことが原因だろう。こんなことなら、リアを押し倒して既成事実を作っておくべきだった。
なにせ俺たちは、いまだにチューすらしたことがない。かろうじて、手をつないだことはあるが。
こうしてはいられないな。明日からリアを迎えに行って、一緒に登校しよう。突然の申し出にリアが怒るかも知れないが、背に腹はかえられない。手紙をしたためておけば、ブーブー言いながらも、納得してくれるはずだ。
翌朝、俺は予定通り、トバル公爵家へリアを迎えに行った。俺の両親からは呆れられた。過保護にもほどがあると。だが俺は一歩も引き下がらなかった。
「まあ、フェル様、どうされたのですか?」
「お約束通り、お迎えに参りましたよ」
「そんな約束、しましたっけ?」
リアがあごに人差し指を添えて、クリンと首をかしげた。可愛いぞ、その仕草。俺はその光景を脳内フィルムに焼き付けつつ、制服の隠しポケットから手紙を差し出した。
それを受け取ったリアはその場で中身を確認した。
「もう! 今、承諾ですの!? 一体何を考えておられるのですか。非常識にもほどがありますわよ!」
甲高い声で避難しているが、顔はすでに真っ赤である。リアの照れ隠しであることは明らかだ。それでも俺は丁寧にリアに謝り、許しを請うた。
「申し訳ありません。リア嬢。昨晩、思いつきました。そしたらどうしても一緒に学園に通学したいと思いまして。ダメでしょうか?」
段ボールに入れられて、橋の下に捨てられた子犬のような瞳でリアを見た。リアが「うっ」と絶句した。追い打ちをかけるべく、キラキラした瞳でリアを見つめる。
「分かりました。分かりましたわ。ですからそのような目をするのをやめて下さい。家で飼いたく……じゃなかった、貴族としての品格を落としますわよ!」
プイ、とリアが目をそらした。よし、何とか許可をもらったぞ。これで今日から毎日リアと一緒に通学できる。
「ありがとうございます。リア嬢。それでは早速参りましょうか。トバル公爵家の馬車に乗せていただいてもよろしいですか? さすがにリア嬢を伯爵家の馬車に乗せるわけにはいきませんから」
「あら、私はそんなこと気にしませんことよ?」
そう言いながらもリアは俺をトバル公爵家の馬車に乗せてくれた。バタンと扉が閉まると、室内には俺とリア、リア付きの使用人の三人だけになった。使用人はすぐにその気配を消して、馬車に溶け込んでいた。なかなかやり手である。
ここから王立学園までは三十分ほどかかる。リアのご機嫌をうかがうにはちょうど良い時間だ。馬車には暗赤色の分厚いカーテンが下がっており、外の様子は見えない。もちろん、防犯のためである。
「今日から授業が始まるね。とは言っても、教わることはほとんどないと思うんだけどね」
「私たちには小さいころから家庭教師がついておりますものね。それにしても、ずいぶんと強引ね。フェルらしいと言えばそうだけど。……例の子が気になりますの?」
さすがはリア。痛いところを突いてくる。自分でも固執し過ぎだと思う。まだ何も始まっていないのだから。
「ああ、気になる。あれは悪女だ」
「もう、フェルらしくありませんわ。あなたがそんなに偏見を抱くだなんて」
呆れた口調でそう言った。失言だったかな。どうもクーデターが現実味を帯びてきたことで、心が引っかき回されているようだ。
そんな俺に、リアが寄りかかった。
「リア……」
俺はリアの腰に手を回した。ビクリ、とリアの体が飛び跳ねる。しかしすぐに体の力を抜いた。リアがその手を優しく撫でてくれた。
「フェル、気にしすぎですわ……」
甘い空気になったところで、自分の存在を主張するかのように使用人がゴホン、ゴホンと何度も咳をしたことは言うまでもなかった。
「お嬢様、もうすぐ学園にたどり着きますよ」
御者から声がかかった。確かに辺りが騒がしくなってきている。馬車を止める停車場は共通であるため、高位貴族とはいえども同じ場所で降りることになるのだ。混雑するのも当たり前といえば当たり前。これはもう少し早めに出発した方がいいかな?
馬車が停車すると、外側からコンコンと扉をたたく音がした。使用人がそれに返すと、扉が静かに開いた。馬車の内部に朝の光が差し込んできた。馬車の中はランプで照らされていたが、朝日には勝てなかった。
まぶしい光を手でよけながら、リアをエスコートして馬車から降りる。一瞬、辺りが鎮まり返った。何事かと思っていると、すぐに騒がしさを取り戻した。そこかしこで「お似合いのカップルよね」とか「うらやましいですわ」とか聞こえてくる。
たぶん俺たちのことだろう。婚約者同士が同じ馬車に乗って登校しているのは、俺たちくらいだろう。ちょっと恥ずかしかったが、ポーカーフェイスを貫いた。リアも……赤くはなっているが、おすまし顔だ。
御者にお礼を言うとギョッとされたが、にこやかに笑い返してくれた。いかんいかん、つい前世の癖で庶民に礼を言ってしまう。貴族としては良くない習慣だ。俺もまだまだ甘い。気を引き締めないと。
リアと連れ立って校舎に向かっていると、何だか辺りの空気が変わったことに気がついた。
「皆さんどうされたのでしょうか? なぜか同じ方向を向いているような気が……」
「おそらくあれを見ているのでしょう」
俺はリアだけに見えるように指差した。そこにはピンクの髪を持つヒロインがいた。明らかに目立っている。リアはその姿を見て絶句した。
「何ですの、あの髪の色。ピンクの髪なんて初めて見ましたわ」
「私もですよ。あれが例の生徒会役員になる子ですよ」
翡翠のような瞳を大きくさせて、リアがこちらを見た。つないでいた手が強く握られる。男子生徒はもちろんのこと、女子生徒も遠巻きながら注目している。それほど目を引く存在に危機感を覚えたようである。
「フェル様……」
「心配はいりませんよ。私は彼女にはまったく興味がありません。なぜなら容姿もおっぱいも、リア嬢の方が上ですからね」
十五歳とは思えぬほど発育したリアの胸部を見た。リアが両手でその秘密兵器を隠した。それと同時に、ほほがハリセンボンのように膨らんだ。これはまずい。そう思ったときにはもう遅かった。
「どこを見ておりますのー!」
バチーン。注目が俺たち二人の方に集まった。それに気がついたリアは俺の手を引いて、教室へと急いだ。
教室にはすでに殿下たちが到着していた。俺のほほを見た殿下は一瞬真顔になると、腹を抱えて笑い出した。
「ハッハッハッハ、人のことは言えないな、フェルナンド。婚約者殿に手ひどくやられたみたいだな」
「ハハハ……少し冗談が過ぎました。反省しております」
チラリとリアを見ると、まだ膨らんでいた。これは何とかしてご機嫌を取らないと。やはりセクハラ発言はまずかったか。リアのすがるような声に、思わず本音が出てしまった。
でも反省はしているが、後悔はしていない。リアには俺の真意が伝わっているはずだ。
「まったく、フェルナンドも隅に置けないな。どうせ婚約者殿の胸の話でもしたのだろう? 俺の婚約者と変わらぬサイズだもんな。どうだ? 今度、比べて……ひでぶ!?」
バチーンと言う音と共に、殿下のほほに紅葉が咲いた。そのまま殿下はイスから転げ落ちた。大丈夫か、これ? でも非は殿下にあるしなあ。三人の護衛もだれも止めに入らないし、いいのだろう。
「レオン様ー! あなたは一体何を言っておられるのですか! そんな発言は許されませんことよ!」
殿下の婚約者、マリーナ・ジルコヴァ公爵令嬢が殿下の首をチョークスリーパーで締め上げている。止めなければと思ったが、満更でもなさそうな殿下の顔を見てやめた。
そりゃ胸の谷間に挟まれているもんね。そんな顔にもなるか。さすがは残念王子。いや、もしかして、ここまで計算ずくなのかも知れない。恐るべし、殿下。
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